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第一五話 グリス・エスペスーラ

 ——第一印象は気の弱そうな人間だな、と思った……だが、それは目の前に座る若者が周囲を油断させるためにずっとそうしてきていた擬態だということに気がついた。


「……貴女がペルペートゥオさん?」

 灰色の髪はいわゆる白髪などではなく艶のないのっぺりとした色合いをしていて、それを見たペルペートゥオは今までにない色だなと不思議な気分になった。

 パッとしない外見……整ってはいるが、少しこけた頬と顔色の悪さは栄養状態がそれほど良くないことを示している……ヨレヨレの研究衣は薄汚れており、彼が研究を主とする職業についていることが理解できる。

 自分を見つめている緑色の瞳は時折どこか落ち着かないようにあたりをキョロキョロと見回しており、怯えているのだろうか? とふと考える。

 だが瞳の中には怯えとは違った色合いが浮かんでいるように思えて、彼女はそれがなんであるのかを長年の経験から気がつくと口元に微笑を湛える。

「その名前はここでは遠慮してもらえると嬉しいわね……こちらが表の顔なの」


「……英語ですねオカムラ……アイル、カリン……岡村・アイル・かりん? どこかで聞いた名前だと思ったら、先日メディアに出ていましたよね?」

 今二人は都内にある小さな喫茶店……だが組織の息のかかった「金さえ払えば口を噤む善良な」店主が経営する安全な場所にいる。

 この場所は裏社会、ヴィラン組織双方が少なくない金を払っている店の一つであり、東京都内には星の数ほどこういった場所が存在している。

 ヒーロー協会ですら余程のことがない限り踏み込めない……彼らもちゃんとした依頼を元に活動を進めており、一方的にこういった場所に踏み込むような権限がないからだ。

 テーブルの上に差し出された名刺を見た若者は何度か視線をペルペートゥオの顔と名刺に往復させながら、少し驚いた表情を浮かべる。

 新進気鋭のAIベンチャー企業を立ち上げ、数年で大企業化まで持っていったという若手で最も有名なアントプレナーにして女社長「岡村・アイル・かりん」……少し謎めいた私生活と、美しい顔立ちでメディアでも話題に事欠かない。

 AI……つまりアーティフィシャル・インテリジェンス技術に基づいた、自動化とロボット化により効率化を二〇パーセント以上も高める特殊なソフトウェアを開発したウォー・ゾーン社の創業者でもある。

 現在ではいくつかの大企業……特に日本国内においてデジタル・トランスフォーメーション化の遅れている企業にとってウォー・ゾーン社のAIソフトウェアは恐るべき効果を発揮し、社内システムなどの大半が同社のソフトウェアが納入されているというとんでもない企業である。

 表の顔においてこれほどまでに成功しているヴィランは非常に珍しいケースであると言える。

「表の顔は誰にでも必要なの……貴方もそうでしょう? グリス・エスペスーラさん」


「……それで? 超大企業の社長様が何の用で?」


女郎蜘蛛シルクスパイダーから聞いてるのではなくて?」

 ヴィラン仲介組織の一つである女郎蜘蛛シルクスパイダーは目の前に座るグリス・エスペスーラをペルペートゥオへと紹介してきた。

 組織の中には置けないという判断が下されたヴィランではあるが、パーソナルデータを受け取ったペルペートゥオからすると単純に使いこなせないだけだという理解をしている。

 グリス・エスペスーラの能力は何もないところに草むらや、藪を出現させるという特殊な能力だそうだ……だそうだ、というのもヴィランのスキルは基本的に自己申告であり、正確な報告がなされるケースは極めて少ない。

 もしかしたら目の前の若者は更なる能力を隠し持っていてもおかしくはないのだ……というより確実に何か隠している、とペルペートゥオは考えていた。

「……仕事があるのよ、だからその仕事の護衛をお願いしたいの」


「荒事向きのやつに頼めば良いでしょう」


「手配している物が物だけにね……あんまり強面の人を連れていくと印象が悪いのよ」

 海外より手配した薬物……これは裏社会へと流す物でありヴィラン達向けのものではない。

 ただ最近ヒーローの活動が活発化していることもあって、裏社会からは護衛にヴィランを派遣してほしいという依頼が舞い込んでいた。

 スキル発現者の中でも特にヴィランとして活動するものの中には外見すらも大きく変化し、すでに表社会では生きていくことが難しいレベルの者も存在している。

 港湾施設には一般の作業員なども働いておりそのような場所へ怪物のような姿をしたヴィランを派遣することは難しい……というのがペルペートゥオらヴィラン組織の意向である。

 彼らとしても何もなく任務が完了すればそれはそれで良いのだ……暴れたいだけのヴィランは組織行動には向いていない、長年の活動により彼女達はそれをちゃんと理解していた。

「……それと俺のテストも兼ねている感じですか」


「よくわかってるわね、そういうことよ……組織で生きているかどうか、私たちも単なる無法者は欲しくないのよ」

 ヴィランとヒーローの戦いが激化した時期は無法者が重宝されることもあるのだが、今は平時である……そんな時期に暴れるだけの存在を仲間に引き入れても組織が瓦解するだけ。

 長年の活動でそういった経験を積み、現代のヴィラン組織は高度に進化をしていた……ペルペートゥオが表の顔を持ち、企業活動で莫大な利益を得ているのも一昔前では考えられない行動なのかもしれない。

 ウォー・ゾーン社での活動によりヴィラン組織の資金力は凄まじく膨れ上がっている……特に旧態然とした大企業や商社の機密情報を手に入れ、彼らの流通経路に自らの仕事を載せるなど、すでに一部の業界ではヴィランの息が掛かっていない会社を探すのが難しいほど日本社会に深く浸透を続けている。

「……それで、待遇はいかほどに」


「ふっ……まあこのくらいね」

 テーブルの上にペルペートゥオが差し出したタブレット……アメリカ製のマスプロダクトモデルで日本国内で最も人気のある高級モデルだったが、グリス・エスペスーラはその画面に映し出された数字を見て少し意外そうな表情を浮かべた。

 その金額は彼が以前一般人に紛れて研究員として働いていた時とは大きく違う莫大な金額だったからだ……それだけあれば一年間は何不自由なく暮らせるだろう。

 まだ組織入りを明言していないグリス・エスペスーラに対して、この金額を提示してくるという行動に少し迷いが生じる。

 彼の顔を見てペルペートゥオは満足そうに微笑むが、その瞳は全く笑っておらずむしろ目の前に座っている若者を値踏みするような冷静な光が灯っている。

「……危険手当も込みということか? なら納得だが」


「そうね……残念ながら我々の組織は福利厚生などなくてね、そういった手当も込み」


「そのほかは?」


「無事に仕事が終われば報酬も増額するわ」

 迷う必要はないだろう……グリス・エスペスーラはすでに生活に困窮し始めており、自前で育てた違法な植物の横流しも今は目溢しをもらっているが、これ以上販路を拡大すると裏社会からの横槍が入るだろう。

 いや、それだからこそ今目の前にヴィラン組織の幹部であるペルペートゥオが現れたのかもしれない……「これ以上は見て見ぬふりをしない」という裏社会からのメッセージも含まれているに違いない。

 断ることは難しいだろう……グリス・エスペスーラはもはや退路がほぼないことに気がつくと、軽くため息をついた。


「……わかった、組織と手を結ぼう……仕事の内容を教えてくれ」



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