私の婚約者は悪役令嬢。
そう伝えてきたのは婚約者の弟。
自分の姉を『悪役』と呼ぶとは酷い。しかし訪問した際に彼から押し付けられた『
「なにを言っているのかわからないよ」
受け取ったとき、確かに私はそう言った。その時は実際にわからなかったから。――今はもう、わかっている。
私の名はセルゲイという。コマナシスタン皇国のレドネフ王朝にて
弟君の言によると私は
「ロジオン、読んでみてくれないか。レオニート君からもらった書簡だ」
「はい」
腹心の従者であるロジオンに読ませてみた。いつもはあまり表情を動かさない彼でも微妙な顔をした。
「これを、どう思う?」
「は……小説の下書きでしょうか」
「ははは。たしかに。発想が飛んでいるから、そう思えるね。しかし彼は……レオニート君は、どうやら本気で将来私がこうした行動をとるのだと確信しているようだった」
「……そうなのですか。はばかりなく申し上げること、叶うならば」
「許そう。言ってみたまえ」
「かのご令息は……年齢のわりに少々幼いきらいがあると存じます。白昼夢でも見て、それを真に受けたのでしょう」
「……だといいな」
……本当はわかっている。
書状を書いた弟君がいかに幼かろうとも、その内容は捨て置いて良いものではない。
「そもそも、殿下とジェグロヴァ公爵令嬢の他に出てくる『ヒロイン』とは? 名前のない人物が登場する時点で、空想によるもの、と愚考いたしました」
名が記されていなくても、その言葉が誰を指しているのかは私自身には明白だった。私の心には今、レオニート君が言うところの、『ヒロイン』が住んでいる。
『あなたがお姉ちゃんとの婚約をはきしようと、ヒロインと幸せになろうと、ぼくには関係ありません。ただ、お姉ちゃんをぼくからとらないでください。お願いしたいのはそれだけです。』
書簡はそう締め括られていた。
一昨年、私の婚約者として選ばれたのはイネッサ・ジェグロヴァ公爵令嬢だ。幼稚園から同じクラスで育ってきた女性で、選ばれたことに疑問も異存も生じなかった。
ジェグロヴァ嬢は理想的な婚約者だ。その家柄は古いものだが、かねてから右にも左にも反れずまさに中道で、皇太子を差し置いて
同じ学び舎で過ごし、その発言に偏りのないことを見てとれたイネッサ・ジェグロヴァ嬢は、私が心許せるのではないかと感じる数少ない女性でもあり、兄を
しかしその婚約者に対して、ここ数カ月不誠実な態度を取っていたことを認めなければならない。
『ヒロイン』……一年後輩であるヤニーナ・ポフメルキナ嬢のように真っ直ぐな笑顔を向けてくれない……そんな子どものような感情で、婚約者をいくらか避けていたように思う。その時点で、いかに自分が愚かな思考に陥っていたかを知り恥じ入る気持ちだ。そして『ヒロイン』が私の中に深く印象づけられていたことも同時に理解した。
婚約があるわけではない未婚の男女が過度に親しく交わるのは、マナーとしても、社会通念上でもよろしくはないのだから、この状況は望ましいものではない。
私は、義弟のレオニート君に感謝すべきだ。彼がこれを指摘できたということは、客観的に見て私の言動が不適切な状況まできていたということだろう。
あまりの不甲斐なさに言葉なく筆を執る。理解のできなかった部分を淡々と書き出して封をして届けさせた。
一日足らずで返信が届く。自分の嫌なところを直視するようで、ため息混じりに検める。いくつかの疑問が解消されて、更に新たな疑問が湧いた。
『お姉ちゃんはツンデレなんです。言葉の通りにとらえるとは浅はかの極みですね。
お姉ちゃんが目をそらすのは、はずかしいからで、きつい言葉を言ってしまうのも照れかくしです。その後にひとりで落ちこむまでがワンセットです。
そんなことも今までわからなかったなんて本当にあなたはおろかですね。さくっとヒロインの元に行って、ぼくたちに領地きんしん命令をください。』
『ツンデレ』……とは?
また尋ねる前に、自らの目でいくらか確かめることにした。
新年度すぐにはっきりとさせよう。長引かせてよい問題ではなかろうから。