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第五話

 そんなことはありえない。


 この国に住んでいれば、犬や猫や鳥を飼っている人に出会うこともあるだろうし貴族は大なり小なり提携する牧場を持っていて羊や牛や豚や鶏を育てていたりする。

 全く動物に興味がないとしても幼少期の娯楽の一つとして男女問わず牧場見学というのはこの国の貴族あるあるだし、庭に出れば小鳥やら虫やらなんやら見る機会は沢山ある。


 勝手にネモ氏は貴族家の人間だと仮定しているけれど、平民の方が動物との距離がずっと近い。どちらにしろ数日前まで馬すら見たことがない人生を送る方法が……想像すらできない。


「あー、いやもちろん図鑑の挿絵や絵画などでは見たことがある。でも三面図を出せるような情報量というか多角的に実物を見たことがないだけだ。犬や猫やグリフォンも平面的に知ってはいる」


 私の問いにネモ氏は淡々と、さも当然といびつな答えを述べる。


 いやずっと何を言っているの……?

 有り得るの? そんなことが。

 というかこの世界でもグリフォンは空想上の生き物だ、私のような異世界転生みたいな例外はあれど基本的にノンプリはファンタジーではない。確かランドール家の家紋に使われているけど実在はしない。

 彼の中ではグリフォンが犬や猫と同列に並んでいる……?


 頭から湧き続ける疑問が表情として出てしまう。


 そんな私の顔を見て。


「…………やはり、僕はおかしなことを言っているのだな」


 少し寂しそうに微笑みながら、ネモ氏は言う。


「すまない。特殊な環境で育った自覚はあるのだが、具体的にどんな齟齬があるのかは自覚出来てはいないんだ。僕はそれなりに知っていることは多いはずだが、わかっていないことが多すぎる」


 自らの歪さについて、ネモ氏は語る。


「特殊な環境……」


 つい私はネモ氏の言葉で気になったことを呟いてしまう。


 そんな私の呟きに答えるように。


「僕は物心ついた頃からつい最近まで、家の外へ出たことがなかったんだ」


 そんななことを、返した。


「事情があってね、十二年ほど僕は世界から外れた暮らしをしていたんだ。だから雨に触れたのも初めてだった。家にない家具を見るのが初めてだった。知らない人間と初めて話した」


 驚く私をよそに、少し声を明るくしてこちらに気を使わせないようにして彼は続けて語る。


 事情……? どんなことがあればそんな生活を強いられることになるんだ。何が起こればそんな異常な日々に強制されて矯正されることができるのよ。


 なんて衝撃的な話に頭の中で色々と巡らしていたところで。


「だから僕は、ヒッ……何もわかってなく、ハッ、て、世界から、遅れっ…………て、ハッ、たっ……僕はぁ――、結局、――――」


「――――はい落ち着いて、喋らなくていいわ。浅く吸って吐く方に意識してゆっくりやってみて、この袋も使ってゆっくりと、そそ。ちょっと座って待ってて、一応アキ先生も呼んでくるから」


 顔面蒼白で過呼吸を起こし始めていたネモ氏の言葉を遮って、穏やかにゆっくりと落ち着いて座らせて袋を口元にあてがって特に焦ることなく急ぐ素振りも見せずに立ち上がって部屋を出る。


 部屋の扉を閉めて、ネモ氏から見えなくなったところから急いでアキ先生の元へと走った。


 過呼吸の対処の基本は、焦らせないこと。

 こちらが慌てたり過剰に心配している様子を見せると焦ってさらに呼吸が乱れてしまう。

 さらに呼吸が乱れると苦しさからさらに焦って呼吸が乱れる悪循環に入ってしまうこともある。


 だから、あたかもなんでもないように振る舞う。

 ネモ氏を焦らせないことに注力した。


 その後、アキ先生の適切な処置にてネモ氏は落ち着いてとりあえず今日は部屋で安静にしてもらうことにした。


「……うーん」


 私は一段落したところで、自室の机で頭を悩ませる。


 ネモ氏は十二年間も外に出ずに、決まった人間とのみ接して徹底的な隔離生活を行っていた。

 恐らくは家族や馬車に乗ってきた従者や主治医など、それ以外の人間と接することすらしてことなかった。


 端的に言って、だ。


 虐待……いや、イザベラの過去のような悪意に虐げられてきたものではなかったように感じる。

 初日に見た上裸には傷もなかったし肉付きも肌ツヤからは、少なくとも暴力的なものや食事を制限されているようなことは感じ取れなかった。


 ズレていたり度々会話に齟齬があったりはするけど、特に教養や品性に問題があるようには思えない。


 長い入院生活…………いや、どう診察しても心因性の呼吸器疾患以外は基本的に健康だった。

 年齢的にも犯罪者として投獄されていたとかも考えられない。


 彼の言い方から察するに、自主的に引きこもっていたとも思えない。かなり不本意だったように感じられた。


 多分、彼の言葉に嘘はない。

 マジに十二年間を家から出ないで育ったんだと思う。


 ありえない…………なんてことは思わない。

 彼は息も絶え絶えに言っていた。


 


 実にノンプリ的というか、シナリオライターのYuKiCo氏らしいエピソードだ。


 ノンプリはサブタイの通り、何者でもない若者たちが己の無力さとか弱さに足掻きながら恋と共に向き合って成長して達成する物語だ。

 十二年も世界から隔絶されていた美少年が世界とのズレに悩む、というのはノンプリのド真ん中といえる。


 さらにこの十二年間の隔絶ってのがまた、YuKiCo氏が書きそうな設定だ。


 軍人のベルデ・アダムスキーが王家からの極秘指令でたった一人で九年をかけてボロボロになりながら、悪事を働いて国にあだなす貴族を粛清して回ったり。

 他の作品だけど、生まれてから信仰の象徴と女神に祈る装置である聖女として生まれてからずっと教会で生きてきた壊れた少女だったり。

 これもまた他の作品だけど、自身を救ってくれた先生を待つ為に凶悪なモンスターから町を十六年間守り続けたギルド職員だったり。


 YuKiCo氏は人格形成に影響を及ぼすほどの長年の孤立や孤独からの解放というカタルシスを作中に入れ込みがちなのである。


 容姿においても非常にノンプリ的というか、キャラデザ原案のイラストレーターである柿山しぶたろう先生の描きそうなビジュアルだ。


 柿山しぶたろう先生の画集はほとんど持っていて、画集を元に立体物を何個も作ってきたので傾向というか癖はかなり理解している。

 ゲームには居なかったのに、ノンプリのメインキャラ級の設定とビジュアル……。


 私は机の鍵付き引き出しから、ノンプリの時系列をまとめたノートを取り出して広げる。

 十二年間……、ノンプリ本編はメリィベルが十七歳になる年の四月から九月頃までの半年間の出来事だ。

 もちろんルートごとに過去編もあって、その半年間で起こる出来事にはもっと前から原因というか起点するなにかがあったりもする。


 ネモ氏が世界から切り離されることになる出来後の原因は、なんなのか。


 十二年前となると、私が五歳の頃。

 まだ前世の記憶は取り戻していない、メリィベルがメリィベルとして生きていた。

 イザベラも五歳、ちょうど実母が亡くなってムーライト伯爵家で暮らし始めた頃。


 他のメインキャラの情報でも特に何かあった時じゃあな…………。


「いや……?」


 私は年表をなぞって読んでいると、ひとつの項目に引っかかる。


 それは今から九年前、軍人ベルデ・アダムスキーが十五歳の時に王家より国に仇なす貴族家への粛清任務を言い渡されたシーン。

 ノンプリ本編では詳細な描写はなくてアダムスキーの語りのみだったけど、YuKiCo氏が執筆したifノベライズでの回想シーンで王妃様から直に任務を言い渡されたシーンがある。


 そこで王妃様は「三年前の事件以来王家は危機に瀕している~」みたいな話をしていた気がする。


 九年前の時点からの三年前、つまり今から


「……この事件って言及されていない……か」


 私はあらゆる媒体のノンプリのシナリオや制作スタッフや声優陣インタビューを思い返して呟く。


 十二年前の事件。

 これは結局語られていない出来事だ。


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