「やっぱり行くのはやめて、もう帰ろうよ……」
英一はこの1時間で何度目かになる言葉をまたもや口にした。
あたしは前をふさぐ草をかき分けていた手を止めて振り返り、うんざりした顔を英一へと向ける。
「帰らないって、何度言ったら分かるの! まだ目的地にも着いてないのよ!」
怒気をはらんだ言葉か、それとも一見して分かるあたしの機嫌の悪さにか。英一はびくっと身をはねさせて、あわてて下を向く。それきり何も言わなくなった英一に、あたしは再び前進を始めたが、数分とたてずにまたもや英一が「でも……」と納得しきれない様子でぐちぐちとこぼし始めた。
「英一!
目的の廃校までたった30分よ? たったの30分でも、その口を閉じていられないの?」
「でも……30分前にも、お姉ちゃん、同じこと言ったよ……。それに……ほら。風が、変なふうに吹きだしてるよ。雨が降るかも……」
「今日はずっと晴れ! 夜も晴れ! 天気予報は確認済みだから!」
あ、と思ったときにはもう遅い。
ぴしゃりと言葉をたたきつけられた英一は、ついに涙をにじませた。
「……だって……」
やめて、泣きだしたりしないで、これ以上は勘弁して――そう思ったときだ。
「大丈夫よ、英ちゃん。わたしもいるから」
それまで黙々と一番後ろを歩いていた幼なじみで親友の加奈子が、山に入って以来初めて口を開いた。
英一の横について、うつむいた顔をのぞき込む。
「怖いなら、手つないで歩こっか?」
ぎゅっと口を引き結んで目をこすりだした英一の姿を見ていられなくてすぐ背を向けたから、加奈子の提案を英一が受け入れたかどうかは分からない。でもきっと、手をつないでいるに決まってる。
あたしは自他ともに認める癇癪持ち。一言多いってよく言われるし、言葉がきついから、決してわざとじゃないけど弟の英一を泣かせてしまうのもしょっちゅうだ。
英一は優しい加奈子が大好きで「かなちゃんが本当のお姉ちゃんだったらいいのに」とこれまでに何度も口にしたことがあるくらいだから、加奈子と手をつなげるのはうれしいだろう。それか、恥ずかしがって断るか。どっちにしても、とにかく英一の泣き言は以後ぴたっと止まった。やれやれだ。
泣かせそうになってしまった後ろ暗い気持ちと相まって、あたしは胸の中で加奈子に感謝して、再び歩き出した。
正直なところを言うと、実はあたしもすでに何度か音をあげそうになっていた。ただしその理由は怖がりの英一とは違う。この道のせいだ。
まさかこんな悪路になっているとは思いもしなかった。だけど考えてみれば、人が通らなくなって70年近いのだ。舗装されていない夏の山道は、手入れもせずに半月も放置しておけば獣道と変わらなくなると聞いたことがある。70年人通りが絶えた道などもはや道と呼べるものではないと、なぜ思い至らなかったのか。
炭焼人だった祖父の遺品のナタを持ってきてよかった。もしこれがなかったら英一に言われなくても断念し、帰らざるを得なかっただろう。それは姉の沽券に関わるし、ちょっぴり癪に障る。
大体、この先にある廃校へ行こうと言いだしたのは、他ならぬ英一なのだ。
あたしは間違ってなんかない。
スマホで今の時間を確認――午後4時。予定より大幅に遅れてるけど、遅れすぎてるってわけでもない――しながら、あたしはあらためてそう思った。
◆◆◆
事のはじまりは、あたしたちの曾祖母である大ばあちゃんとのその友人たちの会話からだった。
若いころから社交に長けていたという大ばあちゃんの周りには、常に大ばあちゃんを慕う友人たちがいた。かなりの高齢で、5年前に足を悪くしてからは外出を控えて家にいるようになっていたが、それでも大ばあちゃんを気にかけて、毎日のように家を訪ねてくる者たちで大ばあちゃんの部屋はいつもにぎやかだった。
1週間くらい前、英一がトイレに行く途中で大ばあちゃんの部屋の前を通りかかると、やっぱりお客さんたちが来ていて、ふすま越しに彼らの会話が聞こえてきたらしい。結果的にそうなっただけで、最初から盗み聞きするつもりは全くなかった、というのは本当だろう。(大ばあちゃんたちの話なんてわざわざ聞いて、何が面白いの? どうせ戦時中はああだったとか、自分が若いときはこうだったとか、昔はよかった話ばっかりじゃない)『山の上の廃校』というフレーズが耳に入って、つい、足を止めてしまったということだった。
ふすまを挟んでて、さらに向こう側は8畳間の中央で茶卓を囲っているわけだから距離があるし、平均年齢80歳後半という高齢の人たちばかりだからあんまり声量もなくて、全部聞こえたわけじゃないらしい。それでも耳をすますとある程度想像がつく範囲で聞こえてきて、彼らがしているのはどうやら山の上の廃校がついに取り壊されることが決まったという話だということが分かった。
どうやら山主だった田中さんちの
山の上の廃校っていうのは、大昔、大ばあちゃんたちが小学生だったころに通っていた学校のことだ。当時この辺一帯は白川村と呼ばれていたんだけど、村の子どもは一番下が3歳一番上が15歳で、全部合わせても18人しかいなかったらしい。一番近い所で学校は片道2時間歩いて山を越えた先の町にしかなく、山越えして通うのは小さな子どもには大変だからと、茂光おじいさんのおじいさんが山を1つ2つ売って建ててくれたということだった。
白川村尋常小学校。今でいう私立の学校みたいなもので、先生は都の師範学校にお願いして派遣してもらった人が1人で全員をみていたらしい。
全部、何年か前に大ばあちゃんから聞いた話。あんまり興味なかったから、うろ覚え。
とにかく大ばあちゃんたちが子どものころに通っていた学校が、山の上の廃校ってわけ。
なぜ廃校になったかっていうと、町村合併促進法というのが昭和28年(1953年)に施行されて、白川村も他の2町村に吸収合併されることが決まったから。名前も一番大きな町の名前になった。そこは例の学校がある町で、子どもたちはみんなそこへ通うことが義務づけられたってわけ。
これが大ばあちゃんが9歳のとき。ちなみに篠津町っていう。これ、あたしたちが住んでる町ね。
で、大ばあちゃん、友人たちと「もう一度見たい。確認したい」って話してたらしい。
それで英一が「大ばあちゃんに、山の上の廃校を見せてあげられないかな?」とあたしに相談にきたのだ。
きっと大ばあちゃん、山の上の廃校が取り壊される前にもう一度見たがってるんじゃないかって。
お年寄りって、昔の小さかったときのことをよく懐かしく思うっていうし。
足の悪い大ばあちゃんを連れて行くのは絶対無理だと思った。山の上へ続く道は非舗装路で危ないからってずっとチェーンで封鎖されていて、しかも真ん中に黄色く目立つ鉄の棒も立ててあって、チェーンが外れても車が入れないようになってるから。
一応茂光おじいさんのお孫さんたちに大ばあちゃんの友人の1人がしつこくかけあってたみたいだけど、年寄りたちには危険だからって入山を断られたらしい。茂光おじいさんも、ぼける前はよく「あそこに人を入れちゃいけない」って口を酸っぱくして言ってたみたいで、それを聞かされて育ってきたお孫さんたちは、その言葉を茂光おじいさんの遺言のように大切にしてるみたいだった。
それで、説得は無理そうだって思ったその人はいったん引くことにして、大ばあちゃんのとこに相談しに来たんだけど、そうしてみんなで集まっても、やっぱりいい案は浮かばなかったみたいだった。
悪いけど、茂光おじいさんのお孫さんたちの言い分が正しいと思う。御年80越えのご老人たちばかりだもん、そりゃ山の上まで徒歩なんて無謀だし、転んで足の骨を折ったりとか、最悪心臓発作でお亡くなりとか、何かあって訴えられでもしたらたまったもんじゃないと考えたんだろう。分かるわ、あたしだってそう考えるもん。
それで考えた末、大ばあちゃんのためにあたしたちが山の上の廃校をスマホで撮影してきてあげたらいいんじゃない? となったのだった。
◆◆◆
実際こうして山へ入って歩いてみて、これは年寄りたちには絶対無理だと思った。
道らしい道はとっくになくなって、ナタで切り開きながら進むしかない状況になってしまっている。30分くらいで行けると思ってたのに、実際は1時間たってもまだ着かないというありさまだ。
英一はぐずりだすし、虫はすごいし、暑いしで、陸上部で鍛えていて体力には自信のあったあたしも、10分おきに休憩をとらなきゃ進めなくなっていた。文芸部なのに文句ひとつ口にせず、無言でついてきてくれる加奈子は、本当にすごい。
それでも頑張れたのは、英一に対する意地と、そして木々の間からついに見え始めた廃校舎だった。
「……やっと、着いた……」
最後の茂みをかき分けて、開けた所に出たとき。あたしの口から出たのは、そんな弱々しい言葉だった。
午後5時。夕日を浴びた廃校舎の姿を眺めながら、町のスピーカーから流れる『七つの子』が聞こえてきたのを覚えている。
その荒れ果てた姿に、背筋がぞくりとするような悪い予感を、このときのあたしは確かに感じていた。
なぜ、気のせいだなんて思ったりしてしまったんだろう?
どうして、中の写真も撮ろうなんて思いついたりしてしまったのか。
そうしたら、あんなことは決して起きなかったに違いないのに。
あたしは生涯自身に問いかけ続け、後悔し続けるだろう。
これからの数日間に起きた出来事を……。