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第11話

 奈良市内のホテルが今夜の宿だ。

 京都のホテルより和モダンな館内はロビーに小さな太鼓橋があったりと凝った内装となっていた。

 今夜も部屋割りは京都のホテルと同じで、ルームキーを一枚ずつ預かってツインルームへと移動する。荷物を置いてホテルのレストランで本格的な懐石料理をいただく。食べ慣れない料理がたくさんあったが、どれも美味しかった。

 食事を終えて部屋へ戻ろうとしていた香村を呼び止める声があった。それは三年C組のクラス委員として香村と面識のある、福田という女子生徒だった。


「あの、突然ごめんね。実は香村くんに聞いて欲しい話があって」

 福田という少女は緩いくせ毛の髪を胸元でしきりに弄りながら視線を彷徨わせている。

 ホテルの中庭は小さな日本庭園のようになっていた。石灯籠や小さいながらも池があり、錦鯉が何匹か泳いでいるのがわかる。すっかり陽が落ちているが空はまだ薄藍色に夕陽の名残りのオレンジが混ざっていて、ライトアップの為の足元の明かりがついているがしっかりと互いの表情を伺う事の出来る明るさだった。

「いや、構わないけど。どうしたの」

 クラス委員として何か相談だろうか、と思ったがそんな話をわざわざ修学旅行中にしてくるとも思えない。

「えっと……実は、夕方の奈良公園で香村君がうちのクラスの男子と揉めてるのを見て」

 ああ、と香村は納得した。数時間前の奈良公園で思わず大きな声を出してしまったが、廣川を揶揄っていたのはC組の男子生徒だったようだ。どおりであまり見覚えが無いと思った。

「あれはごめん、あんな場所で大きな声を出すべきじゃ無かった」

 他の観光客も大勢いる場所でとってしまった行動に香村は素直に反省の意を示した。言った言葉に後悔は無いがもう少し場所を選ぶべきだったのかもしれない。

「違うの、別に責めているわけじゃなくて……むしろうちのクラスの男子が失礼な事言ったみたいだから怒って当然」

 てっきりあの時の行動に対する抗議かと思ったが、そうでは無いらしい。それでは何だろうと彼女の言葉を待っていると、福田は大きく息を吸い込んでから意を決した様子で香村と向き合った。

「違ったらごめん。香村君が、困ってるんじゃないかと思って」

「……え?」

 予想外の言葉に香村は面食らった。

「同じクラスじゃないけど、廣川君の噂はよく聞いていて……こう、廣川君と香村君はデキ……ちがう、付き合ってるんじゃないかって。そういうので迷惑してるんじゃないかなって」

 デキてるって言いかけたな、と香村は冷静にそんなことを思う。しかし、奈良公園での一件も含めて廣川の言動が他のクラスにまで派生しているとは思わなかった。

「私は全然そういうの、偏見は無いの。無いんだけどそんな噂が広がったりしたらきっと迷惑だよね。だって香村君は全然そういうタイプじゃないでしょ?」

「タイプ?」

「うん、ほら、A組の吉野さんとも仲良いし。男の子が好きって感じじゃ無さそうだから。本当に偏見とか全然無いんだけど、香村君がそっち側の人って思われたら可哀想だなって」

 もやっ……と香村は自分の胸の中に嫌な感情が生じるのを感じた。

「それで、その……もし良かったらなんだけど、私と」

「ごめん、福田さんが何を言いたいのか良く分からない」

 俯いてスカートの裾を何度も直しながら言葉を紡ぐ福田の言葉を、香村は思わず遮っていた。先ほどから聞いていれば迷惑をしているだの、そういうタイプじゃないだの……挙句、そっち側の人とは。さすがにこれ以上彼女の言葉を聞く気にはなれなかったのだ。怒らせたいのだろうか。

 言葉を遮られた福田は驚いたように顔を上げる。そして、顔を真っ赤にさせたかと思うとみるみる大きな両の目に涙が溜まって行くのが見えて、香村は思わず固まってしまった。

「ご、ごめんね。私、あの……あなたの、香村君の事が、好きなの」

「……え」

 好きなの?! と、香村は内心激しく動揺した。じゃあ今までの話は何だったのだ、怒らせたかったわけではないのか。

 彼女は今にも泣きだしそうなほど目にいっぱいの涙を溜めて香村をじっと見上げる。どうやら香村の返事を待っているようだ。このまま返事を聞かずに解放してはくれないらしい。

「え、と……福田さんの気持ちは、嬉しい。福田さんは、俺の何が好きなの?」

 今度は福田の方が驚く番だったらしい。そのように返されると思ってもみなかったのだろう、大きな目をぱちぱちと瞬かせてから真っ赤な顔を更に耳まで赤く染め、忙しなく視線を彷徨わせる。

「なに、って……あ、頭が良くて、優しいところ、とか」

 消え入りそうなほどか細い声でそう告げてくれる彼女は可愛らしい女の子だと香村は思う。だが、香村は口を開かずにはいられなかった。

「ごめん……俺は福田さんが思うほど賢くも優しくも無い。俺は廣川君の事、ああいう言い方をした福田さんとは付き合えない」

 びくりと福田が肩を揺らして顔を上げる。真っ赤になっていた顔がみるみる赤みを失ってゆくのを見ながら、泣かせてしまうかもしれないと思った。泣かせてしまうようなことは言うべきではないと頭ではわかっているのに止められない。

「俺は、別に廣川君とは付き合ってない。でも、君が言うようなあっち側とかこっち側とか、どういうタイプとか、廣川君はそんな風に俺を見ないし、たぶん……俺よりずっと、ずっと優しい」

 ほろり、と福田の頬に涙が伝った。ああ、やっぱり泣かせてしまった。言い過ぎだ。香村は更に言葉を紡ごうとした口を無理矢理閉じた。自分を好きだと言ってくれた女の子を傷つけるべきじゃない。それでも、だったら尚更、誰も廣川のことを傷つけて良い筈がない。

「……ごめん、言い過ぎた」

 絞り出すようにそれだけ言えば、福田はぐすりと鼻を啜ってから首を横に振る。

「私の方こそ……嫌な事言って、ごめんなさい」

 涙混じりにそう言って、彼女は香村に背を向けると小走りにホテルの中へと帰っていった。


「立ち聞きはどうかと思うんだけど」

 庭の低木の影へ香村が声をかけると、がさりと小枝が音を立てて揺れた。福田が話し始めた頃からそこに誰かがいるなという予想はついていて、時折覗く明るい色の髪が誰のものであるか何となく察しはついていた。

 地面に座り込んでいたのだろう。立ち上がり低木の影から出て来た廣川は制服のズボンを軽く払ってから気まずげな視線を香村に向ける。いつの間にか空はすっかり暗さを増し、オレンジ色は紺色へと色を変えていた。

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