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第22話 海水浴③

「一緒の布団、って……! えええ? 俺、その……そういうの、初めてで!」

「え?」


 俺が高嶺さんの言葉を、たぶん赤い顔で繰り返すと、高嶺さんの顔もみるみる赤くなっていく。


「いえ、あの、ちが……っ! そういう意味じゃないくて!」


 あれ!? あそうか、違った! うん違った!

 俺は理解した、ああそうだよな、和音ちゃんが横にいるのに『そういう意味』なはずもあるまい。俺は恥ずかしくなって悶える。


「ぐあうぅぅうっ! そ、そうだよね、ははは、そりゃそうだ」


 視線ぐるぐる手をスリスリ。

 声もうわずり気味で、俺は最終的に頭を掻いた。


「お、俺ちょっと、もう一度風呂に入ってくるよ! 今度は岩盤浴もしてこようかなー!?」

「あっ!」


 耐えられる気がしなくて、俺はタオルを手にさっさと部屋を出た。後ろで高嶺さんがなにか言っていたけど、俺は聴こえないフリをする。


 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。

 緊張しすぎて『変』な方向にばかり想像力が働いてしまった。

 こんなの、どう高嶺さんの顔を見ればいいかわからない。


 とりあえず、落ち着くまで同じ部屋になんか居られない。

 俺が戻る頃には、もう高嶺さんが先に寝ていてくれるといいんだが。


「はぁぁぁぁーっ」


 温泉に入り、息をつく。

 お湯で顔を擦ると、少し気分もマシになってきた。

 タオルを頭の上に載せて反省する。


「――だよな、これもいつもと同じ。俺は健康な高校生男子なんだから、こんなシチュで少しエロい方向の想像をしてしまうくらい仕方ないはずなンだわ」


 脳内自分会議の結論を、俺は声に出して総括した。

 俺は普通。俺は普通。

 よくあること。よくあること。


 呪文のようの唱えながら、俺は湯舟を出た。

 その頃にはだいぶ気持ちが切り替わっていたので、脱衣所の自動販売機で瓶入りのフルーツ牛乳なるものを購入して飲んでしまう。


 腰に手を当てて、ぐいっと背を逸らせてひと息に飲み干す。

 昔なんかの漫画で読んだようなシチュエーションだ。フルーツ牛乳って実在していたんだなぁ。


 落ち着いてきたので部屋に帰ろうかとも思ったのだけど、さっき言った通り少し岩盤浴をしていくのもいいかと思い出した。

 岩盤浴っていうのは、温められた石の上に横になり、岩盤から発する遠赤外線などの温熱効果を得る入浴方法。

 簡単に言うと室温低めなサウナで寝っ転がるようなものだ。


 男性用の脱衣所に入っていくと、そこには岩盤浴着替え用の藍色作務衣と、寝転がるとき下に敷く大型のタオルが置いてあった。

 俺は再び服を脱ぐと、作務衣だけ着用。岩盤浴場に向かう。


 中は湿度が高く、暖かかった。

 ちょっと遅めの時間だ、人はもういなかろうと思っていたのだが、どうやら一人先客がいた。俺は気まずくならないように、その人とは距離を置いて岩の上に横になった。


 まずはうつ伏せで五分ほど。

 じんわりと滲む汗が、次第に玉となって身体を伝っていく。

 そろそろいいか、と思い身体を仰向けに……しようとして、俺はビクリ! 硬直した。


 離れていたはずの先客一人が、いつの間にか横に寝転がっていたのだ。

 え! なんで!? ――あ!


 サウナなどには『そういう趣味』の男がいて、夜な夜な出没しては獲物を『掘る』という噂を聞いたことがある。

 ――もしかして俺は、今とても危険な目に遭っているのはないだろうか!?


 逃げよう! と思った、そのとき。


「天堂くん」


 横にうつぶせた人影が、聞き覚えのある声で喋ったのだった。

 つまりは高嶺さんだった。作務衣姿の高嶺さん。


「……高嶺、さん?」


 と俺は間抜けな声を出してしまう。だって、ここは男湯――。


「なんでこんなところに?」

「天堂くんが岩盤浴に行くからって聞いて、私も来てしまいました」

「それはいいけど、ここは、男湯で……」

「え?」


 と高嶺さんはうつぶせた上半身を少し持ち上げながら、俺の方を見る。


「天堂くん、気づいてなかったの? ここ、岩盤浴だけは混浴なんですよ?」

「は?」


 俺は思わず目を丸くしてしまっていたに違いない。

 知らなかった。そうか脱衣所が分かれているだけだったのか。


「そうか、ここは混浴……って、ええ高嶺さん! その作務衣の下……!?」

「もー、最近気がつきましたけど、天堂くんて案外エッチですよね!」

「けけけ、健康な男子高校生なんか、こんなもんだよっ!?」


 俺が慌てた声を上げると、高嶺さんはどこか恥ずかしそうに笑い、


「わかってます。ごめんなさい、ちょっと意地悪が言いたかったんです」


 と片目をつむる。


「下には水着を着てますよ」

「そ、そうだよね! うん!」

「だから、大丈夫です」

「うん。うん?」

「もっと近づいてきても……大丈夫ですよ?」


 そういうと、高嶺さんは両目を瞑って、少し震えた。


「天堂くん、前に言いました。今度は自分から、って」

「そ、それって――!」


 高嶺さんはそれ以上なにも言わない。ただ目を瞑って、俺の方を向いているだけだった。

 だから俺は、床をゆっくりにじり寄っていき。

 高嶺さんの肩に、片手を置いた。


 ビクリと硬直する高嶺さん。見れば、うっすらと涙を滲ませている。

 俺はそのまま高嶺さんに近づき――、むにぃ、と彼女の頬を引っ張った。


「あ……」

「今は、まだ」


 高嶺さんがゆっくり目を開く。俺は訊ねた。


「……なんで震えてたの?」

「え?」

「なんで、涙ぐんでたの?」

「あ、えっ!? これは……!」


 なんか俺にはわかってしまったのだ、彼女が無理をしてたんだ、と。


「どうして、こんなことを?」


 高嶺さんは、少し言いにくそうに、一瞬目を逸らす。


「私ね、あまりわかってなかったの。年頃の男の人にとって、年頃の女の子がいつも近くにいることの大変さが。だから今回の旅行も、一人で身勝手に喜ぶだけで、天堂くんのことを考えてませんでした」


 高嶺さんが、俺の作務衣の袖を握り締めた。

 俺は首を振る。


「考えてなかったもなにも、俺が誘った旅行だよ? 高嶺さんがなにを気に病む必要なんかないと思うけど」

「でも……天堂くんだって男の人だもの。本当は、そういうことも……したいですよね?」


 高嶺さんは顔を赤くしながら言う。

 俺は頷いた。ここで嘘は言えない。


「うん、もちろん! だけど――」


 だけど、それだけじゃない。俺は言葉を繋ぐ。


「それ以上に、俺は高嶺さんを大切にしたい。高嶺さんの気持ちを尊重したい。もし俺からキスをするとしてもね、今じゃないと思うんだ。だから、約束は先延ばしにしても、いいかな?」

「天堂くん……」

「部屋に戻ろう、高嶺さん? 俺たちがいないときに和音ちゃんが起きちゃったら、寂しい思いをさせちゃうよ」

「うん、……うん。ありがとう、天堂くん」


 高嶺さんは涙ぐんでいた。

 今は、これくらいの関係でいい。これくらいの関係がいい。

 そりゃ、俺だってエッチなことには興味あるし、高嶺さんにキスだってしたい。だけど、俺が高嶺さんに抱いている感情は、そういうのだけじゃあないのだ。


 俺は、高嶺さんが好きだ。

 異性としても好きだけど、一人の人間としても好きだ。困難に悩み、立ち向かおうとする姿勢が好きだ。

 俺はそんな高嶺さんの顔を、曇らせたくない。そういう自分でありたい。


「あとね、高嶺さん!」

「はい?」

「俺、和音ちゃんも高嶺さんと同じくらい好きなんだ。だからね、よかったらこれからも、俺に遠慮しないでいてくれると嬉しいんだけど」


 高嶺さんは涙を拭き、


「……はい!」


 と笑顔を浮かべた。


「私、遠慮しません!」


 その後、俺たちは浴場を出て、フルーツ牛乳を二人で一気飲みした。

 腰に手を当てて、背を逸らしてグイっと同時に。


「なんか昔の漫画みたいですね」


 高嶺さんはまた笑ったのだった。


 ◇◆◇◆


 俺たちは、一つの布団の上に寝っ転がっている。

 和音ちゃんを挟んで、高嶺さんと俺。向かい合ってクスクスと小声で話していた。


「時子さん、そんなに剣道お強いんですか」

「強いなんてもんじゃないよ。俺、結局まともに一本取らせてもらえたことなかったもの。誰かにやられているところも見たことない」

「すごいですね、ああでも、わかるような気もする……。時子さんて、ときおり凛としてらっしゃいますから」

「なんだよ『ときおり』って」

「あ……っ!」


 俺たちはやっぱりクスクスと笑いあう。

 こんな、益体もない話をもうどれくらいしているのか。


 耳をすませば、暗いどこかから海の音。

 潮騒が遠くから押し寄せては引き、押し寄せては引き、耳の中を波立てる。


 和音ちゃんは俺たちの間に挟まってスヤスヤだ。

 よっぽど疲れたんだろうな今日は。ずっとハシャいでいたから。


「ん……じごくで……あいましょう」


 寝言だ。夢の中でまた水鉄砲を撃っているのだろうか。


「きっと天堂くんを撃ってるんですよ?」

「夢の中の俺も大変だ」


 俺は和音ちゃんに毛布を掛け直した。

 そしてもう少しだけ高嶺さんと話して、いつの間にか夢の中に落ちていったのであった。


 ◇◆◇◆


「カズオミお兄ちゃーん! おそいおそいー!」


 俺は駅弁を抱えて、電車に走り乗る。

 あっという間に時間は経って、帰りの旅路だ。


 向かい合いの席に座って、俺たちはお弁当を食べる。車窓の向こうには白い雲と青い空、そして水平線。

 お弁当を食べながら、和音ちゃんが声を上げた。


「たのしかったです!」


 空っぽの水鉄砲を左手に、箸を右手に。

 行儀が悪いでしょ、と高嶺さんが言っても今日の和音ちゃんは水鉄砲を離さない。


「たのしかったですね!」


 海の名残を左手に持ったまま、和音ちゃんはもう一回繰り返す。ああ。これは返事をしないと止まりそうもない。でも、そうだな本当に楽しかった。


「――楽しかったね」


 俺は高嶺さんに笑い掛けた。仕方ないですねぇ、と言いながらも高嶺さんは満更でもない顔でクスリと笑う。


「そうだね、わーちゃん。お姉ちゃんも楽しかったな」


 和音ちゃんは、満足そうに満面の笑顔を浮かべたのだった。



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