通路からレッドドラゴン「インフェルノ」の姿を確認し、俺達は無意識のうちに足を止めていた。
進化を遂げたVR技術で映し出される世界は現実世界で見るものとほぼ変わらない。もし自分の部屋をこのVRで再現されたなら、すぐにはそれが現実の光景かVRの光景か判断がつかないほどだ。そのVRの中で具現化された巨大なドラゴンは、圧倒的なリアリティと迫力を持っていて、ゲームの世界だとわかっているのに、一瞬、身体が硬直し、喉が詰まるような感覚に襲われた。
「……これがドラゴンか」
見ればわかることだが、俺はその言葉を絞り出した。改めて目の前の恐るべき強者が自分の敵であると自分に言い聞かせるように。
「……正直、見ただけでここまで圧倒されるとは思っていなかった」
メイの声にもいつも張りがない。初めて目にするファンタジー世界最強にして最恐のモンスターに、さすがのメイも気後れしているのだろう。
「……私の回復でみなさんを支えられるといいんですが……ちょっと自信がなくなってきますね」
ミコトさんは笑顔を保とうとしていたが、その顔は引きつっていた。
男の俺でも少々びびっているんだ。女の子ならなおのこと圧倒されているのかもしれない。……って、ミコトさんのリアルの性別は知らないんだけどな。
俺がリアルを知っているとすれば、クマサンだけだ。ゲーム内では逞しくて頼れるクマサンだが、リアルでは間違いなく女の子……。
そう考えると、少し心配になり、俺は隣のクマサンへと視線を向けた。
「……俺がこのドラゴンのターゲットを取るんだよな」
クマサンの呟きには、かすかな震えが混じっているように思えた。
クマサンの弱気な発言を聞くのは、これが初めてかもしれない。
そうなのだ。クマサンはタンクとして、この巨大なドラゴンのターゲットを取り続けることになる。VRが進化し、リアリティが増せば増すほど、敵から攻撃を受ける際には、かなりの迫力と同時に恐怖までもが圧しかかることになる。このアナザーワールド・オンラインにおいて、そのリアリティは極限にまで達したとまで言われている。それだけに、痛みはないとわかっていても、その視覚と音響、そして圧倒的な存在感は、プレイヤーにとっては現実とほとんど変わらない。
クマサンは、これまでそんな状況に、ずっと立ち向かってきたわけだが、今目の前にいるのはこれまでのモンスターとは一線を画する存在、さすが怖さを感じているのかもしれない。
そうだよな……。だって本当のクマサンは、俺よりずっと小柄で華奢な女の子なんだから……。
俺は隣に立つクマサンの肩にそっと手を置いた。
少しびっくりしたようにクマサンが俺の方に顔を向ける。
その瞳の奥には、普段の余裕や自信ではなく、緊張が滲んでいるように見えた。
俺がクマサンの代わりにタンクをすることは、どう頑張ったってできない。俺にできることがあるとすれば、ただ一つ。
「俺が必ずこいつの体力を削り切ってみせる。……だから、それまでは頼むぞ」
俺に言えることはそれだけだった。
でも、それでもその言葉に、クマサンは口元を緩め、微笑んでみせた。
「任せてくれ。ショウの方に攻撃はいかせない。ショウは俺が守ってみせる」
クマサンの言葉は俺に安心感を与えてくれる。
本当はあんなにも儚げな女の子だってわかっているのに、やっぱり俺にはクマサンが頼りがいのあるとても大きな存在にしか見えない。
俺はクマサンに力強く頷くと、改めて仲間達に向かって声をかける。
「おそらくこの通路にいる間は安全だ。戦闘は始まらない。今のうちに準備を整えよう」
巨大なドラゴン、インフェルノはすでに俺達の存在に気づいている。その燃えるような瞳がこちらを鋭く見据え、敵意を剝き出しにしている。しかし、まだ動いてはいない。きっとこの通路から一歩でも出た瞬間、戦いが始まるのだろう。逆に言えば、それまでは安全ということだ。
俺は一呼吸入れ、ステータス画面を開き、改めて自分の状態を確認する。
レベル50を超えていた俺のレベルは40に下がっている。41以降に覚えたスキルは、スキルウィンドウに残っているものの、使用制限を示す印が付いていた。詳細を確認すると、スキル自体は使用可能だが、能力が大幅に弱体化していることが記されている。
これは、ほかのレベル上限制限付きクエストでも経験してきたことだ。今さら慌てることではない。想定の範囲内だ。
このような本来レベル40以下では使用できないスキルは、たとえ発動させても通常より大きな制約を受ける。結果として、消費するSPの割には効果が低く、代替スキルがある場合には使うべきではないだろう。しかし、代わりになるスキルがない場合や、使えるスキルを使い切ったあとのクールタイムを繋ぐ手段としては、使いみちもある。そのため、単純に使用スキルから排除するのではなく、戦略的に使いどころを考えることが重要だ。
そういう意味では元のレベルが高いほど、使えるスキルが多くなり、多少なりとも有利と言える。
ちなみに、俺達の本来のレベルは、俺が53、クマサンが54、ミコトさんが55、メイが61となっている。アップデート前に、俺はクマサンとミコトさんと共に必死にレベル上げに励んだ。あの猛き猪を倒した時よりも、いくらかレベルを上げていた。
だが、それでもメイには届いていない。
メイのレベル61というのは、ほとんど鍛冶によって経験値を稼いだものだ。トップ鍛冶師である彼女は、誰よりも早く高難易度の武具を作ることができる。武具の作製やアイテム作成といった生産活動でも経験値は入るし、製作難易度が高ければその分だけ多くの経験値を得られる。メイが作った武具は、彼女にしか作れないものばかり。市場に出せばすぐに売れ、その資金でさらに材料を購入して新たな武具を製作する。こうして、トップクラスの生産職は、トップレベルの戦闘職に劣らないほど経験値もお金も稼いでいく。
その結果、メイのレベル61は、サーバー内でもトップレベルに達していた。戦闘特化ギルドのエリート達とも肩を並べるほどだ。戦闘をほとんどせずにこれだから、勝ち組の生産職というのは、実に羨ましい。
ちなみに、料理人は鍛冶師のようにはいかない。欲しい料理の効果は、それぞれの役割によって違うため、高難易度の料理が誰にもでも有効というわけではない。さらに、武具と違って、料理は消耗品だ。効果が高い料理を食べるのが理想だが、そういったものは当然値が張る。武具のように長期にわたって使えるものではないため、大抵のプレイヤーは安くてそこそこ効果のある料理で満足してしまう。悲しいかな、せっかく手間をかけて高難易度の料理を作っても、売れるとは限らないのだ。
結果として、料理人は大量の低難易度料理を作り続けて経験値を稼ぐしかない。そのせいで市場は供給過多となり、価格競争に巻き込まれる。時には、原価割れで売らざるを得ないことすらある。儲けが少なく、レベル上げも困難だ。メイのような鍛冶師を羨ましく思うのも仕方がないと思わないか?
……話が逸れたようだ。
何が言いたかったかというと、メイは元のレベルが高い分、多くのスキルが使えるということだ。惜しむらくは、そのスキルは鍛冶師のスキルなので、戦闘の役には立たないということだった……。
俺は残念な気持ちを切り替えて、念のため仲間のステータスに目を向ける。レベル制限により減少した体力やSP値を把握しておかねば、後々厄介な事態を招くことになりかねない。
特に、タンクのクマサン、ヒーラーのミコトさんのSPは重要だ。見れば、予想通り、結構低下している。いつもの調子で戦っていると失敗しかねない。しっかりと減少分の能力を頭に入れておかなくては。
ついでに、それぞれのサブ職業も確認しておく。時々、戦闘が始まってかサブ職業をつけ間違えたことに気づく馬鹿なプレイヤーもいるから油断ならない。
俺のサブ職業は武闘家。火力を上げるための選択だ。通常の武器を使うのなら戦士のほうが良いかもしれないが、俺が使うのは包丁だから、純粋にステータスアップ効果の高い武闘家を敢えて選んだ。
クマサンのサブ職業はシーフ。防御力や体力の上昇重視なら、ほかにもっと適したサブ職業もあるが、シーフには「陽動」という優れたヘイト上昇スキルがある。このスキルはクールタイムが短いので、戦闘中に頻繁に使え、タゲ取りとしてはかなり優秀だ。シーフ自体は敵のヘイトを取っても意味はないので、メイン職業のシーフよりもサブ職業のシーフの方が使い勝手がよいという変わったスキルになっている。クマサンの場合、もともと体力と防御力に優れているので、サブ職業シーフは最善の選択だと思う。
ミコトさんのサブ職業は白魔導士。巫女が苦手とする状態異常回復スキルを補うためだ。
メイも同じく、いざという時のヒーラー役として白魔導士を選んでいる。
全員、事前に決めていたもので間違いない。さすがにこの状況で間違ったサブ職業をつけてくるまぬけはこのパーティにはいかなった。
あとは、俺が作ってきた料理を食べれば準備は完了だ。
「みんな、忘れずに料理を食べておいてくれよ」
「おっと、忘れるところだった」
非戦闘職のメイは、戦闘前に料理を食べる習慣がまだ身についていないのだろう。俺が声をかけなければ、危ないところだった
「あっ、私もです」
ミコトさんも同じく焦ってアイテムボックスから料理を取り出した。
慌てる彼女を横目に、クマサンを見ると、いつの間にか悠々と料理を取り出し、すでに半分以上食べ終えているところだった。
「さすがクマサンだな」
「……ショウの料理を食べ忘れるわけない」
クマサンにとっては、何気ない一言かもしれないが、その言葉は俺の胸を温かくした。クマサンにとって俺の料理が少しでも特別なものなら、それだけで嬉しい。
クマサンのために用意した料理の効果は、防御力とヘイト上昇効果を高めるもの。俺とミコトさんはSPの常時回復。アイテム使用がメインとなるメイは何がいいのかわからないので、後衛用の無難な選択で、ヘイト低下とステータス上昇効果のある料理を渡しておいた。
俺は仲間達と一緒に料理を食べながら、ふと思う。
巨大なドラゴンに睨まれながら、座って料理を食べるなんて、ある意味この世界でもっともイカれたピクニックかもしれないと。
まぁ、料理人がドラゴンに挑もうというのだ。元から俺達はイカれたパーティだったっけ。
全員が食事を終え、立ち上がる。
目の前の巨大な敵、そして高鳴る鼓動。戦いの準備は、これで整った。
いよいよドラゴンとの戦いの時だ!