昼休み、昼食の時間。
俺と高嶺さんは、校内の草陰にある芝の中に座っていた。
周りは人の背丈の半分くらいの庭木が囲うように植えられており、ここなら二人で居てもきっと目立たない。
「逃げてきたって言ってたけど、大丈夫なの?」
「うん。今日は先生に呼ばれているからって、嘘ついてきちゃいました」
ふふと口を押さえて笑う高嶺さん。かわいい。これは嘘だって許してしまいそう。
俺が苦笑していると、高嶺さんが嬉しそうに笑った。
「学校で二人で話すの、初めてですね」
「そうだっけ?」
俺はとぼけた。
学校では俺は高嶺さんを避けていたので、彼女が言う通り初めてだ。
「ふふ、ありがとう。天堂くんが私のことを考えてそうしてくれてたのはわかってますから」
正面切って言われると少し気恥しい。
俺はつるりと顔を撫でた。どういう顔をするべきなのだろう。
わからなかったので、うん、と頷いて、芝生の上に置いたお弁当の包みを開き始めた。
「……ラムネ?」
「今日のわーちゃんは、ラムネです!」
「ラムネかー」
ご飯の中央に、今日も和音ちゃんのオススメが鎮座しているのだった。
今日はケースに入ったラムネ菓子。
「ラムネは疲れた頭に良いんだって」
「へーそうなんだ?」
「すぐに吸収されて頭に栄養が行きわたるらしいの。頭のごはんだね」
別に和音ちゃんがそれを知ってて入れたとは思わないが、学生へのお弁当としてはちょっとシャレてるな、と俺は思った。
お弁当の中に頭用のごはんも入っているのだ、気が利いてる。
「それじゃ、いただきます」
「はい、どうぞ。……私もいただきまーす」
俺たちはお弁当を食べ始めた。いつもながら高嶺さんのお手製弁当は美味しい、今日は玉ねぎたっぷり豚肉の生姜焼きが入っている。生姜が効いてるけど、和音ちゃんはこれを保育園で食べることができてるのかな?
疑問に思い高嶺さんに問うと、和音ちゃんの分は生姜が控えめになっているという。
「なるほどね」
疑問が晴れて俺は納得。
……って、あれ? こんな呑気なやり取りをしてていいんだっけ? ――いやよくない。
忘れてた、『高嶺さんが男とミオンで遊んでいた』という噂の問題だ。
俺がその話を振ると、高嶺さんは目に見えて消沈した。
「ホント、今日は朝からそれを聞かれてて……」
「ミオンて俺たち学生はよく遊びにいくもんな。見られる可能性を考えてなかったのは俺が悪かったよ」
「ううん、天堂くんは悪くない。私も行きたかったんだから。でも、みんなにはなんて言うのが賢いのかわからなくて」
「うーん」
お弁当を食べながら、俺たちは頭を悩ませた。
飲みませんか? と高嶺さんが水筒の麦茶を紙コップに入れてくれたので、遠慮なく頂く。あーおいしい。今ごろは和音ちゃんもお弁当を食べているのかな? ラムネを最初に食べてなければいいけど。
「うふふ。ラムネは最後にしなくちゃダメだよ、ってわーちゃんには言ってあるんです」
俺がつい心配を漏らすと、高嶺さんは不要だと言い切った。
「でもほら、子供ってお菓子大好きじゃない? ついつい先に食べちゃったりしないかな」
「大丈夫。わーちゃんにはね、『カズオミお兄ちゃんも最後に食べるから』って言ってありますから。わーちゃん、ほんと天堂くんのことが好きだから、きっと一緒にすると思う」
「はは。それは光栄」
――ん? お兄ちゃん。そうかお兄ちゃんか。
「どうだろう高嶺さん。ベタだけど、『お兄ちゃん』と一緒にミオンに行ってたことにしたら」
俺は思い付きを提案する。
「親戚のお兄ちゃん、っていうニュアンスにしてさ。でもそう言い切らなければ、別に嘘ってわけでもない。何故なら俺は、和音ちゃんの『お兄ちゃん』なんだから」
「いいかも……!」
「親戚のお兄ちゃんなら和音ちゃんが懐いてても不思議ないしね。三人で居るところを見られてるんだろうから、皆も納得してくれるんじゃないかな」
「うん、そうします! ありがとう天堂くん」
どういたしまして、と俺も胸を撫でおろした。
俺としても校内で騒がれたくないのだ。俺が氷の姫君と一緒にいるなんて知られたら、間違いなく同性からやっかみを受ける。想像もしたくない事態だ。
そういう意味では今こうして一緒にお弁当を食べていることも危険なのだが、高嶺さんに相談を持ち掛けれられて無碍にできるほど俺の意志は強くない。
風がそよいでいる。
植え込みに囲まれている俺たちの元にも、六月の風が気持ちよかった。
これから季節は梅雨どきを迎え、すぐに暑くなっていくだろう。今はその狭間だ。
緑の葉がムクムクと広がり始める時期。
夏服に変わった俺たちの制服が、少し汗ばみ始める時期。
強すぎない日差しが気持ちよい芝生の上で、俺たちはとりとめない話を続けながらお弁当を食べた。俺はデザートであるラムネを口にする。ああ、満足だ。
「ところでね、天堂くんにお願いがあるんだけど……」
「ん、なんだろう改まって?」
ちょっと上目遣いに、高嶺さんが言ってくる。
こんな言い方されたら、どんな内容でも大抵の男は聞いてしまうに違いない。
もちろん俺もその一人なので、一も二もなく頷いた。
「来週ね、わーちゃんの誕生日なの。でね、お誕生日のプレゼントを買いに行きたいんだけど今度付き合って貰えませんか」
「誕生日なんだ? もちろん付き合うよ。……あれ? でもそれなら昨日ミオンで買っちゃってもよかったんじゃない?」
「わーちゃんには何をプレゼントするか内緒にしたいの。だからこの間は買えなくて……」「そういうことか。なら俺にも一枚噛ませてよ、俺も和音ちゃんの誕生日を祝いたいや」
「ほんと? わーちゃん喜ぶと思う、ありがとう」
今度は出かける場所をちょっと考えよう。
姿見られて昨日の今日で、またミオンてわけには行かないよな。
◇◆◇◆
その日、和音ちゃんは時子さんのところに預けてきた。
和音ちゃん抜きでのお出掛け。和音ちゃんがイヤがるかと思ったのだが、学校の用事だからと高嶺さんが言うと、意外にも和音ちゃんは素直に留守番を承諾した。
「もっと揉めるのかと思ってたんだけど、存外すんなりしてたね和音ちゃん」
「学校は大事だからってお母さんに聞かされてきたから、わーちゃん。学校に関することは邪魔したくないって思ってるようなの」
「えらいな。前々から思ってたけど、和音ちゃんてビックリするくらい賢いよね」
「うふふ、もっとわーちゃんを褒めてあげて? 私も嬉しいですから」
喫茶『トレジュアボックス』を後にした俺たちは、電車に乗った。
今日は少し遠出をするつもりだった。同じ学校の生徒の目を避けるためだ。
電車で運ばれること一時間と少し、都内に着いたのだった。
「す、すごい人混み……!」
高嶺さんが目を丸くする。
ここは渋谷の駅前スクランブル交差点、信号が青になると人の塊が波のように一斉に移動を始めた。
「高嶺さん、もしかして渋谷は初めて?」
「う、うん。あまり遠出したことないから……、都内って凄いですね、こんなに人がいるんだ」
「渋谷スクランブル交差点は世界で一番人が行き交う交差点らしいよ。なんか海外でも話題になってる有名スポットなんだってさ」
「そうなんだ……!」
興奮冷めやらぬという顔をした高嶺さんが、キョロキョロと周囲を見渡している。
俺は視線で交差点の一角を指し示して、言う。
「ほら見て。スマホで交差点の動画を撮ってる外国の人が多いよね」
「私も撮ろうかな。すごいもん」
「あはは、良いんじゃない? それなら俺も撮るか」
交差点の端に行って、俺たちも動画を撮った。
撮ってどうするというわけじゃないけど、記念だ。ワクワクする光景を切り取っていくのはなかなかに楽しい気持ちになるものだった。
同じく交差点を撮っていた外国人から声を掛けられた。
英語らしいがヒヤリングな苦手な俺は、なんと言ってるのかわからない。
ゼスチャーからの雰囲気で察しながら対応していたら、動画を撮られた。俺は反射的にピースをして笑い、高嶺さんは驚いた顔で俺の後ろに隠れた。
外国人は陽気に笑う。
「You two look good together. Lovers?」(お似合いだね、恋人同士?)
なにを言っているのかわからないので、曖昧な顔をしたまま笑っている俺だ。
だけどなぜか、高嶺さんの顔がみるみるうちに真っ赤になっていった。
高嶺さんが俺の袖を引くので、外国人に手を振ってその場を去る。
「さっきの人、なんていってたんだい?」
「なんでもありません! うんなんでもない!」
よくわからないが、顔を真っ赤にした高嶺さん。
だけど、どこか嬉しそうにも見えるのはなんでだろう。
「あ、ハチ公像」
「え、どこどこ天堂くん?」
渋谷の待ち合わせスポットであるハチ公像は、木の茂みにひっそりと立っている。
高嶺さんは、嬉しそうにハチ公像もスマホで撮った。
よかった気が逸れたみたいだ。もう顔は赤くない。
俺たちは東急ハンズに行き、目的の物を買った。
和音ちゃんへのプレゼント、クレヨンだ。
いま和音ちゃんが使っているものよりも豪華な、36色仕様。ちょっとお高い。
俺も半額出させてもらい、画用紙も幾つか買う。
「和音ちゃん、喜んでくれるかな?」
「喜ぶと思う。わーちゃんお絵かき好きだから」
和音ちゃんが喜ぶ前に、既に高嶺さんが喜んでいる。和音ちゃんの喜ぶ顔を想像しているのだろう。そんな笑顔を見れただけでも、俺にとっては眼福だ。今日は来た甲斐があった。
その後、渋谷109に寄り、クレープを食べた。
あれ? これってなんとなくデートぽくないか? そう思った途端、なんだか気恥ずかしくなってくる。
そうだよ今日は高嶺さんと二人っきりなんだ、間に和音ちゃんがいない。
俺はクレープを食べながら、無言になってしまった。
気がつくと高嶺さんも無言になっている。ほんのり顔も赤い気がした。
もしかすると目的を達してひと息ついたことで冷静になり、俺と同じようなことを思ってしまっているのかもしれない。
高嶺さんと、目が合う。
俺たちは、どちらともなくすぐに視線を外した。やっぱり高嶺さんも、俺と同じことを考えてしまっている気がした。
もしかして、これはデートなのかな? って。
無言。沈黙。
高嶺さんは小さな口で、クレープを少しづつ食べていく。女の子の食べ方ってカワイイな。俺はチラチラと高嶺さんの横顔を見ながら、自分でもクレープを口にした。
「天堂くん」
高嶺さんが口を開いた。
こちらを見てはいない。視線を外したまま、俺に話しかけてくる。
「ん?」
「おいしいね」
「うん」
「……少し、交換しませんか? そっちのも食べたいな、って」
「え?」
――え? と。俺は思わず聞き返してしまった。交換? 食べかけを? それって、間接キスになってしまうのでは?
「いや……ですか?」
「と、とんでもない。うん、こっちもおいしいよ。交換、する?」
高嶺さんは、無言で俺にクレープを渡してきた。
俺も高嶺さんに食べかけのクレープを渡す。
その後は、正直味なんかわからなかった。渡されたクレープは、いつの間にか無くなっていた。
いつの間にか、高嶺さんがこちらを見ていた。目が合うと、ふふ、と笑う。
「デートって、こんな感じなんでしょうか?」
「え!? ……いや、どうなんだろう。わかんないや、俺、デートなんかしたことないから」
「私も、したことないからわかりません。でも」
高嶺さんがしっとりと笑う。
「きっと、こんな風に楽しいんでしょうね」
「そうだね。うん、そんな気がする」
俺たちは、また無言。
だけどその無言は、なんか居心地のいい無言だった。気持ちが通じ合ってる気がして、嬉しい無言だった。
ああ、楽しいなぁ。
俺も笑った。