それから数日後、矢島や中村と話す月曜日を迎えた。私は矢島と一緒に美津子や中村がやってくるのを待っていた。
今日はどんな話になるのか、ランチタイムが終わり後片付けをしている時から矢島がいろいろ尋ねていた。しかし、今日みんなに話すことは1人だけ先に話すような内容ではない。全員揃った上できちんと話すことが筋であり、そうしなければこれからやってくる中村が不快な思いをするかもしれない。だから私は矢島の質問をうまくはぐらかし、他の話題へと持って行った。
「コロナ、どうなるだろうね」
「先月の終わりに営業時間の短縮要請が出ましたよね。まだこれまでの業績が回復していないところなので、ウチとしても厳しいと思っていましたが、それでもランチタイムやまだきちんとはできていないけれどお弁当の企画などもスタートしていますので、そういうところが少しずつプラスになっていると思います。コロナの収束は専門家じゃじゃないので分かりませんが、我々ではどうしようもないので、やれることをやり、仕事としてはつぶれないように工夫していくだけだと思います」
相変わらずの力強い言葉だった。
確かにコロナのことが社会的に大きな問題になった時、私たちは全員でいろいろ工夫し、そして頑張ってきたつもりだ。その経験をベースにした矢島の発言だったのだろうが、こういう言葉を聞くとこれから4人で話すことについても何となく安心している自分がそこにいる。矢島や中村にとっては突然の話なのでびっくりするだろうが、いずれ話さなければならないし、2人の気持ちがまとまらない場合は別の方向性も考えなければならない。そこは話してみなければ分からないが、この時間に矢島と話していると私の心配が杞憂なのではと思うところがある。
でも、人の心は分からない。もしかすると、私と美津子だけが別の世界にいて、この世界とは異なる動きをしているのではという思いもある。特に仕事に復帰し、矢島たちと接していると特にそう思う。帰宅し、美津子と話すことで再び自分の考えに戻るが、いろいろな考えがあちこちと飛んでいる自分の心が見えてくる。
ふと、美津子はどうなんだろうと思うことがあるが、気持ちの揺らぎを感じさせない。意識してそうしているのか、今になって心が揺らいでるのは自分だけなのか、と考えてしまうが、そういうところを思う自分が嫌になることがある。これまで居酒屋の仕事では率先していろいろなことを決め、そして良い方向に進んできた。
でも、今はそういった羅針盤が落ち着いて作動しない。これも年齢のせいかなとも思うが、そういった無責任なことは思いたくないという自分が自分を叱咤する。最近、こういった迷いばかりを感じるが、もうすでに動き出しているわけなので、ここで止まるわけにはいかない。コロナ感染第2波が見えている今、本気の経営が求められるし、今みんなの生活のベースになっているこの仕事を守り、かつ自分の方向性も求めるという話を今日、きちんとみんなに話し、協力を乞うようにしなければならないと改めて自分に言い聞かせた。そして、みんなに話すことで後戻りできない自分の立場を作り、次のステージを求める、ということを心に決した。
矢島と話しながら、心の中とのギャップを感じていたが、自分に対する言い訳をいろいろ考えつつ、コロナの話を中心にした世間話に終始した。