その話を聞いて美津子が口を開いた。
「今の工藤さんのお話し、私も理解できます。さっき、私たちが今日の説明会に参加し経緯をお話ししましたが、先生の本も何冊か知り、その内の2冊を読みました。その上で今日のお話を伺いましたが、伊達先生には何と言うか、技術や考え方に対する自信のようなものを感じました。私たちは他の学校の見学はしていませんが、さっき伺ったお話から多分行くことは無いと思います。あなたはどう?」
突然話を振られたが、この件に関しては美津子と同じ意見だ。私たちの場合、もともと技術力については信頼している。もちろん、こういうことは施術する人の力量もあるので、他の卒業生がどういうレベルか分からないし、私たちが学んでもどこまでしっかり習得できるかも分からない。だが、もしやると決めたら一生懸命努力する気はあるし、それは居酒屋の経営の時もそうなので、このことは時間がかかっても商品としての技術力について磨いていくつもりだ。となると、私の答えは決まっている。
「家内が言った通りです。私も他を見に行くつもりはありません」
私が答えた後、桜井が再び口を開いた。
「それで皆さん、勉強した後はやはり開業を考えていらっしゃいますか?」
「僕はその方向で考えています。さっきお話ししたように今無職だし、何か仕事をやらなければなりません。家族がいますのでなるべく早く方向性を決めたいと思っています。幸い、退職金やこれまでの貯えがありますし、妻も働いていますので、生活のほうはしばらく何とかなります。卒業後、開業するための資金も必要ですので、なるべく素早い動きをと考えています。でも、今日の話でほぼ決定ですけど・・・」
「ほう、それはうらやましい限りですね。ウチの場合、家内は専業主婦ですので、私が働かなければなりません。いろいろあってもなかなか会社を辞められないのはそういう事情があるからです。退職金がそれなりにもらえそうなタイミングで辞めたりできれば少しは違うのでしょうが、今はそういう状態なので思いはあっても現実問題としてなかなか動けない、というのが実情です。そういうことも関係するのでしょうか、さっき私が言った授業見学の件についても、ネガティブなところを強調し、動こうとする自分の心にブレーキを掛けようとしているのかもしれません。私もさっきの話はきちんと理解しているつもりなので・・・」
私は桜井の話を聞き、それぞれの事情があり、そのために自分が思っていてもなかなか実行できない事例を現実のものとして耳にした。
転職の際、私たちの年齢なら家族がいることが多いので、自分がその気でも周りの意見も考慮しなければならないわけでが、幸い私たちの場合、一緒に説明会に出席し、事前に考え方も擦り合わせてあるので、桜井の場合よりはずいぶん恵まれていると思った。たぶん美津子も同じように考えているのだろうが、この点は家に帰り、改めて確認することにした。
この後は将来のことなどを小一時間話し、コーヒーもすべて飲み干したので、もし学校で再会できたら、ということで別れた。