比較的自由な校風のためか明るく染められた髪は無造作に跳ね、制服のブレザーを着用しているところを見た事がある者は少ないだろう。第二ボタンまで外されたワイシャツの上にはパーカーであったり、ピンクベージュのカーディガンを羽織っていることが殆どだった。ネクタイを締めるなどもってのほかだ。
高校生活も二年目となり、二年B組のクラス委員を任されることとなった
特に彼の素行について香村はとやかく口を出したいわけでは無い。廣川は見た目が派手で言動も賑やかであるというだけで授業を妨げたり遅刻早退を繰り返したりするような男では無いからだ。何が問題なのかと言うと、ただ一つ、香村に対する妙な言動だった。
「香村の顔が今日も良すぎて世界に感謝したい」
朝登校してきた廣川は自分の席に座るよりも先に教室の窓際最後列などという対角線上入り口から最も遠い位置にあるはずの香村の席までつかつかと歩み寄ってきて、香村の顔をまじまじと覗き込んだ後に満足げな笑みを浮かべながらそんな発言をする。香村は眼鏡のレンズ越しに彼を見上げ、まるでドッグランで犬友達を見つけた大型犬のようだと思った。廣川は香村よりも数センチ身長が高いのだ。
「おはよう廣川君」
「おはよ。今朝も美声だなあ」
「今のところ俺の声が変わる予定は無いよ。声変わりも済ませてるから」
「えっ、待って香村の声変わり前とか絶対超絶美少年じゃん!」
声が大きくて煩い。もし彼が大型犬の尻尾を持っていたとしたら、きっとぶんぶんと振り回して扇風機のようになっているに違いない。
「別に美少年じゃないよ。さっさと自分の席に行けって」
「香村君の声変わり前ってことは吉野さんの中学生時代って事でしょ? その頃から美少女だった?!」
何故か参戦してきたのは香村と机を並べている
「さあ……美少女の定義がよく分からないから何とも」
「おっまえ吉野さんほどの美人が傍にいて良くそういうこと言えるな?! さては美的感覚麻痺してるんじゃないの?」
酷い言われようである。確かに六花は昔から、それはそれは男子にモテまくっていたし、もっと言うならば女子にもモテまくっていた女なので世間的に見て美人な方なのだろう。なるほど、中津は六花に気があるのか、と香村は納得する。
「いやいやそれで言ったら香村も負けてねーよ」
廣川が何故か香村を持ち上げてくる。何の勝ち負けなのかわからない。そもそも、香村はその謎の勝負に参戦したつもりもない。
「確かにコームラのツラは良いけどさー、七瀬はコームラの顔好き過ぎじゃない?」
間延びした声でけらけらと笑いながら遅刻ギリギリの時間に教室に入って来たのは、髪をピンク色に染めて制服のスカートを際どいほどに短く改造している
「勘違いすんなよ? 俺が好きなのは香村であって香村の顔だけじゃない」
何を自信満々に言っているのだ、と呆れながら廣川を見上げた香村は自分を見下ろす廣川が思いのほか真剣なまなざしを向けて来ていることに気づき驚く。
「あ、そういえば来月のスピーチコンテストって香村が選ばれたんだろ?」
話題を逸らしてくれてありがとう、の気持ちを込めて香村は隣の席の中津に向き直って頷く。スピーチコンテストとは毎年行われている高校生の英語スピーチコンテストの事であり、来月は県内大会が予定されている。そこで勝ち残った高校が県代表として全国大会へ出場するのだ。
香村が学校代表に選ばれた、という話を担任教師から聞いたのは昨日の放課後の話だ。にも関わらず噂話に敏感な中津はどこからか情報を掴んできたらしい。相変わらずの早耳である。
「はぁ? 学校代表って事? うーわ、エッグいね」
榊原がしっかりとアイラインを濃く引いた目を更に大きく見開いて大げさに驚く。長い付け睫毛がばさばさと音を立てたような気がした。
「榊原さんのそれ、褒め言葉?」
「ったりめーじゃん」
褒め言葉だったらしい。だとしたら素直に受け取っておこうと香村は素直にありがとうと応える。
「英語……英語か……香村って英検何級だっけ」
廣川が何故か眉間に皺を寄せて尋ねる。
「二級」
「マジかー、準二じゃなく?」
「準二は中三で取ったから」
「マジかー!」
何故か頭を抱えてしまった廣川を不思議な物でも見るように眺める香村だが、榊原が彼を慰めるようにばしばしと力強く背中を叩く。ちょっと痛そうだな、と香村は思った。
「七瀬、コームラと一緒に勉強するんだっつって英語の参考書こないだ買ったんだけどさ、三ページくらいで挫折してんの。ウケるでしょ」
「あ、おい、バラすなよ奈美! お前だって英語苦手だろうが!」
「ざーんねーん! アタシはこう見えて洋楽が好きだからアンタよりは聞き取れんだよね」
「はー?! 裏切者!」
人の机の前で賑やかに言い合いを始めてしまった二人を見上げ、香村は隣の席の中津に小声で話しかける。
「中津君、廣川君と榊原さんって付き合ってるの?」
「あー一年の時は付き合ってたらしいよ」
さすが情報通の中津である。誰が誰と付き合っている、という情報にも強いらしい。
「お似合いなのに、なんで別れたんだろうね」
香村の純粋な疑問に対し、中津は何故か香村を大げさに二度見した後未だ榊原と言い合いを続ける廣川を同情に満ちた目で見上げたのだった。
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「同じ部活の友だちが、健臣の事が気になっているらしいんだけど」
学校終わりの帰り道、茜色に染まる街中で自転車を押しながら歩いていた香村は隣を歩く
「どんな子?」
気になる、とはつまりそういうことだろうか。人並みに思春期真っただ中である香村は内心浮足立ちそうな気持ちを抑え込み努めてクールを装った。
「聞かない方が良いよ、きっぱり諦めるって言ってたから」
「えっ、何で?」
装ったクールはすぐに剥がれ落ちた。幼稚園の頃からの付き合いである六花の前では香村は何も装えやしないのだ。
「なんでって……まあ、あれだけ毎日あなたに全力で愛情をアピールしている人がいれば告白する気も起きなくなるでしょう」
ああ……と香村は理解してしまう。どう考えても二年生で同じクラスになってから毎日のように香村を賑やかに口説いてくる廣川の事だろう。
口説かれているという自覚は、鈍いと言われがちな香村にもあった。だがいまいち彼が何を考えているのかわからないのだ。そもそも、同じクラスになるまで接点も無かったはずなのだから。
「残念ながら高校で彼女をつくるって目標は厳しそうだね」
六花は形の良い唇を笑みの形に歪めて楽し気に笑う。
「……まだわからないだろ」
悔し紛れの言葉も彼女には効かない様子で、黒く艶やかな髪を揺らしながらそれはそれは楽し気にひとしきり笑った後に声を潜めた。
「これは勘だけどね……健臣はあんまり彼を甘く見ない方が良いかもしれないよ。これはあなたに女の子を近づかせない戦略かもしれないから」
どきりとするほど妖艶な忠告に、香村は一瞬言葉に詰まった後に深々とため息をついた。
想像以上に、廣川は策士なのかもしれない。