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第16話 あたしたちと『前』

 信じられないながらも、セルゲイ殿下はあたしの話を最後まで聞いてくれた。一番ショックを受けていたのは、自分が狙われていたのにイネッサが刺されてしまったという部分だった。なんとなくわかってはいたけど、あたしに改めて言われたのは堪えたみたい。もしかしたら、本気で受け止めてくれたのはその部分だけだったかもしれない。


「すぐに憲兵団に行ってこよう」


 話が一段落すると、居ても立ってもいられないみたいに、セルゲイ殿下は立ち上がった。


「君は、どうする? 午後から登校するだろうか。できればすぐに連絡が取れるようにしておきたいのだが」

「今日は家に、帰ります。……勉強なんてしてる気分じゃないので」


 明日以降のことなんてわからない。聖女になれていないあたしに、できることなんてなにもない。それでもセルゲイ殿下に話せたことは大きな前進だと思う。もうひとつ、前へ向かおう。

 あたしは意を決して病院の中に入って、受付の方に伝言を頼んだ。

 レオニートくんへ。近いうちに話せますかって。


 その日の夕方には返事が来た。週末、ジェグロヴァ家に来てくれって。

 ゲームの中で『悪役令嬢イネッサ』の家に行くなんてことなかったから、本当にあたしは『シナリオ』以外の生活をしているんだ、と実感する。


(――怖い)


 予想がつかないのは怖い。

 でも、普通に生きていたら、明日のことがわからないなんて当然なんだった。


 イネッサはもちろん、レオニートくんも、セルゲイ殿下も登校しない。週末までの数日がとても長く感じた。上の空で授業を聞いてた。クラスメートたちはみんな、あたしが事件を目撃してショックを受けているんだと思って、とても優しくしてくれる。まあ、実際そうなんだけど。

 週末にはお迎えが来た。うちみたいな弱小の子爵家じゃ用意できない立派な白塗りの馬車が来てビビる。中は赤い天鵞絨ビロウドの椅子にクッション。なにこれお姫様仕様じゃん、土足厳禁だったりする?

 それに――さすが公爵家様。馬車に揺られて着いた先は、豪邸って言葉に収まらないくらいのお家。お城って言われた方が説得力ある。……我が家の首都邸タウンハウスが庭師小屋と同じくらいの大きさデスネ。正門から正面玄関まで、どんだけ長いのよこれ。


 迎えに出てくれたのはたぶん執事さん。サンルームに通してくれて、お茶をいただいてひたすら豪華さに感心していたらレオニートくんが来た。たぶん彼も話したいことがあるんじゃないかな。あたしたちは、きっと共同戦線を張らなければならない。

 お見舞いの言葉ってどう言えばいいのかわからないから、とりあえず「手術、成功してよかったね」とつぶやいた。少しだけ頭を下げて、「ありがとうございます」とレオニートくんは答えた。

 あたしは、今回イネッサが刺されたのは、おそらく聖女覚醒後に発生するイベントだっていうのを思い切って伝えた。レオニートくんはぎゅっと拳をにぎって、言葉を飲み込んだ。


「いろいろ……作戦会議したいんだ。あたしも、ゲームのこと全部覚えてるわけじゃないし。レオニートくんが覚えてることと合わせて、今後の対策考えたい。シナリオ通りに物事が運んじゃわないように」


 あたしが言葉を選びながら言うと、レオニートくんは少しだけ悲しそうな目をした。


「ぼくは……なにも役に立ちませんよ。ポメせんぱいのことだって、『ヒロイン』としてしか覚えてなかったし」


 紅茶が入ったカップをじっと見て、思い出すような口調でレオニートくんは続ける。


「……ぼくには『おねえちゃん』がいて、『あくやくれいじょうイネッサ』をおうえんしていたっていうことぐらいしか、きおくにないです。ゲームだっていうことと、それで使われる言葉は少し覚えていたけど」

「自分でプレイしてたんじゃないの?」

「『おねえちゃん』がテレビでしていたのをとなりで見ていただけです、自分でやったことはありません」

「ええっ、じゃあスマホ版じゃなくてゲーム機版⁉ ハードモードのシナリオとかわかる⁉」


 あたしが思わず立ち上がって言うと、レオニートくんはまた悲しそうな顔をした。


「さあ……本当に、ぼくは見ていただけなので、さっぱり」

「なんだあ……」


 がっかりしてしまって、あたしは足元を見た。それでも、一緒に『前』のことを話せるのは大きいと思った。


「じゃあ、あたしが覚えてることは伝えるから、なにか思いついたら教えてよ。おねえちゃんがどんな攻略してたとか、なにか思い出せるかもしれないじゃん」


 気を取り直してあたしが言うと、「わかりました」とレオニートくんはうなずいた。あたしはちょっとだけ好奇心を起こして、尋ねてみる。


「――ねえねえ、『前』はどんな人だったの? あたしは、中二女子だった」


 レオニートくんは心底不思議そうに首を傾げた。なんでそんなこと聞くんだろう、みたいな。


「聞いてたのしいです? そんなこと。ぼくは学校行ってなかったですし、おもしろいこと話せませんよ」

「あたし以外に『前』のこと分かる人がいるんだもん、気になるじゃん」

「うーん……」


 あんまり納得していない顔で、レオニートくんはちょっと考えていたけれど、パン、とひとつ手を叩いた。すると遠巻きに控えていたお仕着せの人たちがするすると下がって行く。……公爵家ご嫡男すごい。


「みんなに聞かせても、意味がわからないだけなので。――ずっと、『おねえちゃん』とふたりでいることしか覚えていないです。ごはんがなくて、お水飲んで、マヨネーズをかわりばんこになめてました」


 言われたことが咄嗟に理解できなくて、あたしはちょっと笑った。なに言ってるのかわからなかったんだもん。でも一呼吸置いてから、もしかしてすごいこと聞いちゃった気がして、黙った。


「……ほかにやることなくて『おねえちゃん』がママのゲームしてるの、となりで見てた。ママが見たら怒ったかもしれないけど、帰って来なかったので。だから、このゲーム名とかは知らないです。キャラクターの名前なら、たくさん出てくるやつは覚えたけど」

「……いくつだったの?」

「うーん、わかんないけど、幼稚園生くらい? 『おねえちゃん』は、学校行ってなかったけどランドセルは持ってました。さわっちゃだめって言われてた。ほとんどなにも入ってなかったけど」


 懐かしむような、けれど感情のこもらない瞳で、レオニートくんはどこかを見た。


「もう、ほとんど、覚えてないんですよね。ぼくは動けなくなって、『おねえちゃん』がたぶん、だれかに助けを求めに行って……それが最後のきおくです」


 あたしは、なにも言えなくて黙る。


 ――あたしにとって、『前』は大切な思い出だった。

 なにもかも鮮明で、ひとつも忘れたくない宝物。レオニートくんにとっても、きっとそうだって勝手に思いこんでいた。


 ぱちぱちと、頭の中が整頓されていくような感覚。あたしは『前』に見聞きしたことを思い出した。もしかしたら、って思ったけど、確かめようがないし、レオニートくんを傷つけることになるかもしれないから黙る。

 ――連日報道されツイッターでも流れてきて、元JCのあたしでも自然と見聞きしたニュースがあった。すっごいかわいそうだな、って思ってた。でも、正直それは知らないどこかの出来事で。


 八歳の女の子と、まだ四歳の男の子がひどいネグレクトの末に保護されたって話。お姉ちゃんが、窓をこじ開けて外に出て、助けを求めたんだよね。弟くんが衰弱していて、がんばったんだと思う。

 ……あの弟くんは、病院運ばれたあと、どうなった?


 淹れてもらった香り高い紅茶は、もう味がしなかった。

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