——都内某所……裏通のどこかにある小さなカウンターバーで。
「……パフアダーは今売り切れてる、供給元が品切れでね」
グラスを磨きながら初老のマスターが独り言のように呟く……裏通りにあるバーとしては閑散としていて人の入りは非常に少ない。
それでもこのバーには数人の客が屯しており、それぞれが思い思いの方向を向いて静かに酒を楽しんでいる……店の名前は「
バーのマスターは白髪、白髭の男性であり背は高く一九〇センチメートルを超えているが、印象派はとても柔らかく温和な人柄が滲み出ているようにも思える。
「だからこのカクテル・オルパシオンってわけ?」
「……常連客にはおもてなしが必要だろう?」
マスターの正面に座る美しい美女が独り言に応える……年齢はわからないが、それでも三〇代後半程度に見えるだろうか? 若々しい美貌と深い藍色の瞳が少し暗い照明の中でぼんやりと光っている様に思える。
長い黒髪は艶かしい艶を帯びており、男性が見れば思わず触れたくなるような色気を感じさせ、さらにその女性は服の上からでもわかるほどスタイルの良さが際立って見えた。
彼女の前には入店直後に何も言わなくても出てくるカクテル……カクテル・オルパシオンと呼ばれる鮮やかな虹色の液体が入ったショットグラスが置かれている。
美女は笑みを浮かべながら軽くグラスの中身を見つめた後躊躇することなく、ぐいと一気に飲み干すと少し荒っぽくテーブルへとタン! という音と共にグラスを置いた。
マスターはそんな色香を漂わせる美女には視線を向けずに黙々とグラスを磨きながら、また独り言を呟き始める。
「ま、お前にとっては全て予想の範囲内か」
「うふふ……美味しいお酒ね、次は今日のおすすめを教えていただけるかしら?」
「……今のおすすめはこれだ」
マスターは少し考えた後に手際よくカクテルを作り始める。
少しの間をおいて美女の前にカクテルグラスが差し出されたが、先ほどまで飲んでいたカクテルとは全く違い、少し濁ったような灰色の液体が混ざり合ったものだった。
グラスの淵には爽やかな香りを放つハーブが添えられている……美女は少し眉を顰めると、グラスを手に取って中身を確認するように匂いを嗅ぐが、外見は奇妙ではあるがきちんと飲めるものらしい。
混ざり合う灰色の液体に少しだけ躊躇するもその様子を見ていたマスターの目が嘲笑の様な色を帯びていることに気がついたのか、美女は黙って口に運んだ。
「……少し苦味があるわよ? これが
「このカクテルの名前はグリス・エスペスーラ……灰色の草叢とでも表せば良いかな」
「グリス・エスペスーラ? ふぅん……バイトが考えてるのかしら」
「金がない学生上がりだが腕はよかった、もし都合がつけば仕事に役立つだろう」
マスターの言葉に美女はふうん? と少し考える様な仕草を見せる……このバーにおけるマスターとの掛け合いは符牒となっていた。
この
このバーの常連客は裏社会の人間が多く、ヴィランも来店するがどこにヒーロー側の目がついているのかわからない以上、ここでの会話は全て
これらの符牒は長年仕事仲間、もしくはライバルをヒーローとの戦いで失ってきたヴィランと裏社会が考え抜いたものでもあった。
そしてテーブルに座った美女は組織化したヴィランの幹部の一人であり、長年警察、日本政府そしてヒーロー協会が長年追い続けてきた古参ヴィランの一人。
ペルペートゥオ……それが裏社会における彼女の名前であり、ヒーローがその名前を聞けば地の果てまでも追いかけるであろう悪逆非道を尽くした凶悪な犯罪者でもある。
「アルバイトの経験豊富なのかしらね?」
「そこらへんの悪ガキよりマシさ、最近は質が落ちてる」
「なら、お店に戻す必要はあるかしら?」
「必要ない、もうバイトは雇ってあるんだ」
ペルペートゥオはマスターの言葉に少し苦笑いを浮かべて肩をすくめる。
戦闘能力は一般人よりはるかに強いだろうが、ヒーローほどではないが裏社会の半グレでは太刀打ちできないレベルであるようだ。
そして仕事終わりにそのヴィランをどうするか聞いてみたが、どうやらこの組織では利用価値がなくなっているようだ。
つまりていの良い廃品利用、もしくは捨て駒として使っていいという合図……どうやら裏社会で仲間に守ってもらえなくなるようなヘマを起こしたか、性格的な問題で爪弾きにされているか。
少し上目遣いで抗議の意味を込めてペルペートゥオはマスターを睨みつける……彼女達の組織は廃品回収を目的としていない、ちゃんとした能力をあるヴィランを集め人類社会に変革をもたらすという崇高な目的があるのだから。
だが、そんな彼女の抗議もどこ吹く風か、マスターは鼻をフン! と鳴らすと再びグラスを磨きながら独り言を話し始める。
「性格がウチ向きじゃないんだ、優しすぎる」
「……それって致命的なんじゃないの?」
「だが仲間思いであることは間違いない、そういった意味でもこのカクテルは少し苦味があるのさ」
符牒を使わずに話し出したマスターに少し驚きつつも、廃品回収というよりは組織の移籍をお願いしているということか……ペルペートゥオが所属している組織は拡大を続けており、仲間は一人でも欲しい。
だが仕事ができない仲間を入れても仕方がないため、結果的にこういった場所で地道にスカウトを続けるしかない。
ヴィランは裏社会の存在であり、表立って活動などは避けているものが多い……そのため彼らの多くはこういった組織に紛れ込み、より良い条件や気の合う組織を求めて移動をくりかえす。
グリス・エスペスーラはこの
中には数十回組織を変えていくヴィランも存在し、中には組織を裏切って別の組織に情報を売り渡すものすら存在する。
下手にヴィランを内部に入れると組織崩壊の可能性が出てくるが、
「……おすすめというならお金は払うわ」
「ありがたい、うちも火の車でね」
「では、いつものように」
「毎度どうも」
ペルペートゥオはにっこりと微笑むと、小さなカバンから特殊な色をしたカードをテーブルに置く……もちろんこれは一般的なクレジットカードなどの類ではなく、符牒として使われる「了承」を意味するものだ。
マスターはそれを受け取るとレジに移動して何やら操作を始める……小さな機械にカードを入れて操作を行った後、彼は黙ってカードを抜くと再びペルペートゥオの前にカードを戻す。
裏社会でありながら表の企業と結びついている組織やヴィラン専用に発行されているカードが存在している……このカードを使用しているものはヴィランの中でも組織の幹部クラスでしか所持を許されていない。
そのことからもペルペートゥオはヴィランの中でも上位に位置する存在であることがよくわかるのだ。
それを再びカバンの中へと仕舞い込むと、彼女は微笑みながら席を立ち、マスターへと軽く手を振ってから入り口へと歩いていく。
「……それじゃまた来るわ、次はもっと良いカクテルを教えてね」