射的。輪投げ。祭りに出てくる様々な遊戯。
実はそういう類が得意な俺だった。幼い頃から時子さんに連れられて、祭りを巡りながら英才教育を受けていたのだ。
「覚えておけばそのうち役に立つぞ?」
いつ役に立つんだよ、といぶかしんでいた俺だったが、今日役に立った。ここは素直に時子さんに感謝だな。
「どろろんQ!」
和音ちゃんが次に興味を持ったのはお面屋だった。
人気のアニメや映画なんかで見るキャラクターたちのお面が、ずらっと並んでいる。その中に、和音ちゃんの好きな『どろろんQ』があったのだ。
「おめん欲しいの? わーちゃん」
「お姉ちゃんどろろんQやってください!」
「え、私?」
「はい! カズオミお兄ちゃんでもいいですけど!」
残念ながら俺はそこまでどろろんQに詳しくない。適任はきっと高嶺さんだ。
俺はお面屋でどろろんQを買い、高嶺さんに渡した。高嶺さんは、その場でお面をかぶり、
「良い子には優しいどろろんQ! だけど?」
おめんを被った高嶺さんが両手を上げて和音ちゃんを威嚇するように構える。
和音ちゃんは「キャー!」と騒ぎ、
「わるい子にはこわーいぞー!」
と答えて俺の後ろに隠れる。
「悪い子はどこだー!」
「わーちゃん、いいこだから!」
「人混みで走らない?」
「はしりません!」
「手に食べ物を持っているときは?」
「まわりにちゅういします!」
高嶺さんはお面を頭の上にズラして顔を出し、
「良い子だねー、わーちゃん」
「えへへー」
和音ちゃんの頭を撫でる。
と、その時だ。
「お? 和臣?」
突然声を掛けられた。声の方を見ると、見知った顔――純也がそこに居たのだった。
「じゅ、純也!?」
「奇遇だな、こんな人混みの中で会うなんて」
ここの夏祭りは地元ではあるけど集客の規模が全国レベル、そうそう知り合いと顔を合わせるなんてことはないと思っていたのだが。
俺は焦った。
高嶺さんと一緒にいるところを、目撃どころか声掛けまでされてしまったのだ。
「あ、ああ。本当に奇遇だ、ビックリした」
「おまえも隅に置けないなー、女の子とデートか? いつの間に」
「ち、違う! こちらの子は親戚の――」
俺が慌てて誤魔化そうとすると、和音ちゃんがにこやかに声を上げる。
「そうですデートです! カズオミお兄ちゃんとお姉ちゃんはとっても仲良しですから!」
「わ、和音ちゃんッッ!」
「ふはは、だよな? 小さな子は素直でいいもんだ」
うわあ和音ちゃーん! 俺はにこやかで居ながら心の中で泣いた。
四面楚歌。逃げ場がどんどんなくなっていく。
純也は腰を落として和音ちゃんの頭を撫でた。
「俺は佐伯純也、お嬢ちゃんは?」
「わーちゃんです!」
「わーちゃんか、いいねカワイイ! 和臣おまえモテモテだな、両手に花じゃん!」
立ち上がって純也は高嶺さんの方を見た。
まずい、完全にバレてしまう。
腰までの長い黒髪は背中からでも印象的、もう既にバレているかもしれないが、高嶺さんが振り向いたらもう誤魔化しが効かない。
高嶺さんが純也の方を向く。あ。
「みーちゃん……です」
「純也です、よろしく」
高嶺さんが振り向いてなお、純也は彼女が氷の姫君であることに気づいてないようだった。何故なら高嶺さんはお面をつけていた。どろろんQのお面をつけていた。そして声も作り声だったのだ。
グッジョブ高嶺さん! 俺は彼女のフォローに回った。
「わ、悪いな純也。彼女、極度の人見知りなんだ」
「ああいや、悪いこっちこそお邪魔だった」
そう言うと、純也は申し訳ないといった顔で頭を掻く。
いやこっちこそ悪い。すまないけど、まだ事情を話せないんだ。俺はちょっと話題を変える。
「純也おまえは? 一人ってわけじゃないんだろ?」
「剣道部のとな、ちょい待ち合わせで」
「そっか。仲いいよな、剣道部」
「ははは、まあな」
「皆によろしく、このあいだは部室を使わせてくれてありがとう、って」
「おう、伝えておくよ。じゃあな和臣、頑張れよ!」
応援の言葉を残して去っていく純也だった。
「ふうぅー」
と息を吐いたのは高嶺さんだった。
「ごめんなさい天堂くん、佐伯くんに失礼なご挨拶になっちゃって」
「いや大丈夫、そんなこと気にする奴じゃないから。それよりもお面グッジョブだったよ」
「ちょうど付けてたから……」
高嶺さんはどろろんQのお面を頭の上に外して、顔を出した。
和音ちゃん、タイミングよくお面を欲しがってくれてありがとう。
「でも驚きました。こんな人だらけなのに佐伯くんにバッタリ会っちゃうんですね」
「あいつとはなー、なにかと縁があるんだよ。外でも良く会うんだ」
「ふふ。ちょっと焼けちゃいます」
高嶺さんがクスクスと笑う。
「クラスでも佐伯くんと天堂くん、いつも仲良くしてるから」
「そうだっけ? 別に特別そんな気はなかったけど」
「うふふ、ほら。佐伯くんが時々、天堂くんの髪の毛をクシャって掴むの。あれとか凄く親密そう」
「なんだろう、変な誤解をされてる気がする」
高嶺さんはコロコロとした声で笑った。
なんだかとても楽しそう。俺も釣られて楽しい気分になってくる。
「あは、あはは。止まりません、さっきまで緊張してたから……!」
「いいよいいよ、笑う門には福来たるだ。笑っていこう」
「わーちゃんも笑います、あはははは!」
そうだ笑っていこう。福を呼ぼう。これからも、良いことが続きますように。俺はそう願いながら一緒になって笑った。腹の虫を鳴らしながら笑った。――ん? 腹の虫?
俺のお腹がグゥと鳴っていたのだ。
そういえば、お祭りなのにまだ食べ物をなにも買っていない。
「カズオミおにーちゃん、おなか減り虫!?」
「お兄ちゃん、おなか減り虫だねぇ。でもわーちゃんも、そろそろおなか減り虫じゃない?」
和音ちゃんのお腹が、タイミングよくググゥと鳴った。
「はい! わーちゃんもおなか減り虫です!」
「私もです。どうですか天堂くん、そろそろなにか食べませんか?」
「そうだね、せっかくの祭りなんだから食べないとな!」
たこ焼き、焼きトウモロコシ、フランクフルトにイカ焼き。
見渡す限り、色々と選択肢がある。焼きそばやお好み焼きなんていうのもいいだろう。
俺はその辺のことを二人に伝えた上で問うた。
「なに食べようか」
「……そうですね。歩きながら決めたらダメでしょうか?」
「構わないけど、どこかで腰を下ろして食べなくてもいいの?」
「うちは……、両親が『祭りの食べ物は歩きながら食べるものだ』って」
ちょっと恥ずかしそうに言う高嶺さん。
だけど、俺もその意見には同意だった。
時子さんもよく言っていたっけ、祭りの醍醐味は衝動買いと歩き食べだ、って。
歩きながら食べ物を物色し、欲望のままに食らう。それがお祭りなのだと。
俺たち三人は、屋台を見ながら適当に買い食いをした。
和音ちゃんは俺たちが買ったものを少しづつ食べていく形だ。時に歩きながら食べ、時に立ち止まりながら飲み。そうこうしているとだんだん空も暗くなっていき、花火大会の時間が近づいてきた。
花火を見やすい公園は人だらけ。
沼周りの遊歩道も人だらけ。
ずらりと立ち並ぶ人らが皆、花火が暗い空に上がるのを今か今かと待っている。
「人がいっぱいです、お姉ちゃん!」
「そうだねわーちゃん、どこも混んでますねぇ」
高嶺さんが残念そうに言う。
沼周りの特等席は、もう残っていない。人混みに埋もれていた。
「大丈夫、ついてきて。ちょっと外れになるけど」
遊歩道を先に進んでいくと、やがて人がまばらになっていく。
そこからちょっと街中に戻ったところにそれはある。
小さな雑居ビルだ。
俺は二人を連れて、そこに入っていった。
そのまま管理人室の窓に顔を見せる。
「こんにちは、お久しぶりです」
「おう和臣くん、久しぶりだね。今日は花火だから来るんじゃないかと思ってたんだ。あれ、時子さんは?」
「時子さんはまだ仕事中です、今日は俺だけで来ました」
「俺だけって、……和臣くん、なに言ってるんだよキミも隅に置けないなぁ」
管理人さんが愉快そうに笑う。
「その子たちだよね? 『トレジュアボックス』の新しいアルバイトさんたちって。聞いてるよ、凄い美人さんがきたってね」
「あはは」
「いいねぇ和臣くん、どっちと付き合ってるんだい?」
「どっちって!」
「あはは冗談冗談、いいよ、来ると思ってたから鍵は開けといたんだ」
「はい、ありがとうございます」
俺は礼を言うと奥のエレベーターに向かった。
高嶺さんたちは管理人さんに軽く会釈をしつつ、俺の後ろをついてきた。
「あの人はね、このビルのオーナーの息子さんで、時子さんの友人なんだ。時たま『トレジュアボックス』にも顔を出す常連さんの一人だよ」
「そうでしたか……」
エレベーターに乗り最上階へ。そして外へのドアに手を掛ける、管理人さんが言っていた通り、鍵は掛かっていなかった。外には階段。
「花火の時期になると毎年使わせてもらってたんだ、ここからの景色が良くて、花火の綺麗に見えるから」
外の階段を上ると、そこはビルの屋上だ。
電灯の類はないけど、月の明かりと街明かりで視界に困るというほどではない。
俺は二人の手を引いて、屋上の柵近くまで歩いていった。
「きれいでした……!」
わーちゃんが珍しくどことなし感激した調子の声を上げた。
暗い屋上から見る、夜景。
ここから祭りの会場を見ると、屋台や祭り提灯が光の列をなしてずうっと続いていた。
沼の方を見ると、遠い向こう岸の街の光が水面に反射している。
その光景はさながら暗闇の中に浮かぶ光の都市。
黒いボードの上に宝石を散りばめて光を当てたような、キラキラと美しい世界だった。
「きれいでしたよカズオミお兄ちゃん!」
相変わらず微妙に用途が間違えた言い方の和音ちゃんだが、興奮は伝わってくる。
喜んでもらえて俺も満足だ、連れてきた甲斐があるというものだ。
和音ちゃんは夢中で夜景を見続けていた。
――と。
ここで俺は気がついた。高嶺さんがさっきからずっと静かだ。
見れば高嶺さんは、なにやら俯いていた。どことなく……恥ずかしそう?
「高嶺さん?」
俺は声を掛けてみた。
「え? あ、はい!?」
「どうしたの? 屋上、気に入らなかった?」
「ちが……、そうじゃありません!」
高嶺さんは慌てたように顔を上げて、両手を振った。
「じゃあなんだろう、心配ごと? さっきの純也の件なら大丈夫だと思うけど」
「そうじゃないんです。えっと、あの……」
高嶺さんは躊躇いがちに、言葉に詰まっていた。どうしたのだろうか、俺が心配になっていると、彼女は恥ずかしそうに口元を隠しながら。
「管理人さん、さっき、どっちと付き合ってるんだ、って……」
「ああ、あはは。そうだね、出来の悪い冗談だったよね」
「そこで天堂くん、『どっちって!』って言ってましたけど」
「うん。いくらなんでも和音ちゃんも引き合いに出してくるなんてね。悪い人じゃないんだ、ほんとに」
「いえ、それは構わないんです。ただ」
高嶺さんは、彼女は、俺の目をまっすぐに見た。
「付き合ってる、の部分は天堂くん、否定しなかったな、って」
「え……?」
言われて、俺も気がついた。あれれ? 気がついた。なんか自然に、俺はあのとき思ったのだ。『高嶺さんの方に決まってるじゃないか』と。
「天堂くんは、否定しなくて……。それが私には、なんだかとても嬉しくて……」
どぉん、と。花火が上がり始めた。
ここからだとほどほどに近いところが打ち上げ場なのだ。空が明るくなる。俺たちも明るく照らされた。
「花火です! 花火ですお姉ちゃん!」
「え? あ、本当、綺麗だねわーちゃん」
高嶺さんは、笑顔を一瞬俺に向けて、和音ちゃんと花火を見始めた。
俺も花火を見る。綺麗だった。今まで見てきたどの光景よりも綺麗だった。
高嶺さんと和音ちゃんがいる風景の、花火。
ああ、俺はこの風景を大切にしたいんだ。
「カズオミお兄ちゃんも、一緒に見ましょう!」
「見ましょう、天堂くん」
「――うん」
俺は高嶺さんの隣に立つと、そっとその手を握った。
高嶺さんが、優しく握り返してくる。
互いの顔を見ずに、花火を見ながら俺たちは手を握りあう。
こうして俺たちの夏休みは終わっていく。
それはまた、新しい日々の始まりを意味しているのだった――。