「そうだ今週の日曜日なんだけどさ、夏祭り、行ってみない?」
バイト先の『トレジュアボックス』で、俺はカウンターの横に立つ高嶺さんに、さりげなく話し掛けた。
「夏祭り、ですか?」
「そう。花火大会もあるし、和音ちゃんも喜ぶかなって」
「わーちゃん花火すき」
カウンターの席に座り、足をプラプラさせている和音ちゃんも食いついた。
ビーズ遊びをしていた手を止めて、俺たちの方を見る。
「でも……確かその日もアルバイトのシフト入ってましたし……」
「わーちゃんは花火すきですよ?」
和音ちゃんにジッと見つめられた高嶺さんは困り顔で、奥で腕を組んでいた時子さんの方を見た。すると時子さんが、両手を頭の上で繋げて大きな丸を作る。バイトを早上がりしてもいいぞ、という合図だ。
俺は指を鳴らした。
「よし決まり! じゃあさ時子さん、二人の浴衣の着付けも頼めるかな?」
「構わんよ」
「えっ? 浴衣?」
「当日用意しておけよ瑞希、奥で着付け手伝ってやるからさ」
「わーちゃん、浴衣もすきー!」
そしてすぐに、祭りの当日がやってきた。
◇◆◇◆
「うわぉ……、二人とも似合ってる。綺麗だ」
店の奥に姿を消していた三人が戻ってきた。
高嶺さんは白地に青い花柄の浴衣、和音ちゃんは同じく白地に赤い花柄の浴衣だった。
「おおぉぉお、綺麗だね瑞希ちゃん!」「んー、カワイイぞ和音ちゃん!」
店の中にいた七、八人の客がそれぞれに感嘆する。
今日店に居ると高嶺さん姉妹の浴衣姿を鑑賞できると聞いて、一部の常連が集まっていたのだ。
「はいはいはい、見学料はドリンクケーキセット以上で頼むなー? ほれ瑞希、和音ちゃん、カウンターの外に出て皆さんにご挨拶してこい」
「わかりました、ごあいさつします!」
二人は店の中央にきて、ぺこりと頭を下げた。
「わーちゃんです! みなさま今日はごそくろーいただきましてご立派でした!」
なんか変な用法の日本語なのはいつものこと。和音ちゃんが演説風に独演する。
「こちら、みずきおねーちゃんになります! びじんさんです」
「……今日はお集まりいただき……ありがとうござい……ます。でも本当によろしいの……ですか? 私たち、このままお構いもせず、お祭りに行ってしまって……」
高嶺さんも、常連さんにはだいぶ緊張せずに話せるようになってきていた。少しまだ硬いのはご愛敬、最初に比べたら雲泥の差だ。
「いいんだよー!」「そうよ私たちが勝手に来ただけなんだから!」「楽しんできてねー!」「がんばれ瑞希ちゃーん!」
拍手が巻き起こる。
高嶺さんの人見知りをずっと見てきた人ばかりだ、今の変わってきた彼女を祝福する気持ちもあるのだろう。声援は温かかった。
「そしてこっち、カズオミおにーちゃんです! 今日はおねーちゃんをエスコートしてくれます!」
「ブーブー!」「ひっこめ和臣ー!」「ずるいぞー!」「両手に花ー!」
あはは、だいぶブーイング。
だけど皆が本気でないのは声の調子わかる、基本ここの常連の人は優しくて、物好きだ。なにせ傍若無人で唯我独尊の時子さんを気に入ってくれるような人たちなのだから、性質なんか推して知るべし。
俺は皆の期待に応え、ワルを演じる。
「ふはは、姫君は借りていきますよ! 皆さんは寂しく『トレジュアボックス』にお金を落としてってください!」
「こいつ調子に乗りやがった」「囲むぞ」「呪われろ」
もちろんこの反応も本気じゃない。……本気じゃないよね?
「しずまりたまえ、しずまりたまえ!」
ん? 和音ちゃんのこれは、このあいだ一緒に見たアニメのセリフだ。
しっかり影響受けてるな和音ちゃん。こうやって言葉を覚えているんだなぁ。
「おらー、おまえたち。そろそろ解放してやれー? 今日はあたしら負け組は最初から二次会だ、たっぷり金遣って貰うからな!」
はーい、と時子さんの声に答える常連さんたちなのだった。
一転、俺は皆に応援される。
頑張って来いよ、青春だよなぁ、うらやましいぞ、しっかりね。
「それじゃあ夏祭りに出発です!」
和音ちゃんの音頭で、俺たちは店を出た。
背後ではいつまでも拍手が鳴り響いていたのだった。
◇◆◇◆
夏祭りのメイン会場は、駅から大きく緩やかな坂を一直線に下っていくとある大きな公園と、その周辺の遊歩道だ。
もっとも坂の途中にもたくさんの出店があり、街は賑やか。
夕方からは歩行者天国に指定され、道に人が溢れてくるのだった。
俺たちが坂を下り始めた頃、まだまだ空は明るくて夕方にもなっていない、という風だった。なにせ夏、終盤に差し掛かってきているとはいえまだ八月だ。日は長めだった。
「わたあめー」
先に走り出した和音ちゃんが、人と人の間をスルスルと抜けていく。
走っちゃダメといつも通りに高嶺さんが注意をするが、和音ちゃんは聞かない。ほんの少し小走りになるだけだ。
「水あめー」
よろよろよろーとコースを変える。
「水ふうせーん」
なんだか迷いまくりらしい。あちこちの店の前に行ったかと思うと、最終的には俺たちの前に戻ってきた。
「なんでもありますね!」
「そうだね、なんでもあるなぁ」
目をキラキラさせて、俺たちを見上げてくる。
高嶺さんが着物の裾を押さえながらしゃがみ込んだ。和音ちゃんに目の高さを合わせる。
「なんでもあるけど、なんでもは選べないのよ? ちゃんと考えてねわーちゃん」
「とんちですか!?」
「別にとんちじゃありません! あたま使っても、なんでもはダメだからね」
和音ちゃんの目が点になっている。頭が理解を拒んでいるのかもしれない。
「でも、なんでもありますが……」
「良い子にしてたら、選べる数は増えます」
「わーちゃんは良い子になります!」
「走っちゃダメだよね?」
「走っちゃダメですよね!」
さすがお姉さんだ、和音ちゃんの扱いに慣れている。
俺たちは三人で手を繋ぎ、道の両脇に出店が並ぶ坂をゆっくり下り始めた。
色々な匂いが薫ってくる。
ソースの匂い、香ばしく焼けた醤油の匂い。焼き鳥のタレの匂いは甘く、ひと口ステーキの匂いは芳醇だ。
食べ物の出店だけを見ても、確かになんでもあるなぁ。
「走らないわーちゃんは水ふうせんがやりたいです!」
水風船、和音ちゃんが言ってるのは水ヨーヨー釣りのことだろう。
祭りと言えばこれというくらい定番、子供に人気の出店だ。
水を入れた台の中にたくさんの水ヨーヨーが浮かんでいるので、それを紙のこよりに付いた釣り針で釣り上げる。
「らっしゃい、らっさーい」
水ヨーヨー釣りの店には小さな子供が群がっていた。
そこに、カップルがちらほらと混ざっている。
威勢のいい店番のおじさんが、手を叩きながら子供たちを応援していた。
「そこそこ、いいぞそこだ。がんばれボウスー? はい、惜しい―」
失敗した子供がシュンとしていると、おじさんは水ヨーヨーを水槽から一個手に取って子供に渡す。
「残念だったなー、ほらよ頑張り賞。持ってきな?」
失敗しても一個は子供に渡してくれるらしい。なかなか良心的じゃないか。
子供が退いたスペースに、和音ちゃんがスルリと入った。
「水風船やらせてください!」
「あいよー三百円」
針を渡された和音ちゃんは浴衣の袖をまくる。
俺たちは和音ちゃんの後ろに立っての応援団だ。
「がんばって、わーちゃん」
「頑張れよ和音ちゃん」
「見ていてくださいみなさん!」
和音ちゃんの動きが止まった。
後ろからだからわからないが、きっと今、彼女は鋭く目を細めているに違いない。
獲物を狙う鷹の目だ。ネズミを狙う猫の目だ。いや見えないんだけど。
「シュパッ!」
と自分で言いながら、和音ちゃんはヨーヨーを釣りにいく。が。
「あー惜しいなーお嬢ちゃん、はい努力賞」
一個、水ヨーヨーを手渡される和音ちゃん。
和音ちゃんがこちらを向く。
「もらってしまいました……」
水ヨーヨーをもらったのに、和音ちゃんは残念そう。
どうやら和音ちゃんは、自分の手で取りたかったらしい。俺はしゃがんで、和音ちゃんの肩に手を置いた。
「もう一回やろうぜ和音ちゃん。俺がコツを教えてあげる」
「いいんですか!?」
「ああ。リベンジだ」
俺は店番のおじさんの方を向いた。
「おじさん、はい三百円」
「まいどーぉ」
「ところでおじさん、ここ、『ねじり』はあり?」
俺の問いに、おじさんの目が光る。
「ほう……、いいよあんちゃん、ウチはなんでもアリの無制限バトル。受けて立つよ」
「挑戦させていただきます」
俺は礼を言い、おじさんから針のついたこよりを手渡された。
高嶺さんが不思議そうな顔で俺のことを見る。
「天堂くん。『ねじり』って?」
「ああ、『ねじり』はこういう技」
俺は紙のこよりを強く『ねじった』。もともとねじられてはいるこよりだけど、こうやって自分の手でねじり直すことで、強度が上がるのだ。
「はい和音ちゃん、ここ握って? ……そうそう、もっと短く持って、なるべく針の近くをね」
俺は和音ちゃんの背後にしゃがみ込み、後ろから指示をする。
こよりを店の人が渡してくるとき、針から遠い、こよりの端を持たせるように渡してくることが多い。それをされると客は無意識にこよりを長めに持ってしまいやすいのだ。
つまりはそれはトラップ。
こよりはなるべく針の近く、短めに持つのが正解。
「ふむ、『短め』も知ってると。やるな、あんちゃん」
「まだまだですよ、ここからが本番」
俺はニヤリ、おじさんの言葉に笑顔で返す。
俺とおじさんのやりとりを聞いているのだろう、だんだんと周囲の子供たちの目が俺に集まってきていた。みな、ヨーヨー釣りをいったん中断して、俺と和音ちゃんに注目している。
「いきます!」
「待って和音ちゃん」
逸る和音ちゃんを俺はなだめ、更なる奥義を伝授する。
「狙うのは、これかそれ。どちらかの水ヨーヨーだ」
「どうしてですか!?」
「その二つは水により『浮かんで』いるだろう? つまり風船の中に入ってる水が少なめで、軽い。重い風船だとこよりが切れやすくなるからね、狙うなら軽いものだ」
おじさんが唸る。
「あんた、素人じゃないな? 『覚え』があるやつか」
「昔、たくさん『勉強』させられましたからね。『経験』というやつです」
俺とおじさんは目を交わして笑いあう。
通じ合う者同士の、それは言葉だった。
「じゅんびおっけーですか!?」
「オッケーだ。よしいこう!」
俺がゴーを出すと、和音ちゃんが動作を止めた。きっとまた、獲物を狙う鷹の目をしているに違いない。
子供たちが皆、和音ちゃんが次に動く一瞬を見守っている。
ごくり、と息を呑む音がどこかから聞こえた。
「頑張ってわーちゃん! 天堂くん!」
高嶺さんの応援、これで百人力だね和音ちゃん!
「和音ちゃん、落ち着いて。針で最初からゴム紐を狙う必要はないよ、風船とゴム紐が繋がっている場所に引っ掛けて……そう、そんな感じで」
「すごい! 簡単にゴムが!」
「そう、そのまま引っ張って!」
俺は声で和音ちゃんに気合を注入する。
中腰だった和音ちゃんが、水ヨーヨーを引っ掻けたままグイッと立ち上がった。
「釣れました! 釣れました!」
わあぁぁあーっ! と歓声。そして拍手。
子供たちに囲まれる形になった俺たちだった。和音ちゃんがテレくさそうに身体をくねらせる。
「カズオミお兄ちゃんのおかげさまです! ね!? おじさん!?」
「そうだな、脱帽だよあんちゃん」
店番のおじさんが、俺に笑いかけた。
「よーし今日は特別だ! 子供たち、お兄ちゃんにコツを聞きまくって頑張れよー!?」
「えええええ!?」
俺は困り顔のまま、チラと高嶺さんの方を見る。
高嶺さんは笑顔で頷いた。「みんなにも教えてあげて?」
俺は、子供たちに囲まれて、水ヨーヨー釣りのコーチングをねだられまくった。
和音ちゃんが誇らしげに言い続ける。「カズオミお兄ちゃんはすごいんです! すごいんです!」
俺はテレくさくなって頭を掻いた。
高嶺さんの顔を見ると、やっぱり嬉しそうで。
「ふふ、天堂くんは人気者さんですね」
しばらくそこを動けなくなってしまった俺たちなのだった――。