伊達はさらに説明を続けた。
「私は講座で『整体』は文字通り整った身体を意味し、『整体術』と言う場合は歪んだ身体を基通りするための具体的な技術体系を意味するとお話ししています。つまり、歪んだ身体・狂った身体を『整体術』によって『整体』の状態にすることと考えているわけです。この講座を学ぶ方の場合、そういうところについてはあまり関心を持っていないように見えますが、実はこういった定義をすることで具体的な内容がより明確に見えてきて、施術による結果を考える時のベースになります。だから、実際の講座でもこういった言葉の定義的なところからスタートし、そこから皆さんが普通に意識する具体的な勉強が始まります。私はこういうことは学びの最初の段階できちんと意識すべきだと思っていますが、再入学される方の場合、意外なほどこういう認識を持たれていないことが多く、だから現場に出て方向性を見失うのではと考えています。もちろん、こういう概念的なことを知るだけでは現場では役には立ちませんが、表には見えなくても根底にどのような意識を持っているかはやがていろいろなところで違いとなって表れてきます。この中には私が武道をやっているということをご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、武道の稽古は基本を大切にします。その出来如何でその後のレベルも変わってくることになり、だからこそ『極意は基本の中にあり』とまで言われます。ここで教授する『整体術』の中にもそこで用いられている身体の使い方の知恵が含まれており、精妙な技術の共通箇所を基本と意識する点は同じなのです。そして、その基本の基本となるのが体系全体に通じる考え方であり、この点を最初に理解していただくことで現場での皆さんの仕事のベース作りになるよう期待しているんです」
私は伊達の説明にびっくりした。美津子をはじめ他の参加者の顔を見ても表情が違っており、ここだけ聞いていてもすでに講義の一部という感じだ。その上でこれまで漠然と意識していた言葉の意味が明確になったような感じがし、勉強したいという気持ちが強くなっていた。ただ、卒後は開業までこぎつけ、さらに生業として成功させなければならないが、そういうことは帰ってから美津子と相談しなければならないと思いつつ、学びたいという気持ちのほうは強くなっている自分の心を実感していた。
伊達はこの後、ここで出てきた『整体』と『整体術』という言葉についてさら深く踏み込んで説明したが、奥田の施術を経験した身からすれば、今、伊達が話したことは身体が体験した、という思いがしていた。同時に、私が奥田の施術に他と違うところを感じたのは単に技術の違いだけでなく、根底にあるこういった考え方が大きいのではないかと思うようになった。
簡単ではあるが学びの基本になりそうなところの説明がこの後も続いたが、今は講義の時間・場ではない。あくまでも学びを考えている人たちへの説明会だ。そのため、具体的なカリキュラムについても話が及んだが、技法体系のベースが東洋医学に基づく経絡調整、解剖学などの現代医学に基づく骨格調整のプログラムがあるという。もちろん、その前段階でいろいろな基礎知識を学ぶ座学の時間があり、その中にも今聞いたこと以上の『整体術』を現場で用いる時の知識や意識、将来のことに関係する講義もあるということで、単に技術を学ぶだけではない、ということがきちんと説明された。その後で控えているのが代表的な症例に対する施術法であり、さらにその上に模擬実践の課程まであるとのことで、これまで再入学された方の場合、この最終課程が大変気に入った、という人が多かったとのことだった。