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第7話 あたしと『ハードモード』

「あの……申し訳ないんですけど……いきなり来て先輩ヅラされても……ちょっと……」


 絶句するあたしをその場に置いて、ペコリと頭を下げた攻略対象の美少年……アルノリトは友人たちの輪へ戻って行った。言葉を失うって言葉、こういうときに使うのね、わかったよ。

 まず最初に同じクラスの攻略対象、キールに近づいて、ゲームイベントを解消しようと思ったんだ。


「は? なにおまえ」


 中等科のときからの持ち上がりクラスで、特別仲良かったわけじゃないけど顔見知りくらいではあったのに、そんな反応だけだった。

 次、社会学ヴァシリー先生。


「……………………」


 ガン無視……。

 そして、後輩枠のアルノリトまで。


(――ええっと……これ、いったいなんなんでしょう? どなたか解説してくださらない?)


 らしくもなくお嬢言葉で考えちゃうくらい混乱してる。なに? なに? なんで全キャラのイベント失敗するの? てゆーか、もしかしてこれ失敗どころかイベント自体が発生してなくない? え、それどういうこと?

 どのキャラクターも、最初の接触のときは自己紹介と、名前で呼んでいいかの確認入るのが普通じゃん。

 あたしセルゲイルートしかクリアしたことないけど、それはみんな共通。全ルート攻略した『前』の友だち、ゆっこもルート選択前のシナリオは全キャラほとんど同じって言ってた。

 なんで? あたし、『ヒロイン』だよ⁉ なんでこんな扱い受けるの⁉


(――セルゲイ推しなことは変わらないから、まあ別に他のキャラはいいんだけどさ……でも、完全クリアにしたかったよー! ああー、全キャラそろったスチル見れない……悲しい……)


 午前授業の子たちが帰って行く校庭を逆流しながら、あたしは高等学年の玄関へとぼとぼ歩いていく。そもそも、スチルとかどうやってもらうのかわかんないけどさ。きっとクリア後にそういう場面があるんだと思う。


「セルゲイ殿下も……なんか様子おかしかったしなあ……なーんか出だしからぱっとしない……」


 イベントが発生しなかった場合、次のイベントへ行くにはどうしたらいいのかわからない。やだ、実写版てナチュラルにハードモードじゃん。うー、スマホほしい、攻略法ぐぐりたいー!

 イベントこなしていかないと、好感度不足で聖女に覚醒できないし。そうなったらゲームオーバー、あたしの実家の事業が傾いて一気に没落、学園卒業したあとにパン屋の売り子しながらの生活になっちゃうんだ。

『前』の人生のときも、バイトとかしたことないし……正直それでがんばれる気がしない。『ここ』のパパとママ、それに家の人たちが悲しい思いするのも嫌だ。

 だからあたし、ぜったいにハッピーエンド迎えなきゃならないんだ。

 がんばろう……それがあたしにできるすべてだから。

 あたしの教室は三階。考えごとしながら階段を登っていたら、なんと盛大に足を踏み外した。二階と三階の間にある踊り場へ思いっきり尻もちをついた上、倒れ込んで床に後頭部を打つ。自分でもびっくりする音がした。


「――いっっっっっっっった‼」


 叫んだら、「だいじょうぶ?」と声をかけて近くに来てくれた女生徒がいた。お礼を言おうと思って顔を向けたら、なんと『悪役令嬢イネッサ』。近くで見ると怖いくらいの美人だわ。

 一瞬見惚れてたら、心配そうな顔で「起き上がれる? ゆっくりでいいわ、救護室に行きましょう?」と言われる。

 痛い。

 ちょっと頭が混乱してる。

 あれ、もしかしてこれ、あのイベントかな。


 目尻に溜まってた涙が落ちた。

 なんか、とにかくこのイベントは成功させなきゃって焦って、マジで痛かったこともあってあたしはわっと泣いた。


「――痛い……ひどい、なんで突き飛ばしたんですか⁉」


 実写しんどい。

 こんなに体張らなきゃいけないなんて思わなかった。

 駆けつけたっぽい人たちの声が聞こえる。セルゲイ殿下の声も。

 イネッサが慌ててるのはわかったけど、どんな表情してるのかは涙で見えなかった。誰かに抱きかかえられたのはわかった。


 ふっと気がついたら自分のベッドへ横になっていて、小さい頃から世話をしてくれているばあやが深刻な表情であたしを見ていて、目があったら号泣された。

 起き上がろうとしたら後頭部がじんと響いく。「いって!」とつぶやいたら慌てて体を押さえ込まれる。


「起き上がっちゃなりません、お嬢様! 絶対安静です!」


 枕が冷たい、水枕だね。しかも、めっちゃ懐かしい感じがして、手で触ってみる。

 ……ゴムだ。これゴム製だ。ゴムの水枕! 『前』の世界で、おじいちゃんちにあった! えっ、なんで? 『前』とは違って、『ここ』じゃめっちゃ高級品じゃん。


「……ばあや、ウチにゴムの水枕なんてあった?」


 とりあえずあたしがそう尋ねると、ほっとした表情でばあやは言った。


「ああ、よかった、意識がしっかりされて。よくお分かりになりましたね、ゴム製ですよ。お嬢様を運んでくだすった方々が急いで取り寄せて、使わせてくれたんです。今お呼びしましょうね」


 いそいそとばあやが部屋を出ていった。ちょっと考えてみる。

 階段突き飛ばしイベントが発生した。めっちゃ痛かった。誰かに抱えられた。

 で、今家にいる。


 ……イベントどうなった?


 数人の男女がばあやに続いて入ってきた。ひとりはすぐにベッド際に来て、白衣を着ていたからお医者さんだとわかった。いくつか質問される。指何本か数えさせられたり。絶対安静と、念のためしばらくひとりにしないように、とばあやに言いつけて、帰って行った。明日も来てくれるみたい。

 次にベッドに近寄ってきたのは、なんとイネッサ。ということは、足元の方に立っているのは、もしかしてセルゲイ殿下だったりする? ゆっくりうなずくように足元を見ると、目が合って黙礼された。


「大事にならなくてよかったわ、ポフメルキナさん。どうかゆっくり養生なさってね」


 本当に心配そうに言ってくれる。うーん、これ、敵に塩を送るってやつじゃないですかねえ。もしくは、本妻の余裕? イネッサってこんなに性格良かったっけ。

 とりあえず、もごもごと「ありがとうゴザイマス」と言ってみた。


「……ポフメルキナ嬢、こんな時で申し訳ないが、伝えておくことがある」

「セルゲイ様……それはまた後日でも」

「いや、君に疑惑が生じたままにするのは良くないだろう。幸い、会話は問題なさそうだ」


 セルゲイ殿下は一歩だけベッドに近づいた。あたしが首を動かさなくてすむようにだろう。すぐ傍まで来ないのが紳士って感じがしてすごくいい、推せる。


「――君はどうやらこちらのイネッサ・ジェグロヴァ嬢が君を突き飛ばしたと思ったようだが、それは事実ではない」


 えっ、あ、うん。どう反応していいかわからなくて、あたしは黙ってセルゲイ殿下の話を聞いた。


「私は彼女が二階の廊下を歩いていて、君が叫んだ後に階段を駆け登ったのを見ているからね。そして君は三階側から中二階の踊り場に倒れ込んだから、そもそもジェグロヴァ嬢が、接触できるわけがないんだ」


 ああ、そういう感じだったんだ。とにかく一瞬のことだったし、イネッサがどこから来たとかわからなかった。


「――よって、突き飛ばした者は他に居るということだ」


 ぎょっとして起き上がりかけて、ズキッとしてまた戻る。ばあやとイネッサが同時に反応して「ダメです!」と言った。


「今、あのとき高等科三階にいた者たちへ聞き取り調査をしている、すぐに犯人をみつけるから安心して回復に努めてくれ。経過報告はジェグロヴァ嬢にしてもらうことにする」


 血の気が引くってこういうことを言うんだな、ってあたしは思った。違うんだって、え、どうしよう。言える空気じゃないよね、これ。だから心の中でだけ叫んでおいた。


 ――あたし、自分で足滑らせたの‼

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