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第二話

 でもあの馬車……、見覚えがない。

 絶対に貴族階級が使うものなんだけど、あんなタイプのデザインは知らない。どこの家のものでもない、私が追放された後に造られた新車ってことなのかな……? もちろんだけど家紋とかは描かれてなかった……。どこの家の流れなんだろ。


「メリィべェ――――――ルっ、患者が来たよ! 戻りな!」


「……はいはーい、戻りますよー」


 ぼんやりと考えていた私はアキ先生の声に、煙草を消しながら答えて診療所へ戻った。


 外よりは温い廊下を歩いて、診察室の扉を開けると。


「…………の、覗きなのか……?」


 半裸でアキ先生に診察を受けながら、いぶかしげな顔でそうらす。


 


 明らかにキャラデザが違う。

 メインキャラ級の作り込み……、息を飲むほどの美しさ。

 絶対にモブじゃあない、この世界に何かしら役割や物語を持っていないと成立しないビジュアルだ。


 心がざわつく。

 だが、これはときめきではなく混乱と恐怖。


 私はこの人を知らない。

 記憶にない。


 そりゃあ初めて会ったのだから当然なのかもしれないけど、において私が知らないはずがない。


 そう、


 この世界は俗に言う、乙女ゲーの世界なのだ。


 全年齢対象、青春恋愛シミュレーションゲーム【ノンプリンス☆ノンプリンセス~何者でもない私たちは恋をする~】の世界である。


 通称、


 もう界隈的には幕末や武将などのブームが始まりつつある頃だったけど、中世と十八世紀から十九世紀末くらいの文化水準をごちゃ混ぜにして、西洋風な貴族とか平民とかの格差がある世界観で繰り広げられ。

 奇跡や偶然はあれど魔法やら精霊やら妖精やら錬金術やらみたいな、わかりやすいファンタジー要素がなくシナリオの不合理やご都合主義に真っ向から立ち向かう硬派な作りになっている。


 ノンプリのプレイアブルキャラクター、操作視点。

 つまるところヒロインにあたるのがこの私、メリィベル・サンブライトである。


 タイトル通りに攻略対象キャラに王子は無し、ヒロインやライバルや友人にも姫はいない。


 最強の軍人、ベルデ・アダムスキー。

 王家から民をしいたげる悪しき貴族を粛清するように密命を受けた、たった一人で味方にも敵にも追われてボロボロになりながら遂行する影のある軍人。


 へっぽこ執事、ブラウ・バルト。

 ヒロインのメリィベル付き執事。いつも慌てていてドジばかりだけど、ここぞという場面で決めに決めてくる。身分違いだとわかっているし結ばれることがないけどヒロインを愛せずにはいられない。


 悲劇の芸術家、ジョーヌ・フェスタ。

 事故で利き手の握力を失い、絵が描けなくなってしまったことで失意に落ちて荒れているが、少しずつ立ち直っていく。


 悩める公爵子息、ロート・ローゼンバーグ。

 ローゼンバーグ公爵家嫡男であり、医師の家系で医師を志す若者。人の命を救う医者が、金や地位で命に優先度を決めることに悩んで苦しんでいるが若くて青い自身ではどうにも出来ないことにいきどおっている。


 若く、まだ何者でもない登場人物たちが織り成す恋愛シミュレーション。

 いわゆる泣きゲーに分類される硬派なシナリオと、綺麗なキャラクターデザイン、九十年代のファンタジーブームの雰囲気を愛する一部の者たちから絶大な支持を受けた。


 私が初めてプレイした乙女ゲーでもある。

 元々ファンタジー寄りの少女漫画だったりラノベを好んでいた私に友人が貸してくれた。

 私はこのノンプリに死ぬほどハマった。死因はバナナの皮だけど。


 コミカライズ版も買ったし。

 OVAもDVDとBDを初回限定盤と通常盤両方で買ったし。

 声優イベントも行った。

 ドラマCDも買った。

 スピンオフ小説も熟読した。

 キャラクターファンブックも買った。

 設定画集や資料集も買った。

 全員分のアクスタも買った。

 エンドロールに流れる名前や企業を最低一回は検索した。

 ファンレターも送った。

 キャラデザの人が即売会で売ったサブキャラのレジンキットを自分で組むために模型について勉強をして、離型剤を洗って落としてパーティングラインやバリにヤスリをかけて、抜きの関係で甘くなったモールドを掘り起こし、接合部には真鍮線で軸を打ってエアブラシで全塗装した。まあ倒れてからはやめちゃったけどね。


 そんなノンプリの世界に、私はメインヒロインとして異世界転生をした。転生後二分以内に気づいて、一週間は限界化していたと思う。


 私はこの世界において、誰よりもこの世界を知っている。


 設定資料集や設定画集を穴があくまで読み込んだ私は馬車のデザインだけでどの家の流れにある貴族家かわかるし、家紋だけで何家の者かがわかる。

 もちろん、キャラクターのデザインやプロフィールは全て暗唱できる域まで覚えている。


 そんな私が知らない、メインキャラ級のイケメン……。

 コミカライズ版のオリジナルキャラクターでも小説版でキャラデザのない人物でもないのに……。


 間違いなくメインキャラと同等の作り込みがされているビジュアル、明らかに違う……。

 ほら、よくアニメとかの新キャラで明らかに髪の色とか制服の着崩しが奇抜だったりして「あ、こいつ絶対メインキャラだ」ってわかるあの感じ。


 でも、こんなキャラクターはノンプリには存在しない。


 違和感が凄まじい……こんなことがあるわけが――――。


「――――……呼吸器に問題はなさげだね。王都の医者の診断に間違いはないよ。心因性のものだね……まあ何もないところだけど、ゆっくりしていくといいさ。メリィベル、病室に案内しな」


 診察を終えて、アキ先生は私に患者への案内をうながす。


「……はい、ごきげ…………こんにちは、助手のメリィベルです。よろしく」


 私は思わず伯爵令嬢的な挨拶をしそうになりながら自己紹介をする。


「わた……僕はネモだ。よしなに頼む」


 シャツを着ながら謎のイケメンのネモは、淡白にそう返した。


 ネモ……? 知らない名前だ。

 でもネモはラテン語で「誰でもない」って意味だって、むかーし再放送のアニメで見た気がする。


 誰でもない……、


 ノンプリのサブタイトルを連想させる……ってのは考えすぎか? これは浅はかなオタクの悪いところが出ているだけな気がする。


 診療所二階にある病室まで案内をして。


「トイレとお風呂は一階の奥、源泉かけ流しの温泉だから何時でも入れるけど基本的に夜の七時半までに入ってね。それ以降にアキ先生、その後に私が入るからバッティングしないようにそこだけ気をつけて」


「……ああ」


 私は入院時の規則を簡単に伝えるも、部屋をきょろきょろと見回して、ネモ氏はから返事をする。


「食事の時間は朝六時、昼は十三時、晩は六時半、急患とかない限りは毎日そんな感じ。だから起床は五時半を目処に、外出は自由だけどあんまり森とかは一人で奥まで行くと危ないから気をつけて。ああでもアキ先生が定期的に診察するだろうから、その時間は病室にいてね。時間は確認次第伝えるね」


「ああ」


 続けてそのまま私は、興味津々な様子で部屋の家具を触ったりしてから返事するネモ氏に入院規則を説明する。


「それと洗濯は基本的に毎日行うつもりだけど、あまりにも汚れ物が少ない場合は次の日に回すかも。でも基本的には毎日着替えてベッドのシーツも替えてほしいかな、ここ診療所だから衛生面には気をつけたいの」


「ああ」


 さらに私は、部屋をうろうろしてカーテンを開いたり閉じたりすして変わらずから返事するネモ氏に淡々と説明を続ける。


「あ、ダイニングの本は病室まで持ち込んで読んでもいいけど汚したり破いたりは気をつけてね。ほとんど私の私物だから。なんか気になることとか質問や要望があったらてき私に聞かせて、応えられるとは限らないけど答える気はあるから」


「ああ……」


 私の説明に窓を開けながらネモ氏はから返事を繰り返したところで。


「聞いてんの?」


 痺れを切らしてレスポンスを求めると。 


「聞いているよ……とても良いところだな。素晴らしい」


 窓の外に少し身を乗り出して、降り出した雨を手で触れながらネモ氏はしみじみと返す。


「いやめっちゃ天気悪いけど」


 曇天に向けて手を伸ばすネモ氏に、私は率直に言う。


「良いぞ、雨は冷たくて。非常に良い」


 ハンカチで雨に濡れた手を拭きながら、少し笑みを浮かべて楽しそうにネモ氏は返す。


 まるで初めて雨に触ったみたいな感想を述べるのね……、めちゃくちゃキャラ立ちかましてくるじゃないマジで何者なんだ? コイツ……。


 まあいいか、私の物語はもう完結している。

 かなりイレギュラーだし気にならないわけじゃあないのだけれど。


 もうメリィベルには関係ない。


「…………まあ、ようこそ辺境の地へ。風邪は引かない程度にね」


 私は淡白にそう返した。


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