「あら? ……瑞希ちゃん?」
「垣崎の叔母さん?」
ミオンから帰ろうとした俺たちは、派手なブランド物に身を包んだ四十代くらいに見える女性から声を掛けられた。――この人が高嶺さんの叔母さん?
「こんな所でなにしてるの? あなたたち」
「え、あの……、遊びに来ただけです」
高嶺さんの様子がいつもと違う。叔母さんから目を逸らしてやや俯き加減、明らかに委縮している。
「ふーん。で、この子は? あなたは……誰?」
「天堂です、天堂和臣といいます。高嶺さんの同級生です」
まるで値踏みするかのような目で、俺のことを見回す。
正直、良い印象を受けない。
「そう。で、瑞希ちゃん。無駄遣いはしてないでしょうねえ?」
「……してません。ただ、必要な服を買いに来ただけで――」
「服!? そんなもの新しく買う必要があるっていうの? まだ着れる服なんていっぱいあるでしょ?」
「それはそうですけど……わーちゃんにも新しい服を買ってあげたかったので」
「あらあら、もうやだやだ。最近の子はお金のありがたみなんてわかってないのねえ」
あまり人の叔母さんの悪口など言いたくないが、これはひどい。
嫌味な言い方に、棘のある話し言葉、口を出さないようにと思っていたが、さすがに我慢ができなくなる。
「そこまでいうことないんじゃないんですか。高嶺さんはただ、妹のためを想ってるだけです。それに今日ミオンに誘ったのは俺なんで、俺に責任があります」
「あら、じゃあ貴方が悪いってこと?」
「悪いとか悪くないとか、そういう話ではないと思います。責任があると言っただけです」
バツの悪そうな顔で、叔母さんは俺を睨みつける。
敵意が剥きだしだ。どうも俺は嫌われてしまったらしい。
「……ふん。そういえば瑞希ちゃん、ミオンは苦手なんじゃなかった? さっき見ていた笑顔からすると、もうご両親のことは忘れられたのねえ」
「な……なんでそんな言い方をするんですか? 忘れるわけ……ありません」
悲しそうな顔をする高嶺さん。
叔母さんの言い様は、どう聞いても嫌味でしかない。
だからといってあまり俺がなにか言い過ぎるのも、事態を悪化させるだけに思えた。
和音ちゃんが寝ていてくれて良かった。
こんな場面、子供の心に良い影響を与えるはずがない。
これ以上ここにいて、和音ちゃんが起きてしまうのが俺は怖くなった。
「高嶺さん、バスの時間があるからそろそろ行かないと」
「え、あ? うん、そうだね」
「すみません、俺たちはここで失礼します。じゃあ行こうか、高嶺さん」
俺は和音ちゃんをおぶったまま高嶺さんの手を取り、強く引いた。
「瑞希ちゃん。購入した物のレシート、ちゃんと後で送っておくのよ。あなた達に無駄遣いさせないのも、叔母である私の役目なんだから」
去り際、叔母さんは嫌味ったらしく捨て台詞を穿いてきた。
自分は自分はブランド物を身に着けながらよく言えるものだ。呆れる。
自然、俺の足は速くなってしまう。早くここから去りたい。
モールの建物を抜けた。バス乗り場へ向かう。
高嶺さんが俯き加減に俺の顔を見た。
「ありがとう天堂くん」
「ん?」
「庇ってくれて」
「ああ、うん。気にしちゃダメだよ高嶺さん、あの人の言うこと」
「……そうですね」
おや、なんだろう。高嶺さんの顔が真っ赤なことに気がついた。
気分でも悪いのだろうか。俺は訊ねてみることにした。
「高嶺さん、顔真っ赤だけど体調でも悪くなった?」
「え? あの、ちが……」
高嶺さんがしどろもどろになる。
その視線が一点をチラチラ見てるようだったので、俺はそれを追った。――あっ!
「ご、ごめんっ!」
気がついた。俺はずっと高嶺さんの手を握っていたのだ。
慌てて手を離す。
「ううん、気にしてないから」
「あ、うん!」
俺たちはそれぞれに別の方向を向きながら、汗を拭った。
顔が熱い。だめだ俺も顔が真っ赤に違いない。
気づかぬうちに高嶺さんの手を握ってしまった。
バスが来た。俺たちは乗り込んで、席につく。和音ちゃんを横に座らせて、上着を掛けてあげた。
「今日は……楽しかったですね、天堂くん」
まだ顔を赤くしたままの高嶺さんが、俺の方を見て言う。
俺もまた、彼女の顔を見て言った。
「うん。楽しかった、そうだね楽しかった」
叔母さんなんかに、気持ちを塗り替えられてたまるか。
そうだ、今日は楽しかった。頑張る高嶺さんの姿を見れて、よかった。もやもやと、高嶺さんの下着姿が頭の中に蘇る。ああうん、それももちろん嬉しい。だって高校生男子だもの! でもそんなことよりも、とにかく今日は充実していた。和音ちゃんも喜んでいた。それで良いじゃないか。それが良いんじゃないか。
「また来ようね、高嶺さん」
「うん、絶対に!」
こうして俺たちのミオンツアーは、終わりを迎えたのだった。
◇◆◇◆
「和臣やーい」
朝、学校の教室に入ると純也が話しかけてきた。
「よう純也、おはよう」
「おはよう」
挨拶を交わしながら、俺は自分の席につく。付いてきた純也が、空いていた俺の前の席に座ってこちらを見た。
「和臣、おまえさ、昨日ミオンに行った?」
「な、なんだよ突然」
「いやさ、うちの後輩がさ、昨日ミオンでおまえのことを見たって言うんだよ」
俺はドキッとした。
昨日、つまり高嶺さんと一緒にいたところを見られている可能性があるわけだ。
ここは、はぐらかした方がよさそうな気がする。
努めて平静を装って、俺は肩をすくめてみせた。
「へえ。昨日は家で溜まった宿題をやってたよ、俺なら」
嘘じゃない、宿題も確かにやった。
ミオンから帰ったあと、高嶺さんに見て貰いながらだが。
「そっか。まあそうだよな、うん。そんなわけないんだよ」
「なんだよ一人でブツブツ言って。なにかあったのか」
「いやな、昨日ミオンで高嶺さんを見掛けたらしいんだ。でさ、その横に男がいたらしいんだよな。それが和臣に似てた、って言うもんで」
「ふーん」
「ま、そんなわけないよなぁ」
危ない。やっぱり見られていたのか。そうだよな高嶺さんは目立つんだ、うちの学生の行動範囲内ではもっと気をつけていかないと。
「にしてもショックだよな、あの高嶺さんに男の影とか。畜生いったいどこの誰だよ!」
すまん純也、それ俺。
だけど信じてくれ、決してやましい話じゃない。
――と。
もちろんそんな話をできるわけもなく、俺は「ははは」と苦笑を返したのだった。
そして時は流れ、お昼どき。
今日の純也は部室で後輩たちと昼食をとる約束をしているとのことで、俺は一人での食事となった。
当然、高嶺さん印のお弁当持参。
結局最初のときからずっとお弁当を作り続けて貰っている俺だった。
ちなみにあれから俺が提案して、食事の材料費は俺持ちとして貰った。
せめて折半で、と高嶺さんは言っていたが、それは俺が申し訳なくて断った。
高嶺さんには手間と時間を掛けて貰っている、せめて代金程度は持ちたかった俺なのだ。
俺は一人校内を彷徨いながら、どこか食事に良い場所でもないかと探した。
「ん、ここはなかなか」
校内の草陰に芝生があった。
陽だまりの中に絨毯のようなその芝生を手で触ると、ちょっと伸び気味の芝がチクチク刺さる。だけど場所がいい。
この時間にはあまり人影がない場所ぽく、静かだ。俺は気に入った。
草を分け入って、芝生の中に座ろうと思ったそのとき。
「天堂くん」
背後から声を掛けられた。
聞き覚えのある声、振り向くとそこには高嶺さんが立っていた。
「高嶺さん?」
俺はビックリした。
「どうしたのさ。ひとけがないから良いものの、こんなとこ見られたらまた面倒なことになるよ?」
俺はこれまで、学校では極力高嶺さんを避けていたのだ。
俺が家での調子で高嶺さんに接してたら、高嶺さんに迷惑が掛かる。
具体的にそうとは説明しなかったけど、互いの平穏のために、と言い含んで彼女にも納得して貰っていたと思うのだが。
「逃げてきちゃいました」
「逃げて? どういうこと?」
高嶺さんが疲れた顔で笑う。
「ミオンで誰と居たの? って今朝からずっと聞かれちゃって。だから天堂くんが外にいくのを見て、私も外にいきたいな、って」
ああ、やっぱり噂になってたのか。どうしたものかな。
俺は考えこもうとして、留まった。それより今は目立たないことが先決だ。
「わかった。じゃあほら高嶺さん、とにかくこの草陰に入っちゃってよ。ここなら周囲から死角になってると思うから」
「うん!」
俺たちは二人でお弁当を食べることにしたのだった。