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第44話 巫女の祝福

 クールタイムを終えた回復スキルにより、クマサンの体力はみるみるうちに回復していく。

 ドラゴンブレスは恐るべき攻撃だった。

 俺達は戦闘前にミコトさんから各種バフをもらっていて、その中には耐火バフも含まれている。ヒーラーでありながら巫女のバフ能力は、サポーターと呼ばれる職業と比べても見劣りしない。おまけにクマサンは、耐火性能のある「ベアアーム」をメイからもらっている。それほどの耐火耐性をもってして、ようやく生き延びたのだ。もし普通のタンクなら、今のブレスで命を落としていただろう。

 特にやっかいなのは、ブレスの直前に放たれた竜の咆哮だ。全員が抵抗できずに行動不能になってしまえば、立ち位置によっては全滅しかねない。

 とはいえ、あれほどの攻撃だ。連続してしかけてくるとは思えない。一度きりの必殺技という可能性もある。そうでないにしても、もう一度仕掛けてくるまでには時間がかかるはずだ。

 ここで一気に攻撃をたたみかけるしかない。

 さっきの連続回復で、ミコトさんとメイはSP想定以上に消費してしまっている。

 ここからさらに長期戦になれば、苦しくなるのは俺達の方だ。


「みんな! もう一度ブレスがくるまでに倒しきるぞ!」


 俺の叫びに呼応するかのように、クマサンがスキル「挑発」を使って敵のヘイトを上乗せする。


「ターゲットは俺に任せてくれ!」


 クマサンの頼もしい声に頷き、俺は尻尾に向かって駆け出した。


「すみません、メイさん。休息に入るので、その間の回復をお願いします」

「わかった!」


 ミコトさんもメイもSPがかなり減少している。特に、フルヒールまで使ったミコトさんの消耗は激しい。フルヒールは、味方の体力を一瞬で全快させるスキルだが、このパーティではメイン職業が巫女のミコトさんしか使えない。便利なスキルではあるが、その分消費SPが激しい。そのため、フルヒールを連発するようなヒーラーはすぐにSPを枯渇させてしまう。その点、ミコトさん優秀だった。フルヒールを持ちながら敢えて使わず、SP効率のいい、リジェネヒールや低ランクのヒールを駆使して、ここまで支え続けていたのだ。それでも、さすがにあの状況ではフルヒールを使うしかなく、想定外のSP消費が、今のミコトさんに重くのしかかっている。

 あのブレスの少し前には、メイに休息を取らせるため、ミコトさんが一人で回復を担当していた。今こそ彼女には可能な限り休息をとって、SPを回復してもらわなければならない。


「スキル、乱切り!」


  ショウの攻撃 インフェルノにダメージ461


 みんなの負担を減らすため、俺に出来ることは一つ、一刻も早くこの怪物を倒すことだけだ。

 回復したSPで、俺は次々にスキルを叩き込んでいく。

 メイの持ってきた魔法スクロールは、氷系はすでに尽き、水系の魔法スクロールに移っていたが、どうやらそれも尽きたようで今や土系の魔法スクロールの使用に変わっている。敵へのダメージに関しては、俺がなんとかするしかない。


 しかし、魔竜とも言うべきインフェルノは、そんな簡単に倒されてくれるようなモンスターじゃなかった。

 奴は、てっきり飾りだと思っていたその翼を急に広げやがった。


「みんな、気をつけろ!」


 メイの警告が響くが、言われるまでもない。俺も警戒はする。

 だが、俺は手を止めなかった。

 インフェルノのこの動きが、どういう意味を持つのかわからない以上、現時点では対応のしようがない。それならば、今すべきは、少しでもダメージを取ることだけだ。

 俺は振り上げた右手を尻尾に振り下ろそうとして――すさまじい風圧にあおられ、顔をそむけながらその場でたららを踏む。

 風が収まり、今度こそ攻撃を加えようと前を見れば、先ほどまでそこにあった尻尾が見えなくなっていた。尻尾だけでなく、あの竜の巨体そのものが消えていた。


「一体どこに!?」

「上です!」


 近接していた俺と違い、距離を取っているミコトさん達にはインフェルノの動きが見えていたのだろう。ミコトさんの声を受けて見上げれば、巨大なインフェルノがその翼を広げ、宙に浮いていた。

 あの巨体で飛ぶだなんて信じがたい光景だ。たとえば、鳥は空を飛ぶために、その骨をすかすかにして軽くし、胸の筋肉を著しく発達させている。そういった種としての進化の結果、飛行能力を得るに至っているのだ。そういった努力もなし、翼を広げただけでこんな簡単に飛ぶなんて、卑怯すぎる。

 ――だが、これはゲーム。現実の理屈など通じない。そのことは、頭ではわかっているが、それでも苛立ちが募る。悲しいかな、俺には空中に浮かぶドラゴンに対して、まともな攻撃手段がなかった。包丁しか武器がない俺では、宙を舞うインフェルノには手が届かないのだ。今、攻撃できるのは、魔法スクロールを持っているメイだけだった。


 だが、それほど悲観する必要はない。確かに攻撃手段は限られてしまっているが、この状況はそんなに悪くない。なにしろ、今の内にミコトさんが休める。それは戦闘を継続する上で、俺達にとっては重要なことだった。


「せいぜい空中で時間稼ぎをしてるがいい! その間にこっちも態勢を整えて――」


 俺はそう言いかけたが、言葉は途中で途切れた。

 理由は簡単だ。宙に浮かぶインフェルノの巨体が、赤く輝き出したのだから。


「まさか、これって……」


 嫌な予感は、いつだって的中してしまう。

 ホバリングのように、空中に留まったまま、インフェルノはその巨大な口を開けた。

 口内に見える赤い灼熱の輝きが、脳裏をよぎる最悪のシナリオを現実に引き寄せていく。


「ブレスがくる! みんな、散開だ!」


 俺達はそれぞれ別方向に走り出した。休息していたミコトさんも、中断して逃げている。


「空中からあのブレスを吐かれたら、この洞窟中が炎で覆われてしまうぞ……」


 インフェルノを見上げながら、俺は悪夢のような光景を想像する。

 平面で放たれるブレスなら、横に逃げれば範囲外に逃れられる。しかし、上空から放射線状にブレスを放たれれば、空を飛べない俺達に逃げ場はない。

 もしかしたら見えない戦闘時間が設定してあり、それが過ぎればこうやって空中からブレスを吐き、プレイヤーを全滅させるようになっているのかもしれない。

 もしそうだったら、インフェルノを削り切れなかった俺の責任だ。

 申し訳ない気持ちで俯きそうになる。


「ブレスがくるぞ!」


 クマサンの声に、うつむきかけた顔を、再びしっかりとインフェルノに向ける。

 まだ、死が確定したわけじゃない。

 どんな攻撃でも攻略法はあるはずだ。

 俺はそう信じ、インフェルノの動きに注視する。そして――ついに、そのブレスが放たれた。


 だが、そのブレスは、クマサンを瀕死に追い込んだ、あの扇型に広がる洪水のようなブレスではなかった。

 インフェルノの口から炎が伸び、多少広がりを見せてはいるが、地上に達したところで直径せいぜい10メートル程度。それ以上広がることはなく、まるでスポットライトのように地面を炎で包んでいる。

 しかし、その場所には誰もいない。


「なんだよ、全然たいしたことない――」


 俺が安堵しかけた瞬間、炎が動き始めた。

 インフェルノが首を動かし、炎を這わせるようにこのフィールドを薙ぎ払っていく。

 さらに、その動く速度は俺達の走る速度を遥かに上回っていた。


「うわぁぁ! こっちに来たっ!」


 俺は必死に逃げるが、炎は俺に追いつき、炎の雨を降らせて――そして通り過ぎていった。


  インフェルノの空中ブレス ショウはダメージ82


 一撃で致命的なダメージを受けるような攻撃ではなかったが、問題はそこじゃない。このブレスは、ヘイトを無視してあちこちに放たれている。ただでたらめに動かしているのかそう見えて実は狙っているのか、それはわからない。

 その予測不能な動きに翻弄されながら、俺達は必死に逃げ回るしかなかった。


「いつからこのゲームはアクションゲームになったんだよ!」


 無意識に口からこぼれた愚痴が、洞窟内に響く。

 運営に悪態をつきながら、俺達はただ走り続けた。


  インフェルノの空中ブレス クマサンはダメージ61

  インフェルノの空中ブレス メイダメージ80

  インフェルノの空中ブレス ショウはダメージ81

  インフェルノの空中ブレス メイはダメージ82

  インフェルノの空中ブレス ミコトはダメージ79

  インフェルノの空中ブレス ショウダメージ82

  インフェルノの空中ブレス クマサンはダメージ62

  インフェルノの空中ブレス ショウダメージ80


 無慈悲に飛び交う炎の中、俺達は次々とダメージを受けていく。


 ……なんだか、俺が食らっていること多くない?


 体力が危険域に入る前に、ミコトさんやメイが回復してくれるので、死んでしまうようなことはない。だが、回復スキルを使うたびに二人のSPは減り続けていく。回復の柱となるミコトさんが、休息を中断させられたせいで、たいしてSP回復できなかったことが悔やまれる。

 休息中にダメージを受ければ、休息状態は強制解除されるため、この炎が縦横無尽に駆け巡る中で休息するわけにもいかない。

 俺達は、この一方的な蹂躙とも言える空中ブレスが終わるのを耐えて待つしかなかった。


 やがて、俺達を嬲り飽きたのか、あるいはヒーラーのSPを消耗させたことに満足したのか、インフェルノは飛ぶのをやめ、ゆっくりと地上へと降りてきた。


「やっとかよ! 溜まってたこの鬱憤、一気にぶつけてやる!」


 一早く降下地点に走り込んだ俺は、奴が攻撃可能範囲に入ってくるのを待ち構える。

 ドラゴンの尻尾が、次第に俺の眼前に近づいてくる。


「きたっ! スキル、みじん切り!」


  ショウの攻撃 インフェルノにダメージ555


 インフェルノの体力はすでに一割を切っていた。

 咆哮から始まった理不尽な攻撃は、こいつが追い詰められている証でもある。

 インフェルノも生き残ろうと必死なんだろう。

 ここからはもうどっちが先に倒れるか、そういう極限の戦いだ。


「すみません、SPがもうありません! 休息します!」


 ミコトさんのSPは度重なる回復でもう限界だった。

 メイに後を託し、彼女はしゃがみ込む。

 通常攻撃だけなら、まだメイだけで耐えきれる。

 これ以上何も仕掛けてくるなと心の中で祈りつつ、俺はまたスキルをぶち込んでいく。


  インフェルノの攻撃 クマサンにクリティカルダメージ252


 こんな時に限ってクマサンに大ダメージがきてしまった。

 メイが「ヒール・大」で回復した直後だっただけに、このダメージは痛い。低ヒールランクでなんとか繋いでいくしかない。

 しかし、インフェルノの脅威はそれで終わりではなかった。

 再びインフェルノの体が赤く輝き出す。

 さすがにこの輝きがブレスの前兆だということはもうわかっている。


「クマサン、ブレスがくるぞ!」

「わかっている!」


 今回は、あの咆哮が来ていない。

 動けさえすれば、対応は可能だ。

 クマサンは逃げる準備をしている。

 逃げるのが早すぎれば竜の首はついてきて、想定外の方向にブレスが放たれてしまう恐れがある。ぎりぎりまで待ち、ブレスの出る直前に、ヒーラー達のいない方に逃げる。それがクマサンの狙いだった。


「今だっ!」


 クマサンが横に向かって駆け出した直後、インフェルノのブレスが放たれた。

 しかし、そのブレスは、1度目の扇型ブレスとも、2度目の空中ブレスとも違うものだった。太い炎の柱が洞窟の壁まで一直線に伸びている。

 予想していなかった形のブレスに一瞬戸惑いを覚えるが、クマサンはしっかりかわしていた。

 焦る必要はない――そう思った次の瞬間、インフェルノは思わぬ挙動を見せる。

 その場で一回転してきたのだ。

 炎をまっすぐ吐き続けたまま、その場で円を描くように回転する。それは、つまり、360度、全方位を炎で焼き尽くすということだった。


  インフェルノの回転ブレス クマサンはダメージ280

  インフェルノの回転ブレス ショウはダメージ325

  インフェルノの回転ブレス メイはダメージ322

  インフェルノの回転ブレス ミコトはダメージ318


 ここにきて最大のピンチがきてしまった。

 全員が大ダメージを受け、クマサンに至っては先ほどのクリティカルのダメージも残っている。

 ミコトさんはSPがない上、休息状態も今の攻撃で解けてしまっている。


「ダメだ……このままじゃクマサンが死ぬ」


 クマサンが倒れれば、次に狙われるのは、ダメージを取ってきた俺か、回復を続けてきたミコトさんか――どちらにしろ、タンクを失えばパーティはそう崩れになる。絶望的な状況が、じわじわと俺の胸を締めつけた。


「くそ……ここまで追いつめたのに!」


 俺は必死にスキルを放ち、なんとか体力を削ろうとするが、インフェルノの体力はまだ残っている。

 あと少し、あと一撃、そう思いながらも俺の攻撃の届かない。

 焦りが増す中、インフェルノは体力が減ったクマサンにとどめを刺そうと迫っていた。


「スキル、ヒール・中!」


 メイが回復を飛ばすが、その回復量では足りない。なにより、メイ自身のSPも限界に近付いている。

 すべてが終わりに向かおうとしていたその時――


「巫女の祝福!」


 突如、ミコトさんの声が洞窟に響き渡った。


  ミコトはリミットスキル巫女の祝福を使った

  ミコトの体力は全快した

  ショウの体力は全快した

  クマサンの体力は全快した

  メイの体力は全快した


 全員の体力が一瞬でフルまで回復した。

 このゲームには、リミットスキルという、1度使用すると現実時間で24時間経たないと再使用できない特別なスキルがある。これは、職業ごとに何種類か用意されているが、そのどれもが強力なものだ。

 巫女だけが使える「巫女の祝福」は、そのリミットスキルの中でも、パーティ全員の体力を全快できるという特に優れたスキルだった。だが、強力な分、その代償もある。巫女の祝福の場合、その代償は、一定時間のスキルが使えなくなることと、もう一つ――超強烈に敵ヘイトを稼いでしまうということだった。つまり、巫女の祝福を使ったが最後、その巫女は回復スキルも使えず敵の攻撃を受け続けることになる。その先に待つのはただ一つ――死。


「ミコトさん!」


 俺はたまらずミコトさんへと視線を向ける。

 彼女はいつの間に休息をやめ、立ち上がって俺の方をまっすぐに見つめていた。


「ショウさん、信じています。勝ってくださいね」


 ミコトさんの瞳には、覚悟の色が浮かんでいた。自らの運命を受け入れ、俺達のために身を捧げる覚悟が。


 ダメだ……このままじゃ、ミコトさんが殺されてしまう……。


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