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第12話 私の新しい日常と暗転

 私の婚約者の弟レオニート君が、婚約者からの便りを携えて放課後に訪ねて来た。


「――あなたの気持ちはわかりました。でも、お姉ちゃんを泣かせるようなことしようとしたら、ぜったい許しませんから。そのときはぜったい『こんやくはき』してもらいますからね!」


 口調は荒々しくも、実にうやうやしい手つきで渡されたそれの内容は実に簡潔で、美しい花柄のカードにただ一言『承知いたしました。』とだけ記したものだった。


 ……承知されてしまった。


 今度は私が校門で待ち伏せされる番だった。翌朝、ジェグロヴァ姉弟が並んで気をつけの姿勢で立っていた。


『おはようございます!』


 私が降車し、そちらを向いたときに二人は揃って頭を下げる。私は気圧されながら「おはよう」と返した。


「昨日は………………お花を、ありがとうございました」


 ジェグロヴァ嬢が顔を真っ赤にして足元を見つつ言う。花の意味を知ってしまった私も、もしかしたら同様に赤面しているのかもしれない。


「いや、気に入ってくれたのであれば、よかった」


 私がそう述べると、彼女はうなずきながら完全にうつむいてしまった。レオニート君の視線が刺さる。

 校舎へ向かって歩いて行こうとすると、ジェグロヴァ嬢がぴったりと横に着いて歩く。私の歩幅に合わせるため、多少小走り気味に。慌てて私は歩調を合わせる。

 ふと、これまではどうしていたかという考えが頭をよぎる。かえりみることなく、自分ひとりで歩いていた。もしかして、彼女はこれまでもこうして私に着いて来ようとしてくれていたかもしれないのに。

 ジェグロヴァ嬢の表情を窺うと、紅潮しながらもどこか嬉しげな表情をしている。レオニート君はジェグロヴァ嬢の隣にくっついているため、私たち三人は横並びになった。私は足を止めて二人に向き直る。


「……ジェグロヴァ嬢、これまで配慮が足りず、申し訳なかった。お礼を言うために私を待っていてくれたんだね? ありがとう」


 目を見ながらそう言うと、彼女は真っ赤なまま両手で顔を隠してしまった。

 ……可愛いと思ってしまった。

 ごまかすように咳払いをして、レオニート君に視線を向ける。彼は背負った通学鞄の両肩ベルトをぎゅっと掴みながら私を見上げる。代弁するように彼は声を張り上げた。


「――お姉ちゃんは『いっしょに居るように』という、でんの指示に従って、でんといっしょに登校するため、待っていました!」


 周囲がざわついた。通りがかった級友がにやにやと眺めているのが視界に入る。今度こそ私ははっきりと自分が赤面しているのを自覚し、片手を額に当てた。

 ――困った。


 まさかこんな風に受け止められるとは思わなかった。

 三本の赤い花車ガーベラは、『前向きな愛の告白』を。九本の薄紅色の花金鳳花ラナンキュラスは、『飾らずに美しいあなたと共に居たい』という意味合いだと、『どきどき☆花言葉辞典』の情報にて知るには知った。……だが、まさかされるとは。

 多少ゆっくりと、小さな歩幅で歩き出す。ジェグロヴァ姉弟はそれに続いた。永遠とも思える無言の時間が続いて、ゴールの高等科玄関前に着いたときは長距離走をした後のようなけん怠感だった。ジェグロヴァ嬢を見ると、目が合ってすぐにうつむかれた。

 玄関が違うのでここでお別れのレオニート君が、小走りで私の隣へとやってきて袖を引く。私が腰をかがめると、彼は耳元でこうささやいた。


「――お姉ちゃんから『ツン』をとるとは、やりますね。しかたないので、おうえんしてあげます」


 その言葉を残して、彼は自分の校舎玄関へとあっという間に駆けて行った。私はあっけに取られつつも妙に納得してしまった。

 なるほど、これは『ツン』がない状態なのか。

 ということは、今は『デレ』なのだな。

 ……どうすればいいというのだろう、誰か教えてくれ。


 その後もジェグロヴァ嬢は私の教室前まで随行し、休み時間になると必ず廊下で控えているようになった。私は級友たちにさんざん冷やかされ追い立てられ、彼女と行動を共にする。はやし立てられそれをたしなめる日が数日続いた。

 時折見かけたポフメルキナ嬢は、それまでのように私に駆け寄って来ることはなく、目が合えばどこか考え深い様子で黙礼するのみだ。多少寂しく感じるのは否定しないが、これでよかったのだろう。

 あるべき位置に落ち着いたのだ。

 私の隣には婚約者であるイネッサ・ジェグロヴァ嬢が居る。

 最初のころはお互いぎくしゃくしていたが、一週間もすれば共に慣れたもので、ジェグロヴァ嬢が赤面するのも不意に目が合ったり指先が触れてしまったときだけになった。これまでの儀礼的に訪問し会話をしていた二年間と、言葉少なに共に過ごすこの一週間では、今の方が彼女の為人ひととなりを深く理解できていると感じる。

 自然と登下校の時間も合わせるようになり、いつもは課外活動などに当てていた放課後も、早めに切り上げている。先に下校して構わないとジェグロヴァ嬢に言うと、表情は変わらないのにとても悲しそうに見えるのだ。

 あちらは下級生のレオニート君がいるので待たせるわけにも行かず、必要最低限の責務を果たして帰るようにしたところ、ほぼ毎日同じ時間になった。共に下校と言っても、玄関先から迎えの馬車がいる校門前までなのだが。

 誰からというわけでもなく、自然と高等科玄関に集合するのが日課になった。

 レオニート君は廊下端に座り込んで、おそらく宿題をしている。それに声をかけるジェグロヴァ嬢の背中を見ながら、私はゆっくりと階段を降りた。


「待たせたね、行こうか」


 レオニート君はうなずいて通学鞄にノートと筆記具をしまった。いつもの通り三人で並ぶ。私、ジェグロヴァ嬢、そしてレオニート君。

 まずレオニート君がジェグロヴァ公爵家の馬車に乗り込む。そして私はジェグロヴァ嬢の手を取り乗車の介添えをする。このとき、名残惜しそうにしてくれるのが、少しだけ嬉しい。


「では、また明日」


 そう言って私はその手を離す。

 うなずいて足を正そうとした彼女は、次の瞬間目を見開いた。


「――セルゲイ様!」


 そう叫んでジェグロヴァ嬢が私に飛びかかってきたのは一瞬のことで、私は彼女を抱きとめて尻もちを着いた。

 一体どうしたのか。

 何事かと問いただそうとして、私は周囲の悲鳴と「お姉ちゃん‼」というレオニート君の深刻な響きの呼びかけを聴く。


「――逃げた! あいつ! だれか捕まえて!」


 女生徒が叫んでいる。

 私はジェグロヴァ嬢の腰に手を回して起き上がろうとした。

 違和感を覚え、手のひらを見る。


 私の手は真っ赤に――花車ガーベラよりも紅い赤に、染まっていた。

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