「ご、ごめんなさい天堂くん、私、事情がわかってなくて……!」
「そーだよお姉ちゃん! カズオミお兄ちゃんはわーちゃんを助けてくれたんだから!」
顔を真っ赤にして頭を下げてくる高嶺さんと、彼女をお姉ちゃんと呼ぶわおんちゃん……、和音ちゃんか。
どうやら二人は姉妹のようだ。
言われて見てみれば、和音ちゃんは高嶺さんと似ている。きっと将来は美人に違いない。違いといえば、和音ちゃんの方がやや眉が濃く目が力強く見えるくらいか。
そんな妹さんがなぜこんな時間に外を出歩いていたのか。
高嶺さんの説明によれば、暗くなってから家を抜け出してしまったのだという。
「わーちゃんを助けてくれてありがとう、天堂くん」
「よかったよ、たまたま通り掛けることができて」
俺はテレながら頭を掻いた。
「そんなカズオミお兄ちゃんを、お姉ちゃんはお池に落としそうになって……」
「ほんっとーにごめんなさい!」
「結局落ちてないし、なんなら落ちるところも高嶺さんにセルフで助けて貰っているから」
あはは、と俺が笑うと、高嶺さんの顔がさらに赤くなる。
助けるときに俺の頭をその胸に、おっぱいに抱え込んでしまったことを思い出したのであろう。
それとも俺が思わず「おっぱい!?」と口走ってしまった追い打ちを思い出して耳まで赤くしているのか。
ともあれ高嶺さんが顔真っ赤にうつむいてしまったので、俺は和音ちゃんの方を見た。
「だけど、駄目だよ和音ちゃん。小さい子が暗くなってから一人で外に出ちゃ」
「わーちゃんのおうちはこっちだもん!」
「まだそんなこと言って。もうここは私たちの家じゃないの」
「やっ! こっち!」
和音ちゃんが玄関の方へと走っていった。
俺と高嶺さんが追うと、和音ちゃんはまた、玄関のドアをガチャガチャやっている。
鍵がないのだ、開くわけがない。
それでも和音ちゃんは、必死にガチャガチャドアノブを回し続ける。
「ね、わーちゃん、わかって? おうち帰ろ? 垣崎のおばちゃんにもご迷惑掛かるから……」
「わーちゃん、おばちゃんきらい!」
「駄目だよわーちゃん、そんなこと言っちゃあ」
「やー、やー!」
ドアガチャをとめない和音ちゃんと、やめさせようとする高嶺さん。
なんとなく状況を推察しながら俺は姉妹を眺めていた。
「今日だって暗くなってるのに一人でお外出て! お父さんとお母さんだってきっと怒ってるよ?」
「むー」
「お父さんとお母さんに心配させないよう、二人で頑張っていこうって約束したでしょ?」
「だってぇ……」
事情はわかってきたものの、俺には二人に欠ける言葉がなかった。
簡単に踏み込めるような話でもなさそうなので、横から二人を見ているだけだ。
「ね、わーちゃん。帰ろ?」
「…………」
頷こうか、首を横に振ろうか、和音ちゃんは悩んでいるようだった。
助けを求めるように俺の顔を見る和音ちゃん。
俺はしゃがみ込んで、その頭を撫でた。
「和音ちゃん、お姉ちゃんは和音ちゃんを心配しているだけだよ」
「うん」
「じゃあ帰ろうか? また俺も遊んであげるから」
「ほんと!?」
「もちろん! 約束だ!」
和音ちゃんは、パァと明るい顔になった。
「じゃあわーちゃん、帰ってドロロンQ見ようか!」
「ドロロンQ!」
突然、高嶺さんが明るい調子でおどけ始めた。
笑顔で和音ちゃんに元気な声を掛ける。
「良い子には優しいドロロンQ! だけど?」
「わるい子にはこわーいぞー!」
ドロロンQとは確か子供向け番組に出てくるオバケ。
一見カワイイ見た目をしてるのに、ワガママ言ったり悪戯している子をが居ると、懲らしめるために凄く怖い姿になって脅かしてくる。
キャハハと喜ぶ和音ちゃん。
高嶺さんはその反応にノッていく。
「こわいよー? ワガママ言ってるとドロロンQ怖いぞー?」
「こわいこわーい!」
「こちょこちょこちょこちょー!」
「やー、お姉ちゃん! コチョコチョだめぇっ!」
唐突に和音ちゃんをくすぐりだして、高嶺さんもキャッキャと笑う。
へえ、と俺は目を丸くしていまった。
学校で笑顔を全くみたことのない人だったのだけど、ああいう顔で笑うんだ。
妹さんと仲が良いんだな。
俺は一人っ子なので、温かさを感じる二人の繋がりが少し羨ましくも見える。
「わかりました、かえります!」
高嶺さんに向かってピシッと敬礼。
よかった解決したらしい、と俺が心の中で胸を撫でおろしていると。
「じゃあカズオミお兄ちゃん、おうちまで送ってね!」
「え!?」
「家まで送らせてほしいって、お兄ちゃんいってたから! いいですよ、送らせてさしあげます!」
満面の笑みで俺の顔を覗き込んでくる和音ちゃん。
横から慌て顔の高嶺さんが割り込んでくる。
「駄目よわーちゃん、お兄ちゃんもおうちに帰る時間なの!」
「カズオミお兄ちゃんがいいだしたんだよー?」
「ワガママ言ったらダメ!」
「むむー! ワガママじゃないもん!」
いかん、また言い合いが始まってしまう!
俺は反射的に口を挟んだ。
「いいんだ高嶺さん、送ってくくらいなんでもないよ」
「で、でもおうちの方が心配なさる時間では……」
「ウチ、今誰もいないんだ。一人暮らし。だから気にしないでいいよ」
高嶺さんにそう告げると、俺はしゃがみ込んで和音ちゃんと目線を合わせた。
「じゃ、帰ろうか和音ちゃん」
「うん!」
◇◆◇◆
俺たちは三人で並んで歩いた。
和音ちゃんを挟む形で、両側から手を繋いで夜道を進む。
その間、高嶺さんと和音ちゃんは楽しそうにハシャいでいた。
やっぱり高嶺さんの笑ってる顔は珍しい。俺はついつい見てしまう。
「どうしました天堂くん、私の顔になにかついてますか?」
「ん? ああいやごめん、高嶺さんの笑顔がかわいくてさ。学校でもそんな感じで笑ってくれればいいのに」
高嶺さんが顔を真っ赤にして、急に黙り込んだ。
――あれ? 俺なにかマズいこと言っちゃったかな?
俺から目を逸らしたまま、高嶺さんがボソボソ喋りだした。
「人と話すのが……苦手で……。妹と一緒ならあまり緊張しないんですけど……」
「もしかして、学校ではいつも緊張していたの?」
こくん、と頷く高嶺さん。
「私、人に対してどういう顔をすればいいのかわからなくて」
「そうなの? 和音ちゃんに対するようにすればいいだけなのに」
「それが、どうにも難しく……」
「お姉ちゃんは『ひとみしり』ってお母さんが言ってた!」
「難しい言葉を知ってるね和音ちゃん」
「えへへー」
「もうっ! わーちゃんったら!」
和音ちゃんが絡むと急に表情が豊かになった。
なるほど。あのクールフェイスは、人見知りの結果だったのか。
「あ、ごめんなさい天堂くん。私も……、人見知り、治せないかなって思ってるんですけどね」
「そっかぁ。そうだねぇ」
面白みもない返答しかできない俺だった。
治すのを手伝おうか? とか言える間柄ではないのは確かだが、もうちょっと気が利いたことを言えればいいのに。
そうこうしているうち、高嶺さんが「この近くです」と言い出す。
つまりはこの時間も間もなく終わりを告げる、という意味でもあった。
少し名残惜しい気もする。
「少し、名残惜しいな」
あれ? 思わず口にしてしまった。
慌てて軽く口を押える。高嶺さんがこちらを見ていた。
高嶺さんは、クスリと笑い。
「そうですね。ちょっと心が残りますね」
少し恥ずかしそうに、俺から目を逸らした。
よかった、高嶺さんにとっても悪い時間じゃあなかったみたいだ。
俺にとってはそれが凄く嬉しい。
こうして俺たちは、最後は無言になって三人手を繋いで歩いた。
心地好い無言だった。
たぶん今、俺たちは同じことを思っている。
今この時が楽しいな、って。
「ありがとう天堂君、私たちのおうち、ここですから」
「え?」
高嶺さんが見上げたその十階建てのマンションは、俺も毎日見ているマンションだ。
いやいや思わず迂遠な言い方をしてしまったが、要は俺が住むマンションだった。
「ここの五階の」
「え?」
俺の部屋も五階で。
「角部屋なんですよ」
「えええ!?」
「どうしました天堂くん、そんな驚いた顔して」
そりゃあ驚きもするだろう。
俺の頬はひきつっていたに違いない。
「実はうち、その隣の部屋なんだ。って言ったら驚く?」
「え? あはは、それは驚きますよー。なんの冗談ですか天堂くん」
三人で五階まで行って、俺が隣の部屋の鍵を開けたとき、高嶺さんは予告通り驚いていた。
「じゃ、よろしく。お隣さん」
苦笑しながら俺が部屋の中に入ろうとしていると、
「あら? あれれ?」
と高嶺さんが服のポケットというポケットを開きながら焦りだした。
俺は疑問を口にした。
「どうしたの?」
「鍵を……落としてしまったみたいで」
困り顔で俺の方を見る高嶺さん。
「どうしよう、困ったな」
「えー? おウチ入れないのー?」
和音ちゃんが眉をひそめて声を上げた。
なんてこった。これから管理人に連絡して合鍵を用意して貰うにしても時間が掛かるだろう。最悪今晩は無理かもしれない。
「わーちゃんおなかすいたー」
俺は嘆く和音ちゃんが可哀そうになって、思わず声を掛けてしまう。
「うちへくる? 和音ちゃん」
「カズオミお兄ちゃんのおウチ!? いきたいいきたーい!」
「え? でも……」
「構わないよ。小さな子が一緒じゃ、外で時間潰すわけにもいかないだろ?」
申し訳なさそうな顔をする高嶺さんに、俺は笑ってみせた。
「ウチから管理人さんに連絡取ってみたらどうかな」
「……ありがとう。お世話になります」
こうして、高嶺さん姉妹がウチにくることになった。
◇◆◇◆
「じゃあ買い物いってきますね? その間にお風呂をどうぞ」
「うん行ってらっしゃい、こちらこそ気を遣って貰っちゃってありがとう」
「せめてものお礼ですから。それにコンビニのお弁当ばかりじゃ身体に悪いですよ?」
「わかってはいるんだけど」
部屋を見て、俺がコンビニ弁当ばかりを食べてると察した高嶺さん。
お呼ばれしたせめてもの礼にと、手料理を振る舞ってくれると言い出したのだ。
高嶺さんは出ていった。
スーパーならすぐ近くに深夜まで開いている店がある。ゆっくり買い物してくるから、お風呂ごゆっくり、とのこと。
俺は床カーペットの上で寝息を立てている和音ちゃんに毛布を掛けてから、脱衣所に向かった。
服を脱ぎ、軽く身体を洗ってから湯舟に浸かる。
今日は色々とあった。
楽しかった。疲れた。ああ、身体から疲労が染み出ていく。
ちゃぽん、とお風呂の中でお湯を弄んでいた俺。
俺はゆっくりと湯に浸かる派なのだが、今日はそこまでのんびりできまい。
そんなことを考えていた俺が、顔を引きつらせるまで、あと五秒。
状況が、まったく予想していなかった事態に陥ることになる。
「わーちゃんもいっしょにおふろ入るーっ!」
裸の和音ちゃんが、勢いよくお風呂に入ってきたのだ。