「な、なんだ……何がどうなって……」
「コオオオオオッ!!」
私の背後に巨大な煙が舞い上がる中、その中に見えている黒い影……それは大きく身を震わせるような仕草を見せた後、大きく息を吐いた。
凄まじい肺活量なのだろう……その息一つで濛々と立ち込めていた煙が一気に晴れていく……その中にいたのは、人間とは思えないが明らかに人型をした身長二メートルを優に超える巨人が立っていた。
二本の巨大な角……それは額の付近から天に向かって伸びており、雄牛や牡鹿などとは違って非常に直線的な形状をしている。
顔はまるで人を模した人形のようにある程度整ってはいるものの、その中で光る黄金色の瞳がこちらを見つめるたびに、背中が総毛立つような感覚に襲われる。
口元には下顎から鋭い牙が突き出しており、あらゆるものを噛み砕けるであろうことは容易に想像できる作りである。
肌の色は赤黒くまるで赤銅のようにすら思える色合いであり、筋骨隆々と言える肉体はその巨体を支えるのに相応しい彫刻のような美しさを感じさせた。
かろうじて肉体にはボロ切れのような服が残っており、それが余計に目の前の怪物が人間もしくはそれに近しいものである、また知能をきちんと有しているというのを証明していた。
「……鬼……? 人間?」
『な、なんだ……? ステージ上に巨大な鬼……? 二本の巨大な角を持った……え? ヒーローじゃない? ど、どういうこと……?』
「……銀色の雷光、お前を相手するのは少し後だ……最初は……」
喋った?! いや人型だし野生み溢れる姿ではあるが喋るんだろうけど……鬼は私をみて口元を歪めた後、私の背後で膝をついているヒプノダンサーへと視線を向けた。
それに釣られて私もヒプノダンサーの方向へと視線を向けるが、彼は先ほど放ったリバーブローの衝撃で完全に腹部を押さえて動けなくなっており、荒い息を吐いたまま鬼を見つめていた。
口元が痙攣しているのか震えているのかわからないが何か言葉を発しようとしているのか、何事かを口の中で繰り返しているように思えた。
その表情には恐怖が、そして驚愕と困惑の色がありありと浮かんでいる……もしかしたらヒプノダンサーはその鬼のことを何か知っている可能性があるのかもしれない。
ドン……! という軽く地面を蹴る音と共にステージがぐらりと揺れる……私は再び足をもつらせその場に尻をついてしまうが、いつの間にか少し離れた場所に立っていたヒプノダンサーの前に鬼が彼を見下ろして立っていた。
「う……あ……」
「負け犬だナ? お前の役割は終りだ」
『鬼がヒプノダンサーの前に……え? え?』
「や、やめ……」
「……ま、待て……! 何を……!」
場内に流れるアナウンサーの声もひどく混乱している……当たり前だ、こんな状況を見て混乱しないわけがない。
ステージで起きている出来事に観客たちも歓声をやめてひたすらに沈黙と、ざわざわとしたざわめきだけがその場を支配していた。
鬼はゆっくりとヒプノダンサーの頭にその巨大で鋭い爪を持つ大きな手をそっと添えると、まるで果物でも握り潰すかのように静かに握った。
私は本能的にそれを止めなければいけない、と感じて超加速で割り込もうとスキルを使おうとしたが、先ほどのスキル使用の余波で、クールタイム以上に神経へのダメージが大きかったようで、視界がグラグラと揺れてその場に膝をついてしまう。
「グシャッ」という鈍い音と共に、ヒプノダンサーの頭蓋骨が握り潰される。
脳漿と鮮血が鬼の指の間から滴り落ち、絶命した体はステージの上に崩れ落ちた。
「能力ナキ者ハイラナイ」
『……は? ヒプノダンサーの頭……え? は……? はわあアアアアアアアッ!』
『うわああああああッ! ひ、人殺しッ!』
『助けてええええッ!』
『逃げろおおおおおおおッ!』
アナウンサーの悲鳴が会場にこだまするとともに、会場にいた観客が一斉にパニックを起こして悲鳴と怒号が広がっていく。
私はというと頭部を失ってステージの上で倒れている、それまで死力を尽くして戦っていたヒプノダンサーがあまりにあっさりと、しかも無意味に殺されたことに衝撃を覚えて動けなくなっている。
死ん……だ……? ヒプノダンサーがなんで……すでに三回の全力リバーブローで動けなくなっていたとはいえ、彼自身が負けを認めればそこで試合は終わったはずなのだ。
ヒプノダンサーは確かに明確ではないものの私への殺意を持っていたかもしれないが、同じヒーローだ。
こんなあっさり死ななければいけない理由などなかっただろう?! 沸々と怒りが湧き上がるとともに私の体の表面を銀色の電流が流れ始める。
「……おい、お前ッ!!!」
「……グハ……そうだった、銀色の雷光……お前が残っていたな!」
「お前……ヴィランだな!」
私の言葉を聞いた鬼は……キョトンとした表情を浮かべてから黄金色の瞳をギラギラと輝かせて私を見つめる……それはまるで「こいつは一体何を言っているのだろうか?」とでも言いたげな表情であり、不思議なものを見ているかのような色を湛えていた。
しかし……少し間が空いた後に鬼はゆっくりと、だが小刻みに肩を振るわせた後その大きな手のひらで口元を隠すように覆うと、失笑を隠せないかのように何度か息を吐いた。
そして肩を振るわせながら鬼は軽く左右に首を振った後、非常に人間臭い表情を浮かべて咲うと、私に向かって話しかけてきた。
「アア……そうだ俺ハ、お前たちがいうところの「ゔぃらん」に違いない……グハハッ!」
「な、何がおかしい……ッ!」
どうして鬼が笑っているのか全く理解できていない私が思わず顔を紅潮させて叫ぶが、それを見た鬼は笑いを堪えるかのように何度か体を震わせた後、気持ちを落ち着かせるかのように何度も大きく深呼吸をしていた。
鬼のような恐ろしい姿をしているにもかかわらず、動作や仕草はひどく人間臭く、それでいてその巨躯と赤銅色の肌はどう見ても怪物のようにしか思えない印象がある。
そして彼はゆっくりと頭を爪を使ってボリボリと掻いた後、私を見つめて口元を歪めて笑った。
「俺の名前を知らんとはな、まだまだ活動が足りないと見える……覚えろ、俺の名は「おぐる」……」
「オグル……? オグル……?!」
記憶の中に一つだけ当てはまる名前が存在していた……ヒーロー協会が発行しているヴィラン図鑑、これは一般人が姿形や名前を知られているヴィランに近づかないようにという啓蒙活動も含めて発行されている書籍だ。
ヴィランは危険度に応じて等級がつけられており、大半のヴィランは三級から四級止まりとされているが、まあこれを見れば危なそうなヴィランが丸わかりになるという代物だ。
とは言っても世の中に知られていないヴィランに出くわして仕舞えばそれまでなのだけど……で、その中でもとびきり危険な存在とされるヴィランは二級から上に分類され、非常に危険な能力を有しているものは一級と認定されている。
しかし……ヒーロー事務所にはその図鑑とは別に、一級をさらに超える国際手配された超大物ヴィランの名前や、判明している特徴が明記された図鑑が存在している……そこに書かれたヴィランは長年悪事を働き続け、危険すぎるためにヒーローですらなかなか出会わないとされているレアな連中なのだが……。
その超級ヴィランの中でも、有名かつ凶悪すぎてヒーローですら逃げ出しても文句は言われない暴力の権化とされる存在があった。
二本の巨大な角、人間とは思えない巨躯、そして赤い肉体……目の前に立っている殺人者……その特徴が図鑑に掲載されているある一つの名前へと当てはまった。
「……超級ヴィラン……オグル……ッ!!! やはり本物なのか……ッ!?」