和音ちゃんは犬の首についたリードを手にして、公園内の散歩道を走り回っている。
犬を散歩させてるというよりは、逆に引っ張られて走らされてる形に見えなくもない。
「きゃははは! まってー!」
うん、間違いなく引っ張られてる。
仕方ないか、大型犬だ。飼い主のおばさんはシベリアンハスキーと言っていた、ハシャぐ大型犬の牽引力は間違いなく和音ちゃんよりも強い。
「そうなの。貴方たち、あそこの学校の生徒さんなのねぇ」
「はい。今は二年です」
にこやかに話し掛けてくるおばさんに、俺も笑顔で答えた。
俺とおばさん、そして高嶺さんは今、ベンチに座って和音ちゃんを眺めている。
「そう。じゃあこれから忙しくなっていく時期ねぇ」
「だと思うのですが、まだ実感がなくて」
「だめよそんなことじゃ。彼女さんが不安がっちゃうでしょ? ねえ瑞希ちゃん」
「え!? あ、はい!」
「うふふ、いいのよ。無理しないで? 偉いわぁ、人見知りを治す為にアルバイトをしてるだなんて」
すみません、と高嶺さんが顔を赤くしてうつむいた。
おばさんが聞き上手だったのと、逆に通りすがりの他人ということもあって、俺たちは自分たちの事情を素直に話してしまった。
恋人同士に勘違いされているのは、おばさんが俺たちの間柄を訊ねたときに、「ちゅーをした仲です!」と和音ちゃんが嬉しそうに答えてしまったからだ。
うーん、嘘ではないけど言葉が足りなかったことは否めない。和音ちゃんには困ったものだ。
俺は、「カズオミお兄ちゃーん」と手を振る和音ちゃんに手を振り返しながら苦笑した。
「和音ちゃんも元気。いいわね、貴方たちが仲良しなのがよくわかる」
「そういうものなんですか?」
「そりゃあそうよ、子供は敏感なんだから。貴方たちの仲が悪かったら、あんな良い顔してハシャげないわ。ホント楽しそう」
なるほど。子は親の鏡という言葉を聞いたことがある。
それに似たことを言っているのだろう。
「そう……なんです! 天堂くんには、本当に……お世話になっていて……!」
高嶺さんがうつむきながら声を絞り出す。
おばさんは、うふふ、と微笑んだ。
「うんうん、わかりますよ。――和臣くん、憎いわね。瑞希ちゃんにここまで言わせるなんて」
「いやぁ、なんというか。あはは」
「テレないの。もっと胸を張って! ね?」
「……は、はい!」
俺は無理やり胸を張ってみせた。
◇◆◇◆
おばさんと別れた俺たちは大きな沼の畔にある散歩道を歩いていた。
公園内から外までへも続くこの道は、沼の周りをぐるっと、他の市まで続くほど長い。
でもまあ俺たちには公園内を散策するくらいの距離で十分だ。
それでも十分に楽しめる。
途中にはカモや白鳥などが道の中央に座してることがあるくらい、ある意味カオスな散歩道だった。
高嶺さんと和音ちゃんは、キャッキャ言いながら鳥をスマホで撮っている。
俺はむしろ、そんな二人を撮りたい気持ちに駆られるのであった。
「お姉ちゃん」
「どうしたの? わーちゃん」
「わーちゃんは、あれに乗ってみたいのですが」
和音ちゃんが指さしたのは、沼に浮かぶボートであった。
カップルが二人で乗っている。手漕ぎのボートだ。
「あれって……高校生以下だけでも乗れるのかしら?」
「乗れると思うよ。釣りはできないけど」
「……? どういうこと?」
俺は説明した。
むかーしむかし、時子さんがまだ若い頃。
具体的には高校生だった頃に連れられて乗った記憶があるのだった。
そのとき時子さんは沼の真ん中で釣りをしてたのだが、これは釣り船じゃあないと、戻ったときに怒られていたのである。
俺まで一緒に怒られてしまったので、鮮明に覚えている。
「時子さんて面白い人ですよね」
「頭のネジが何本か飛んでる人だからね」
俺たちはボートの借り場に行って、レンタル料を支払った。
落ちても水に浮ける簡易救命服を着こんで、ボートに乗り込む。
オールで漕ぐのは俺だ。
ボートの反対側に高嶺さんが座り、その膝の上には和音ちゃんが乗る。
「レッツゴーです!」
和音ちゃんの声で俺たちは出発した。
大量の水が近くにあるためか、とても涼しい。
この、水面を渡る風が湿気を含んでいるのだろう。
「あっちあっち!」
和音ちゃんの指示通り、水面から突き出ている棒を目指して俺は漕ぐ。
漕ぎ慣れているわけじゃないので進みは遅いが、それでも和音ちゃんは満足そうだった。
「ね、天堂くん」
「ん、なぁに?」
「私、今日、うまく笑えた気がするんです」
「そうだね。特におばさんに最初向けた笑顔はよかったよね」
「うん……うん!」
高嶺さんは少し興奮気味に、両手を握って一人うなづいている。
積み重ねて、自信に繋げていってくれるといいな。
いま高嶺さんに必要な物は、自信だと思う俺だ。ハタから見てるとあんなになんでもできるのに、高嶺さんは自分に自信がない。
その辺が、行き過ぎた人見知りに繋がってる気がする。
自信をつける為に大事なのは、成功体験の積み重ねと褒められることだと言う。
だから俺は、高嶺さんの良いところをドンドン褒めていこうと思っていた。
俺如きが高嶺さんを「褒める」とか、なんか勘違いした上から目線の行為だと思わなくもないが、きっとそれが必要なのだ。必要なら俺はいくらでもそうしてやる。
頑張っている高嶺さんを応援したいんだ。
「ほら、棒に近づいてきたよ」
高嶺さんが和音ちゃんに声を掛けた。
和音ちゃんが高嶺さんの膝上から腰を上げた。這いながら船べりに手を掛け、棒に触ろうと手を伸ばす。
「もくひょうちてんに、たっちー」
「うまいうまい、わーちゃんうまいねー」
高嶺さんが和音ちゃんに拍手。
しかし今、俺の目はそんなことを気にしている暇がないくらいに見開かれていた。
「…………!」
俺は無言で凝視してしまう。ある一点を。
和音ちゃんがどいたことで、高嶺さんの短いスカートの下が露わになってしまったのだ。
つまり、パンツだ。
パンツだ。
見えている。やっぱり水色だ。少し開かれた細い太ももの奥、淡いパステルカラーの布が見えているのだった。
いや見ちゃう。仕方ない。何度でも言うけど俺は男子高校生、そういう生き物。
「天堂くん?」
「どうしましたかカズオミお兄ちゃん!」
二人にじっと見られていた。しまった、全然気づかなかった。
にじり寄ってきた和音ちゃんが、俺の近くまで来ると高嶺さんの方へと振り返った。そして言う。
「わかりましたお姉ちゃん! カズオミお兄ちゃんはエッチさん!」
「え?」
高嶺さんがキョトンとする。
「パンツ見るとエッチなんですよね! わーちゃんおぼえてます!」
「~~~~ッッッ!」
気がついた高嶺さんが、スカートを抑えて足を畳む!
しまった、なんて言おう! なんだよ和音ちゃん、変なこと覚えちゃって! って、教えたのは俺か!
えっと! あの! その! 気が動転して! ああそうだ、と俺の思考は行きついた。さっき決めたじゃないか、俺は積極的に高嶺さんのことを褒めるんだ、って! 応援するんだって。だから。
「良い水色だよね!」
高嶺さんはびっくりした顔をして、耳まで真っ赤になった。