「ヴィランの王、ネゲイション……それが私の名前だ」
私の前でそう話す黒ずくめの男……仮面の奥に光る赤い瞳が不気味な雰囲気を醸し出しているが、ネゲイション……確かに彼はそういった。
ネゲイション……英語の翻訳で考えるならば「否定」を意味する言葉、と言うのはそれほど勉強熱心ではない私ですらわかる。
つまり彼の名前はスキルだけではなく、何かを否定しているという意味にも捉えられ、まさにヴィランを統べる者としての風格のようなものを感じさせた。
組織が拡大していくヒーロー協会は、所属するヒーローの数も莫大なものになっており、ヴィランや裏社会が活発に活動するほど、多くのヒーローが猟犬のように彼等を狩り立てていた。
ヒーローはこぞって治安維持に努め、些細な犯罪も見逃さず治安組織との連携もあって、一時期はヴィラン犯罪も減少傾向に転じていたそうだ。
個人活動が多いヴィラン達はどうしても横の連携が取りにくく、資金面などでも行き詰まるケースが多かったのだが、ある時期を境にその活動が非常に秩序だったものへと変化したことがあった。
その時逮捕されたヴィランの一人が「俺たちには王がいる」と話したことで、ヴィランにも巨大な組織があることを初めて世界は知ったのだ。
「王……ですって?」
「信じていない顔だな? まあ私も王と呼ばれるのは少々気恥ずかしい気分でね、どうぞネゲイションと呼んでくれたまえ」
ネゲイションは仮面の下で引き攣るような笑いをあげるが、ひどくその声は不快で嫌悪感を感じるもので、私は思わず表情を歪めた。
体はまるで金縛りにでもあったかのように動かない……何をしたんだ? 例えるなら全身を凄まじいマッチョに鷲掴みされて指ひとつも動かせない状況、とでも言えばいいだろうか。
固まったように動かない私を見ながら、ネゲイションはゆっくりとこちらへと近づいてくる……いつの間にかだが空は暗く曇っており、頬にポツポツと水滴が当たったことで天気が変わっていることに気がついた。
私の顔を覗き込むように仮面を近づけたネゲイションは興味深そうな瞳でこちらを見るが、ひどくその仕草が捕食型の昆虫を連想させて気分が悪くなる。
「気恥ずかしい……ね」
「私はとてもシャイで人前に出るのはほとんどない、今回は君に挨拶をしようと思って来ただけだよ」
「……私に?」
「先代のシルバーライトニングには大変お世話になってね、ああ……贈り物を送るとかそういうのではなく、私たちは本当に彼女に痛い目を見ているんだ」
先代シルバーライトニング……すでに高齢でヒーロー家業を引退してはいるが、私と同じ女性ヒーローだったと聞いている。
彼女のことを語るエスパーダ所長は乙女みたいな表情で笑うんだよね……恋する乙女って感じで、多分所長は先代シルバーライトニングのことが憧れだったんだろう。
実際若い頃の写真を見たら、めちゃくちゃ美人で驚いた記憶がある、エキゾチックな美人さんという言葉がピッタリ当てはまる女性だ。
それでいて実績は抜群……ヴィランとの戦いで負けたことはなく、過去に起こったヴィランとの大規模抗争において大活躍した記録が残っている。
まあ……この人の実績が高すぎて私のスキル「シルバーライトニング」のレアリティがバカ上がりしてしまったわけだけど。
「そりゃ御愁傷様……でも私は先代ほど有名ではないけど?」
「そうだな、だが君はあの「シルバーライトニング」を保有するヒーローだ」
私の顎をネゲイションはぐい、と結構ごつい指で掴むと無理矢理に自分の視線に合わせるように顔を向けさせてくる……筋肉が硬直しているわけじゃないので、痛みとかはないけど無理矢理に顎を掴まれる感覚は非常に苦痛で私は思わず表情を歪めてしまう。
私が嫌がっている、というのを理解しているのかネゲイションは仮面の下でいやらしく笑うと、背後に控えて黙ったままのオグルへと視線を向けて、何事かを伝えるかのようにじっと彼を見つめた。
先ほどまでの豪気さとは裏腹にオグルはネゲイションに対してはほとんど言葉をかけることはなく、むしろ恐れもしくは忌避感を感じているのか、少し表情を曇らせたままだった。
「先程の会話を聞いていてね、オグル……君はこの女性を手に入れたいのか?」
「いい女だ、俺が本気でぶつかってもおそらく壊れない……」
「無茶を言うな、お前が本気で愛せる女性など存在しないだろう……それこそゴリラでも相手にするんだな」
ネゲイションの言葉にはひどく棘があり、ヴィラン同士も決して忠誠心や愛情、友情や親愛などで繋がっていないことだけはよくわかった。
そしてオグルが先程答えた「俺の女にしてやる」と言う言葉はおそらく本心から出ているものなのだろう……確かに私良い女だけどさ、ちょっと趣味じゃないんだよな。
私が眉を顰めてじっとオグルを見ると、彼は見た目の怖さとは別で内面を示しているかのように恥ずかしそうなそぶりを見せながら私の視線から逃れるようにそっぽを向いた。
それを見たネゲイションは……仮面の下で引き攣るような笑いを浮かべて、肩を振るわせる……それはまるで面白いものを見たかのような仕草だったかもしれない。
「わかったわかった、この場ではこの女を殺さない……本気で口説けばいい、私たちヴィランは有望な子供を欲する」
「……感謝する」
「ちょ、ちょっと待った……何でそう言う話になって」
何勝手に話進めているんだ、と私が抗議を伝えようと声を上げるとそれを見たネゲイションは仮面の前で指をそっと自らの前に立てて「黙ってろ」と言うジェスチャーを見せる。
そしてネゲイションはゆっくりと私の前から離れると、その様子を見ていたであろう会場に唯一残った一般人である会場アナウンサーの方を見ると、ゆっくりと芝居がかった仕草で頭を下げた。
先ほどから何が起きているかわからないまま、黙っているアナウンサー……声の質からすると女性だと思うが、彼女の軽い悲鳴が漏れるのが場内のスピーカーから聞こえた。
それを聞いたネゲイションはゆっくりと顔を上げるとともに彼女に向かって話しかける。
「君の盗み聞きを
『な、何で声が聞こえて……』
「私がそれを認めた、君は私の声を聞くことが可能だ」
『な、何をするつもりですか?』
「言ったろう? スピーカーとして役に立ってもらうと……簡単に言えば、私からの宣戦布告をヒーローに伝えてもらいたい」
「宣戦布告だと……?!」
ネゲイションはゆらり、と姿勢を正すと手を差し出してポーズを見せた……ヴィランの王と名乗る彼の姿はまるでこの場所を全て支配する者としての威厳と、そして圧倒的な存在感を放っていた。
私は全身の筋肉を総動員して何とかして動こうともがくが……だめだ、全くもって私の肉体は自分の意思に反してぴくりとも動こうともしない。
今まで必死に鍛え上げてきたはずの肉体がこうも動かないことに、思わず私は表情を歪めて歯を食いしばるが……おそらくネゲイションのスキルによる効果が圧倒的な強制力をもたらしているのだろう。
そんな私の姿をチラリと横目で見たネゲイションは軽く引き攣ったような笑いを漏らした後、再びカメラに向かって視線を向けると大きな身振りを見せながら叫ぶ。
「そうだ、私たち超級ヴィランはこの国にすでに入り込んでいる……これから私たちはヒーロー全盛の社会に対して戦いを挑むだろう、これは戦争だ!! 私たち虐げられたものと、安穏とした平和に酔いしれる者たちとのな!!!」