朝の教室は騒がしい。
生徒たちがそれぞれ仲の良いグループに分かれ、先生がくるまでの時間をお喋りで潰している。もちろん俺も、その一人だ。
俺の席に、親友であり悪友の
「おはよう和臣、なんか機嫌よさそうじゃないか」
「そうか? うーん、そうか」
昨日は楽しかったからな、顔に出てたのかもしれない。
にやけ顔にでもなっていたのだろうか?
だとしたらちょっと恥ずかしいなと、俺は自分の顔を右手でつるりと撫でた。
「機嫌よさげな和臣にお願いがあります。……数学のノートを貸してくれー!」
「なんだ宿題やってないのか」
「お願いします神様和臣様! 毎日部活で忙しいし疲れるし、家でくらい心休まる時間が欲しいんだ!」
「わかったわかった、数学だな? えっと、ノート、ノート」
机の横に掛けていた鞄を手に取って、中から数学ノートを探し始める。
純也は剣道部だ、毎日遅くまで部活を頑張っている。
大会での成績もよく、中学の頃は県内で優勝。全国でも名が通っていた。
「ほらよ。三限目までには写して返してくれよ?」
「助かる! 持つべきものは自分より頭がいい親友だわ!」
はは、と思わず笑ってしまった。純也だって頭が悪いわけじゃあない。
今は勉強の優先順位が低くなっているだけだ。
「とはいえおまえが高校で剣道辞めたのは残念だったけどなぁ」
「仕方ないだろ、一人暮らしは大変なんだ」
「……そうだな、また同じ学校に通えてるだけでも俺は嬉しいよ」
「こうして宿題のノートも借りれるからな」
「そうそう」
今度は純也が、ははは、と笑う。
俺は、ついでに鞄の中身を机の中に入れようとした。――おや?
「ん、なんだそれ? 弁当箱?」
俺が机の中から引っ張り出したものに、純也も気がついた。
お弁当……? なんだろう、手紙もついてる。
俺にも見せろ、という純也の頭を押さえつけながら、読んでみる。
『昨晩はありがとうございます。お陰さまでわーちゃんも、天堂くんが隣に住んでいる今のおうちを気に入ってくれたみたいです。これはお約束の食事、お弁当です。お肉が好きと聞きましたので、お肉盛り盛りのお弁当にしてみました。でも野菜も食べないといけないと思うので、お野菜もタッパーに入れておきましたのでお食べください。量も多めにしたつもりなのですけど、足りなかったら言ってくださいね? それではまた!』
俺は高嶺さんの方を見た。
するとあちらも俺の方を見ていたようだ。目が合った。
が、彼女はその瞬間、驚いたように目を背けてしまう。
高嶺さんの耳が、みるみる赤くなっていく。そう恥ずかしがられると、なんだか俺も恥ずかしい。
目を合わせただけなのに、クラスの中で秘密のやりとりをした気分になってしまった。
「お、おい」
と純也が興奮気味だが小さな声で呟いてくる。
「いま俺、高嶺さんと目があっちまったよ。そしたら高嶺さん、顔逸らして真っ赤になったぞ!? どういうことだこれ」
「ん、あ? ……ああ。なんだろうな」
「氷の姫君のあんな反応、みたことあるか? もしかして高嶺さん、俺のことを……!」
小声で力説する純也に悪い気はしたが、実は俺と目が合ったんだとは言えない。
俺は申し訳ない気持ちになりながら、頷いた。
「なるほどな」
「……なるほどな、じゃなくて!」
純也は俺の反応に苦笑しながら、ジトリ俺を睨む。
「まーわかってるさ、そんなこたーないことくらい。なにせ相手は氷の姫君だ、俺となんか釣り合うものじゃーない」
「そうか? 純也は剣道部の主力だし、女子人気も結構あるだろ?」
「わかってないな和臣、高嶺さんはそういう次元じゃないんだよ。見ろよあの完璧な美貌、穏やかな佇まい。あれこそが全校男子の憧れであり、女子にも好かれている高嶺の花!」
純也が力説した。
「みろよ、教室の入口。他のクラスや学年からも氷の姫君を見に来ている奴らがいる!」
「そうだな。毎朝の風景だ」
「もちろんクラスの奴らだって同じさ、ちらちらと姫君を見てたりするだろう? 本当に皆の憧れなんだ」
言われて俺も、再び高嶺さんの方を見た。
いま高嶺さんは、女の子たちに囲まれている。
成績優秀なので、よく勉強のことを聞かれたりしているらしい。
「くー、俺も姫君に勉強教わりてー!」
純也は握り拳を作りながら力説した。
――勉強を教わりたい、か。
家でも面倒見の良い彼女のことだ、そういう点では問題なくクラスメイトに勉強を教えることができているのだろう。だけど。
昨晩『人見知り』という話を聞いた上でこう見ていると、確かに誰もに一線を引いているようにも思えた。笑わないのはいつもの事としても、どの表情も昨晩のようには柔らかくないのだ。
緊張しているのかもしれない。
大変だな、と俺は思った。本当はあんなに良い笑顔ができる人なのに。
今はたぶんクラスで俺しか知らないあの笑顔を、みんなにも見せてあげられる日がくるのだろうか。
「どうした和臣、高嶺さんに見とれたか?」
「んっ? ああ、すまん。そうだな。つい見とれてしまった」
「はは、仕方ない。健康な男子たるものそうあれかし!」
おどけた声で笑う純也が、俺の髪をクシャリと柔らかく掴む。
「で、その弁当なんなの?」
「え!? ああ!」
俺は一瞬なんと答えようかと思い、
「時子さんが作ってくれたんだよ。いつもコンビニや購買ばかりじゃ健康に悪いからって」
「うおお時子さん! いま和臣の保護者代理なんだっけ?」
「そうそう」
「羨ましい、羨ましいぞ! ちくしょー、俺もバイト先の美人オーナーからそんな小さくてカワイイ弁当包みを渡されたい!」
「純也には量が足りなすぎるだろ、運動部だしな」
「いいんだよ! 愛情で腹いっぱいにするから!」
「絶対倒れる」
「倒れたら時子さんに看病して貰えるから、やっぱりいいんだ!」
うーん? 果たしてそうなるかなぁ。
興奮気味に力説する純也に、俺は冷静な苦言を呈することにした。
「時子さんがタダで看病してくれると思うなよ?」
「払う! お金なら払うぞ! 小遣い全部費やしてもいい!」
「お金よりも大変なもので支払わせられる気がする」
「うおおお、それもまた憧れるー!」
俺たちが笑いあってると、チャイムが鳴った。
純也は俺に手を振り、ノートを持って席に帰っていく。
すぐに先生がくることだろう、こうして俺たちの日常は過ぎていくのだった。
◇◆◇◆
昼休み。
純也は購買にパンを買いにいったまま、今日は部室で食べるという。
俺は一人で机の上にお弁当箱を置いた。
もちろん高嶺さんから貰ったお弁当だ。メインの箱と、野菜タッパーに分かれている。
「おー、んじゃまず野菜から食べるか」
タッパーを開き、小さなドレッシング入れからゴマドレッシングを生野菜に掛けていく。
まずはレタスを箸で摘まんでいく。うん、レタス。これはレタス。
シャキシャキした歯触りが瑞々しくて、最初に食べる生野菜としては最良だと俺は思っている。
次に取ったのはブロッコリーだ。これは茹でてあるね、柔らかい。
ひとり暮らしの男子高校生なんか、普段野菜なんて目に入るわけがないので、こういう機会でもないと食べることがない。
たまに純也と食べ放題の焼肉やしゃぶしゃぶに行っても、食べるのは肉肉肉にご飯を山盛りといった調子だからな。
プチトマトやオクラも美味しく頂きました。
さて、野菜を食べたら次はメインのお弁当だ。俺はそちらの蓋を開けた。
「うおっ!?」
思わず声が出たのは、肉盛りのオカズに驚いたわけじゃあない。
白米の中央に鎮座ましましている、その物体に目を奪われたからだ。
「ヨクルト……!?」
ご飯の中にヨクルトの小容器が埋まっている。
ヨクルトは乳製品的な飲み物。
えええ? そこのポジションは梅干しとかじゃないのか!?
俺はヨクルトの容器を手で掘り起こした。
ラップに包まれているので衛生的だ。ラップを剥がして、俺はヨクルトを口にした。甘くて少し酸味がある味。――あれ? 案外肉と合う?
甘辛く焼かれた肉とご飯、そこにヨクルト。案外悪くない。
やるな高嶺さん。チョイスにはびっくりしたけど、美味しかった。
「あはは、高嶺さーん、それなにヘンテコー」
「かわいいー! ヨクルトの容器がご飯の中に埋まってるー!」
「おちゃめー!」
黄色い声が教室の中央から響いてくる。
なるほど、お揃いだったのか。そうだな手間を考えたら当たり前だ。
誰も知らないお揃い弁当。これはちょっとくすぐったい。
俺はほっこりしながらも、テレ気分で昼飯を食い終えたのだった。
さあ、これで午後の授業も終わったら、今日は高嶺さんをバイト先に紹介する予定だ。
時子さんに事情を報告してはある。スムーズに話が進むといいな。