——ヒプノダンサーこと
自分がそうしたいなどと思ったことは一度もない。
幼い頃はヒーローに憧れ、自分も努力すれば活躍して皆に認められる人物になれるのだと信じて疑わない時期もあったのだ。
もともと踊りの才能を持ち、ダンサーとしての将来を嘱望されていたこともあり、彼自身は目立つことを好む傾向にあった。
しかし彼は個人的な戦闘技術において他者よりも優れた存在になることはできなかった……踊りを流用した格闘戦術などにも挑戦したが、その全てが二流という烙印を押されてしまったのだ。
幾度かの挫折により彼は傷つき、そして次第に裏社会の人間に取り込まれていくようになった……最初は生きるための小銭を稼ぐために。
しかしいつしかそれが目的となったかのように、彼は目立たないヒーローとして道を踏み外し悪の道を歩むようになっていった。
若い頃にヒーロー事務所「フェアリー・テイル」にスカウトされた時には、ここから自分の輝かしい未来が始まるのだと期待を膨らませて先輩ヒーローのサイドキックとして一生懸命に働いていた時期もあった。
しかし……現実はそう甘くはない、彼の持つスキル「ヒプノダンサー」は効果こそ強力無比だが、見た目の派手さに欠けることもあり、目立つような成績は収めることができなかった。
気が付けば事務所は新しく入所した新人の持っていた派手なスキルに目を奪われ、いつしか彼はお荷物扱いとなっていったのだ。
『……君のスキルは強いんだけど地味だよね』
あの時困ったような顔をして自分にそう話してきた事務所の先輩は、数年前に事故で亡くなった……だがそれは復讐を兼ねて彼が裏社会の人間と共謀して罠に陥れた結果なのだ。
命を落とす間際に姿を見せた彼を見た先輩の驚いたような視線は彼の復讐心をほんの少しだけ満足させるとともに、彼自身に残された最後の良心を完全に消失させていた。
それからも彼はヒーロー以下、ヴィラン未満の存在として暗躍し続けた……いつしか彼の海外にある隠し口座にはかなりの金額が記録されるようになっていた。
これだけあれば引退して海外に逃げて悠々自適な生活を送れる……気が付けばすでに両親も他界しており、彼自身も日本という国に未練は感じていなかった。
もうこの辺りが潮時だと判断しヒーローとしての引退を申請しようと考えていた矢先、彼は海外カジノで莫大な借金を背負うことになる。
絶望しつつ、なんとか負けを取り返そうと躍起になっている彼の前にヴィランが現れた。
『やあ、君の噂は聞いているよぉ? 借金帳消しにして最後の一稼ぎ……あーし達と手を組まない?』
その出来事はいわゆる運の尽き、というものだったろうか? それとも更なる幸運か?
目の前に現れた凄まじい恐怖……ヒプノダンサーが今まで相手をしていた裏社会の悪党どもが可愛く見えるほどの圧倒的な邪悪は、驚くほど無邪気な笑みを浮かべて彼へと微笑んでいたのだ。
ヴィラン「ファータ」……そしてそこから繋がる数人のヴィラン達は、ヒプノダンサーへと十分な謝礼を支払うと数々の命令を下した。
実は表沙汰になっていない事件などが数多く存在する……先日の脅迫事件などは表層にあるちっぽけな出来事に過ぎない。
だが……その命令に従ううちに彼は自らの良心や疑問を次第に感じなくなっていた。
「はっはーッ! ガール! こっちだぜいッ!」
「ぐ……なんだこれっ……!」
彼が持つスキル「ヒプノダンサー」は相手の視界に捉えられた自らの体の動きにより、対象へと強力な催眠効果をもたらす。
対象の意識ははっきりしていて覚醒状態にあるのだが、深層心理の一部に干渉して幻覚を知覚させるというものだ。
スキル効果は地味ではあるが、非常に強力で自分の位置や行動を対象に認識させることなく実行できる点にある……つまりシルバーライトニングが視認しているヒプノダンサーの位置は、偽装された情報となって彼女に伝えられている。
しかもこのスキルは派手さが無い分相手にそれと認識されにくく、今まで彼と戦った相手は何が起きたか分からないまま意識を失っている。
催眠効果はほんの一瞬……だが、その一瞬がヒーロー同士の戦いでは致命的な差になり得る……それ故に強者であればあるほど、彼の幻覚に惑わされ困惑し、そしてなす術なく倒されてしまう。
ブラス・バレットも本来の実力だけで言えばヒプノダンサーよりも遥かに高い戦闘能力を持っているが、それを発揮させることなく彼は今までの戦いで勝利し続けていた。
だが……シルバーライトニングは今まで戦った相手と違い、既の所で彼の攻撃を察知して防御を行なっており、致命的な一撃をなんとか防いでいる。
「……こいつ……攻撃を察知して……」
『すごいぞシルバーライトニング! まるで攻撃を察知していない感じですが、ギリギリのところで防御の成功している!』
「くそっ! 攻撃がなんでこっちから……!」
シルバーライトニングはヒプノダンサーの攻撃を防御しているが、反撃する方向は明後日の方向であり、スキルの効果がなんであるかを理解しているとは思えない。
銀色の稲妻という名前が示す通り、彼女は圧倒的に優れた反射神経を持って、ヒプノダンサーの視覚外からの攻撃を防ぎ続けている。
それはヒプノダンサーが心より欲したものの、手に入れることのできなかった圧倒的な戦闘能力……目の前の少女は彼の想像を超える戦闘巧者であった。
ヒプノダンサーの拳を受け止めたシルバーライトニングの赤い瞳と目が合うが……その瞳には絶望や恐怖の色は一つも浮かんでいない。
「これだけのスキルを持っていて……」
「……あ?」
「……
シルバーライトニングの凄まじい剛拳が迫る……彼女の言葉に死角を狙って移動していたヒプノダンサーの動きが一瞬だけ鈍ると、その拳は凄まじい音を立てて彼の腹部へとめり込む。
スキルを使えば簡単に避けれたはずの一撃がなぜ避けられなかったのか……ヒプノダンサーの脳裏に疑問が浮かぶ。
ドゴオオッ! という轟音と共にヒプノダンサーの身体がくの字に曲がり、彼は思わずその凄まじい痛みに悶絶した。
凄まじい拳……まるで当たった場所が一瞬吹き飛んだかのような衝撃と、肺の中にある空気が全て体外へと吹き出したかのような苦しさに思わず目を見開く。
理不尽すぎる拳の一撃……ヒプノダンサーが手に入れたくても手に入れることの出来ない圧倒的な破壊力……これだけ散々スキルを使って撹乱し、痛めつけたにもかかわらずシルバーライトニングの瞳からは強い意志の力を感じる。
『当たった! ついにシルバーライトニング、変幻自在のヒプノダンサーへと凄まじい拳を叩き込んだーッ!』
「ぐお……ふざけ、ふざけるな……ガール、お前の拳は酷すぎるぜ!!」
「当たった……?! この調子で……ッ!」
シルバーライトニングが再び拳を振り抜くが、ヒプノダンサーは少し重くなった足を無理やり動かしてステップを刻むと、位置を偽装しながらすぐさま距離を離していく。
彼女の拳は空を切るが、先ほどの一撃はヒプノダンサーの体に凄まじいダメージを与えていた……思ったように足が動かない。
ヒプノダンサーは何度か自らの腿を拳で叩くと、震える足にそっと手を添えた、理不尽すぎる一撃……先ほどまでのように速度で撹乱することはもうできないだろう。
それくらいのダメージをたった一撃で肉体に刻まれた……彼には決して持つことの出来ない圧倒的な力……彼の中にある羨望と嫉妬、そして純粋に力だめしをしたいと思うかつての気持ちが湧き上がっていく。
「ヘイヘイッ、筋肉ガール……! 俺に一撃を入れるたぁ、すげえな……だが次で俺が殺して見せるッ!」