「あらやだ、なに貴方?」
俺と和音ちゃんが、高嶺さんのウチのリビングでしりとり遊びをしていると、その人は突然に入ってきた。
歳の頃は四十過ぎ。全身をブランド物で固めた女性、「垣崎の叔母さん」だ。
高嶺さんのウチは玄関に鍵が掛かっていたはずなのに、呼び鈴を押すことなく叔母さんはそこにいた。
「え!?」
と俺は驚いた。横を見ると和音ちゃんも驚き顔だ。
いま自室で着替えている高嶺さんからも、叔母さんが来るなんて話は聞いてなかった。つまりこの人は、連絡もよこさず訪れて玄関の鍵を勝手に開け、しれっとリビングに入ってきたのか?
「瑞希ちゃん、瑞希ちゃんどこに居るの?」
一瞬だけ俺と視線を合わせたあとは、もう俺のことを空気として扱っている。
リビングに高嶺さんが居ないと見てとると、叔母さんは玄関の方へと戻っていく。途中にある高嶺さんの部屋へと入っていった。
「なに、わーちゃ……お、叔母さん!?」
高嶺さんの声も、やはりびっくりといった風だ。どういうことだか知らないが、叔母さんは突然訪れたのだろう。
「ど、どうしたんですか、こんな朝からいきなり!?」
「和音ちゃんをね、連れに来たの。養子縁組の件でね? 顔合わせ」
「は? え!? よ……養子!?」
高嶺さんの声が、こちらのリビングまで響いてきた。
え? いまなんて聞こえた? 養子……とか言ってなかったか!?
誰を!? 和音ちゃんを!? なに言ってるんだ、あの人!?
俺はリビングを出て、高嶺さんの部屋を覗いた。
高嶺さんが困惑の顔で、叔母さんの方を見ている。叔母さんは高嶺さんの部屋を見回しながら「贅沢な部屋ねぇ、ちゃんと節約してるのかしら?」などとブツブツ言っていた。
「お、叔母さん!? どういうことですか、わーちゃんを養子にだなんて!? 私、なにも聞いてません!」
「あら言ってなかったかしら」
叔母さんはしれっとした顔で口元を押さえた。
「条件の良い方が名乗り出てくださってね? ほら私、そういう斡旋団体にもコネがあるでしょ? それでね、施設に入れるより和音ちゃんも幸せになれると思ったの。いいお話よこれ?」
「い、いきなり過ぎます! 馬鹿なこと言わないでください!」
「もう決まったことだから。みんな貴女たちの為なの」
そういってまた部屋の中でキョロキョロ。
俺についてきて、俺の後ろにいた和音ちゃんに目を止めると、ズカズカと近づいてきた。
そして乱暴に、和音ちゃんの腕を取る。
「いくわよ和音ちゃん? この話は本当に特別なの。よかったわね」
「……やっ!」
腕を引っ張られた和音ちゃんが、首を振る。
「やだっ! わーちゃんいかない! カズオミお兄ちゃん!」
和音ちゃんが俺の後ろに隠れようとする。もちろん俺もそれを助けた。
叔母さんの手を掴み、とめようとする。
「ちょっと、やめてください和音ちゃんがイヤがってます! 乱暴すぎませんか!?」
「なに貴方、暴力を振るうの!? やだ怖い、こんな朝っぱらから女性の家にいるなんて不純な不良だったらありゃしない」
「落ち着いてください、って言っています。聞けば高嶺さんも和音ちゃんも、今が初耳みたいじゃないですか。いくらなんでも話がおかしすぎやしませんか!?」
俺が声を上げると、高嶺さんも倣ってくる。
「叔母さん、垣崎の叔母さん! そうですおかしすぎます、唐突にそんなことを言われても、心の準備すらできていません!」
「あら、心の準備をする時間があれば大丈夫なのね?」
叔母さん――垣崎さんは高嶺さんの顔を見た。
なにを考えているのかよくわからない表情をする人だ、と俺は思った。少し怖い。
だけど怯んでは居られない、高嶺さんの為にも和音ちゃんの為にも、俺は垣崎さんの正面に立って和音ちゃんを庇う。
「養子縁組って、確か当人の同意が必要でしたよね!? 初耳の和音ちゃんの意志はどうなってるんです、確認していないんじゃないですか!?」
「なに言ってるの? 良い話なのよ?」
「そういう問題じゃありません!」
俺は少し強引に、垣崎さんの手を和音ちゃんの腕から外した。
「痛い! おお痛い! 瑞希ちゃんなんなのこの子、暴力を振るったわ!? おお怖い、まったく怖いわね!」
「ここで和音ちゃんの意志を確認してください。イヤ確認します。和音ちゃん、和音ちゃんは養子に行きたいのかな?」
垣崎さんの金切り声をあえて無視して、俺は和音ちゃんの前にしゃがんだ。
同じ高さで目を合わせ、問い掛ける。
「ようし、ってなんですか?」
「新しいお父さんとお母さんができるんだ。そしてそこで一緒に暮らすことになる」
「……新しい」
和音ちゃんは、俺の言葉を反芻するように口の中でモゴモゴとなにか呟いた。
その後、垣崎さんの顔を見て、俺の高嶺さんの顔を見て――俺の顔に、視線を戻す。
「お姉ちゃんとも、一緒ですか?」
「いや……、この話では和音ちゃんだけだね。お姉ちゃんとは、離れることになる」
「じゃあ、ヤです」
和音ちゃんは秒も悩まず言った。
「わーちゃんはお姉ちゃんが大好きです。死んだおかあさんも、おとうさんも大好きです。だから、ようしにはいきません」
ぺこり、と垣崎さんに頭を下げる和音ちゃん。
垣崎さんの顔は真っ赤だ。
当然恥ずかしさで赤くなっているわけではなく、怒りで赤くなっているのだった。
なぜわかるのかって? そんなの表情を見れば火を見るよりも明らかだ、怒りで打ち震えながら、鬼の形相で俺を睨んでいるのだから。
「……貴方、瑞希ちゃんのクラスメイトだったかしら?」
「はい」
「なんで……朝からこんなところに居るの? 名前はなんと言ったかしら?」
「天堂……天堂和臣です。ここの隣の部屋に住んでいます。今日は二人と動物園に行く予定で、高嶺さんを待っていました」
「ふぅん、天堂和臣ね。なるほど覚えてらっしゃい? きっと後悔させてあげる」
垣崎さんは立ち上がった。
そのまま、入ってきたときと同じようにズカズカと、高嶺さんの部屋から出ていく。
高嶺さんへの挨拶もなしに、俺への名乗りもなしに、無言で玄関を後にしたのだった。
「はぁぁぁあー……っ」
俺は大きく息を吐いた。肩に入っていた力が、一気に抜けていく。
おれはペタン、と尻もちをついて床に座り込んだ。
「疲れた、凄く疲れた」
「つかれてしまいましたか、カズオミお兄ちゃん!」
「あー疲れたよー和音ちゃん。あの叔母さん、きっつい」
なんといっても目が怖い。
どこを見ているかわからないと思えば、次の瞬間にはなにか悪意を抱えて睨みつけるような眼光を放っている。正直苦手だ。
「わーちゃんもおばちゃんはキライです! ぷんぷんです!」
「あはは」
「カズオミお兄ちゃんのおかげさまで、あっちいきました! ありがとうございます!」
和音ちゃんにこんな嫌われるなんて、あの人は今までどんなことをこの姉妹に言ってきたのだろうか。ほんとロクでもないことを言ってきたんだろうなと、俺は苦笑した。
「……ありがとうね、天堂くん。私、なんだか気が動転しちゃって」
そう言った高嶺さんが、突然、自分の額に手を添えた。そして、
「あ……っ」
とふらつく。「高嶺さん!?」俺は慌てて立ち上がり、彼女の身体を支える。
身体が熱い。これは、熱でも出てるんじゃないか!?
「お姉ちゃん!?」
和音ちゃんが心配そうに声を上げる。
「大丈夫だよわーちゃん、心配しないで。……おかしいです、さっきまでなんでもなかったのに」
「心労が一気に出たのかもしれないね。とにかく横になった方がいいかな。和音ちゃん、寝室って向かいの部屋だよね?」
「はい!」
俺は高嶺さんを支えたまま、寝室に入った。
いったん座っててもらい、押し入れから布団を出す。和音ちゃんの指示に従いながら、高嶺さんの布団を敷いた。
「ごめんなさい、立ってるとクラクラしてしまうみたいで……」
「うん、大丈夫。ほら布団も敷けたからさ、寝て寝て」
俺は高嶺さんに横になってもらった。
ああ、薄手の外着のままだ。このままだと、しわになっちゃうな。
「和音ちゃん、高嶺さんの寝間着わかる? 着替えてもらおう」
「わかります! 持ってきます!」
と、和音ちゃんが走り出そうとしたとき。高嶺さんが頭を押さえながら和音ちゃんに言った。
「ごめんねわーちゃん、今日は動物園だったのに……」
「大丈夫です! わーちゃんは、がまんのできる子ですから!」
わーちゃんは振り向いて、
「それに、お姉ちゃんの方がだいじ!」
そういって寝室を出ていく和音ちゃん。俺は横になっている高嶺さんの顔を見る。
「いい子だね、和音ちゃん」
「ふふふ、自慢の妹です」
俺たちが朗らかに笑いあっていると、自慢の妹ちゃんが戻ってきた。寝間着と、
「お姉ちゃん! どれを穿きますか!?」
カラフルでパステルな大量のパンツを持って。
しましま、みずたま、格子模様。
和音ちゃんは床にドバっとパンツたちを投げ置いた。
「ななな、なにを……!? わーちゃん!?」
「お姉ちゃん一人で言ってました! 今日はパンツからオシャレさんにするって! でも残念寝間着なので、せめてパンツくらいはと思いまして!」
「も~~~~ッッッ!」
俺は無言で立ち上がると、足の踏み場もないくらいに散らばったパンツの床を歩いて寝室の外に出た。パタン、とドアを閉め、ドキドキしている胸を撫でおろす。色々なパンツがあったな、女の子って、あんなにパンツをたくさん持ってるんだ?
新たな知見を得たことに感謝。和音ちゃんに、感謝。だって男子高校生だもの。
「水色がオススメです!」
今日も元気な和音ちゃんだった。
◇◆◇◆
その日は結局、一日中高嶺さんの部屋で過ごした。
昼と夜は、珍しく俺が料理の腕を奮う。といっても、一応料理ができなくはない、程度のつたない腕なのだけれども。
それでも和音ちゃんに手伝ってもらいながら作る料理は楽しかった。
出来栄えも、まあ許容範囲。高嶺さんは美味しいと、嬉しそうに言ってくれたものである。
動物園には行けなかったけど、それなりに楽しい一日になったのだ。
――そして次の日。
俺は放課後、担任の先生に職員室に呼び出されることになる。
授業が全て終わったあとの雑然とした空気の中、俺は先生の机の前で立ったまましばらく待たされた。なにか言いにくそうにしている先生。
なんだろう、成績とか進路のことかな?
俺、そんなに心配されてしまうような成績だっけ。高嶺さんには全然及ばないが、そこそこ安定した位置を維持しているつもりだったんだけど。
「えっと……、先生?」
俺は耐え切れずにこちらから水を向けてみる。
先生は困った顔で頭を掻きながら、「ん? ああ」と俺の方へと向きなおった。
「天堂、おまえさ……?」
やはりどことなく言いにくそうに、先生。
「高嶺瑞希にストーカーしてるって本当なのか?」
「はい?」
俺は聞き返した。