「天堂おまえさ、高嶺瑞希にストーカーしてるって本当なのか?」
「はい?」
どことなく言いにくそうな顔で俺に問うてくる担任の先生に、俺は聞き返した。
放課後、職員室の中だ。
どこか弛緩した空気の漂う雑然とした職員室の中で、俺だけが一人、緊張してしまった。
成績や進路の話で呼ばれたかと思っていた俺にとって、とてつもない不意打ちだ。
俺は意識的にいぶかしげな顔を作り、伺うような目で先生に問い返す。
「えっと、どういう話でしょう先生」
「……うーん、まあいいか言ってしまうか。実はな今日、当校宛にそういう通報があったらしくてな。先生方の間で少し問題になっている」
「身に覚えがありませんけど……」
俺はしらばっくれた。
もちろんストーカーなわけではないが、最近高嶺さんと仲良くさせてもらっている。
が、そのことは学校関連の人にバレたくない。
バレれば絶対に大きな反響を呼んでしまう。
高嶺さんも好奇の目に晒されるだろうし、俺なんかは単純に一部男子たちの恨みを買ってしまうだろう。
それは、俺たちが居心地悪い学校生活を余儀なくされてしまうことを意味していた。
「天堂と高嶺は今、同じマンションの隣同士の部屋に住んでいるんだって?」
「え? あ、はい」
なぜそれを? と一瞬思ったが、担任なのだから俺たちの住所を把握していても不思議ないか。でもなんの為に聞いてきたのか、それがわからないので俺は控えめな語調で返事をした。
「俺も通報で聞かされるまで迂闊にも気づいてなくてな。これは偶然なんだよな?」
「と、言いますと?」
「通報でな、天堂がわざわざ高嶺の部屋の隣に引っ越してきた、と言ってたらしいんだ」
「そんなわけ――! ないじゃないですか……」
危ない、思わず声が大きくなりそうだった。
話題が話題だけに、あまり周囲から目立ちたくない。後半の語気を弱めて、俺はかろうじて冷静な形を維持した。
「そうだよな、うん。先生も、天堂がそんな奴とは思っていないんだが、まあ一応な」
「なんならそこは調べてもらえればすぐわかりますよ。俺の方が高嶺さんよりも先にあそこに住んでますから。どんな人なんです? そんな事実無根の通報をしてきた人は」
「すまん、それを告げるわけにはいかないんだ天堂」
「そうですか。……それはそうでしょうね、すみません」
俺は先生に頭を下げた。
ちょっとエキサイト気味だったと反省。先生にも立場があるだろうしな。
「天堂は話もわかるし大人だな。そんな天堂が問題を起こすわけもなし、と」
先生は苦笑した。
俺を見る目が好意的に思える。俺は内心でホッと胸を撫でおろした。
「まあ悪かった、一応話を聞いておかないと、他の先生方の手前俺も立場がなくてな。問題なしと報告しておくよ」
「ありがとうございます」
「だがあれだぞ天堂。教師の立場でこういう言い方もアレだが、高嶺は校内でも人気が高い女子だ。距離感に気をつけないと、おまえが痛い目をみてしまうかもしれないから注意してくれな?」
はい! と俺は返事をして職員室を後にした。
気を遣ってくれている先生に感謝だ。
学校の帰路、俺は歩きながら色々と考えてしまった。
いったい誰がそんな話を通報したのだろう。高嶺さんと一緒にマンションに入っていく姿でも誰かに見られていたのだろうか。だとすると、近いからといって一緒にスーパーへ買い物に行くのもよくなかったか。今後は控えた方がいいかもしれない、和音ちゃんは少しがっかりするかもだけど。
最近慣れてきすぎていて、気が緩んでいたかもしれない。
そうだよな、俺たちの関係が学校でバレたら高嶺さんが大変だ。ただでさえ人見知りをおして友達と付き合っている彼女の負担を増やしたくない。
それに今は、高嶺さんが少しづつ人見知りを克服していこうと頑張っている最中だ、水を差したくないということもある。
ちょっと自重していかないとな。高嶺さんの為にも、自分の為にも。
――などなど。
一人考えごとに耽りながらマンションの前に着いた頃、突然俺に話し掛けてくる人がいた。
「あらあら、浮かない顔」
それは聞き覚えのある声だった。そして聞きたくもない声だった。
足を止めてしまう俺。
きっと俺はそのとき怪訝な顔をしていたに違いない、
「垣崎……さん?」
「どうしたのかしら、学校で先生になにか言われでもしたの?」
「――――!?」
俺は思わず眉をひそめてしまう。
そうだ。マンションに一緒に入っていくところを見られたところで、隣同士であることまでバレるはずはない。
失念していた。誰が通報したかなど、限られた範囲でしか可能性がなかったのに。
だけどしかたない、まさかそんなことまでしてくるだなんて、正直思っていなかった。
「通報したのは垣崎さんだったんですね」
「言いがかりはやめて欲しいものねぇ。でもほら、学生の風紀を憂いる方なんてどこにでもいらっしゃるでしょうから」
ほほほほ、と勘に触る声で笑う垣崎さん。
別に自分がしたことを隠す気はないようだけど、狙いはなんなのだろう。
「天堂くん!? 叔母さん!?」
「カズオミお兄ちゃん!」
そのとき声が上がった。
道路の向こうから高嶺さんと和音ちゃんが小走りに近づいてくる。
「あら勢ぞろいね」
「叔母さん! また昨日のお話ですか!? それならもう、養子なんていかないとわーちゃんは言ってますので!」
「そうですよ! わーちゃんはいきません!」
「あら違うわ? 昨日の話じゃなくてよ?」
垣崎さんは大袈裟に驚いたような顔をして、
「私ね、瑞希ちゃんにストーカーが居るって聞いて心配になってやってきちゃったの。でも、誤解だったのかしらね、……和音ちゃん?」
なぜか和音ちゃんに語り掛けた。
「すとーかーって、なんですか!?」
「そこの瑞希ちゃんにね、そこの天堂さんが付きまとっているっていう話。瑞希ちゃんがイヤがっているのに、一方的に言い寄っているとかなんとか」
「お姉ちゃんはイヤがってません」
「あらそうなの? でもね和音ちゃん? みーんな言ってるの。みーんな。瑞希ちゃんがイヤがってるのに天堂さんが、ってね? いやよねぇ、こわいわよねぇ」
高嶺さんが垣崎さんと和音ちゃんの間に割り込むように入り込み、和音ちゃんを自分の背の影に隠した。
「叔母さん、私怒りますよ? わーちゃんに変な話を吹き込まないでください」
「あらこわい。私、悪者かしら? おかしいわねぇ、こんなにも二人のことを考えてるのに」
「……叔母さん」
「あらあらあら、ホント怖い顔。せっかくの美人さんが台無し」
叔母さんはわざとらしく嘆いてみせてから、高嶺さんの後ろにいる和音ちゃんを覗き込むように見た。
「じゃあね? 和音ちゃん、また会いましょうね。ホント養子の話は良い話だから、よく考えて?」
そういうと、垣崎さんは去っていった。
今までとちょっと違う感触だった。今まではこちらの話など聞いてない風だったのに、今日は合わせてきた上で会話をしているような。
むしろ今の方が、ねっとりとしたなにかを感じて怖いかもしれない。
俺たちは念のために、タイミングをズラしてマンションに入ることにした。
◇◆◇◆
「え、先生にそんなことを言われたんですか?」
俺はさっきの先生からされた話を高嶺さんにした。それとマンション前で垣崎さんに会った話を加えて、たぶん垣崎さんが学校に通報したんだろうっていう話でまとめた。
「わーちゃんおばちゃん嫌い」
ご飯を食べながらの席だ。
今日はチンジャオロース、細切りのピーマンを和音ちゃんが必死に選り分けている。
「ピーマンとどっちが嫌い?」
「おばちゃん」
もくもくもくと、ピーマンを選り分けながら。
俺は苦笑しながら、和音ちゃんに言う。
「和音ちゃん、ピーマンに負けてたらおばちゃんに負けちゃうよ?」
「――! わーちゃん、おばちゃんに負けたくありません!」
「じゃあピーマンを倒さないと!」
「いまたおしてますけど!」
選り分けを、倒していると表現する和音ちゃんだ。
「和音ちゃん。和音ちゃんは賢いから、俺がなにを言ってるのかもうわかってるよね」
「わかりませんけど!」
「あーあ、じゃあ和音ちゃんは負けちゃうなー。おばちゃんに負けちゃうなー」
「ううう」
俺は和音ちゃんが選り分けたピーマンを、少し自分の皿に持ってくる。
「ほら和音ちゃん、一緒に倒しちゃおう」
「じゃ、私も……」
と高嶺さんも和音ちゃんのピーマンを皿に取った。
「ほらわーちゃん、三人で倒そ? ピーマンも叔母さんも、三人で立ち向かえば怖くないよ?」
「そうだね、俺たちで力を合わせていこう!」
高嶺さんが、ナチュラルに俺のこと含めた「三人で」と言ってくれたことが嬉しくて、俺は笑顔になった。和音ちゃんの顔も、ぱぁっと明るくなる。
「三人でですか!」
和音ちゃんはちょっと興奮気味な声で言った。
「いいですね、三人です! それなら負けません!」
和音ちゃんがピーマンに箸を伸ばす。
摘まんで口に運んで、すぐに水を飲んだ。強引に水で流し込む仕草がかわいい、ごっくん、と目をつむって飲み込む。
「よーし、お姉ちゃんもピーマン倒しちゃうから! えい、叔母さん! あっちいけ!」
「おばさんあっちいけー!」
「もう叔母さんって言っちゃってるし」
俺は再び苦笑。俺も二人に倣って、ピーマンこと叔母さんを口に入れた。
食べて思ったが、ピーマンは美味しいので叔母さん扱いはちょっと可哀想かもしれない。でも仕方ないか、和音ちゃん的には苦くてつらいに違いない。
「おばさんを倒せー!」
俺もノッて食べた。
ちなみに和音ちゃんの皿は、元からピーマンの量が少なくなっている。
ちゃんと高嶺さんは考えて盛っているのだ。
「たおせました!」
和音ちゃんが全部食べ切って宣言した。嬉しそうに宣言した。
「これでおばさんも、たおせますね! たおせますね!」
「ああ倒せる! みんなで力を合わせていこう!」
「そうだねわーちゃん、みんなで倒しちゃお!」
このとき、確かに和音ちゃんはご機嫌だった。
おばさんを倒そう、と言ってご機嫌だった。
だから俺たちにはわからなかったのだ。この日から一週間もしないうちに、和音ちゃんがなんでそんなことを言い出したのか。
「わーちゃんは……、わーちゃんは、ようしにいきます……」
わからなかったのだ。