村に戻った俺達は、サブ職業を黒魔導士へと変え、再びヌシが潜む洞穴へと足を運んだ。前回と同様に、ヌシは洞穴からゆっくりと姿を現し、悠然とその場に立ち止まる。
「ヒ ヲ ササゲヨ」
低く響く声が俺達の耳に届いた。
この展開も、前回と全く同じだ。
「お望み通り、みんなで火を捧げてやる!」
俺の声を合図に、ミコトさん、メイ、そして俺の3人が、揃って炎の魔法スキルの詠唱に入った。
その間、クマサンが挑発スキルでヌシの注意を引きつけ、確実にターゲットを取ってくれる。
「ファイア!」
「ファイア!」
「ファイア!」
放たれた炎が、次々とヌシに直撃した。
ダメージはどれも60前後。
俺の料理スキルに比べれば、その威力は見劣りするが、単にダメージを与えてもどうにもならないのは前回で学習済だ。
今回はヌシの言葉通り、火属性攻撃だけでダメージを与える作戦だ。タンクのクマさんにもターゲットを取りながら、可能な限り炎の魔法を使ってもらう。
とはいえ、クマサンはヘイト稼ぎためにも、ミコトさんは回復のためにもSPを使わなければならないので、火の魔法にはあまりSPを割けない。そのため、二人には事前にメイから火の魔法のスクロールが渡されている。SPが厳しくなってきたら、本来の役割にSPを使ってもらい、火の攻撃は魔法スクロールに切り替える作戦だ。
「いいぞ、みんな。この調子で火の攻撃を続けてくれ」
俺の言葉に、全員が力強く頷いた。
俺達は息を合わせ、次々の火の攻撃を叩き込んでいく。
ヌシの体力ゲージは、ゆっくりではあるが確実に減少している。前回の正攻法に比べればペースは遅いが、重要なのは速度ではない。大事なのは、ヌシの行動に変化があるかどうかだ。
このまま最後まで削り切れれば成功。
しかし、もしまた範囲攻撃連発や自己回復が発動しだしたら……。
その展開は、考えたくもなかった。それは、この方法ではヌシを倒すことができないというだけでなく、このクエストの攻略自体が行き詰まることを意味していたからだ。
「みんな、もうすぐヌシの体力が半分を切るぞ!」
みんなの顔がより真剣なものに変わった。
前回の絶望的な戦いを思い出したのかもしれない。
もし敵の行動パターンが前回と同じなら、俺達に勝ち目はない。その時は逃げの一手に移らなければならない。
俺達は撤退を頭の中に入れつつ、さらに炎の魔法攻撃をヌシへと叩きこんでいく。
「ゲージが半分を切ったぞ!」
メイの声が響き渡り、全員の緊張が一気に高まる。
ヌシの動きに変化は見られないが、油断は禁物だ。
心の奥底では、どうかこのまま体力を削り切れるようにと願っていたが――
「ウオォォォォォォォン!」
ヌシの怒りの咆哮が空間を震わせる。
まずい!
この展開は……
案の定、衝撃波と共に針のような攻撃が全身に襲いかかってきた。
ヌシが毛針を放った
ショウにダメージ120
クマサンにダメージ120
ミコトにダメージ120
メイにダメージ120
ヌシの攻撃パターンは、前回と何一つ変わっていなかった。
攻撃範囲も威力も全部そのままで、さらに体力回復も始まっている。
……作戦失敗だ。
「ダメだ、みんな! 火属性だけで攻撃しても意味がない! 撤退だ!」
俺は悔しさを抑えながら、即座に退却を決断した。
今回は前回以上にSPの消耗が激しい。このまま戦って勝てる可能性はゼロ。
戦闘を継続する意味はもうなかった。
俺達は一斉にヌシから逃げ出した。
俺達は再びふもとの村へと戻ってきた。
唯一良かった点があるとすれば、クマサンもミコトさんも、メイから渡されていた魔法のスクロールを無駄に使わずに済んだことくらいだろう。
今、俺達は村の宿屋に一室に集まり、戦いの反省と今後について話し合っている。
「手伝ってもらったのに、やっぱりダメみたいだな……」
メイの声は、諦めに満ちていた。
こんな撤退をこれまで何度も繰り返してきたのだろう。
彼女は小さな肩を落としていて、いつも以上にか細く見えた。
「『ヒ ヲ ササゲヨ』とか意味深に言うから、絶対そこにヒントがあると思ったんだけどなぁ」
「でもよく考えたら、捧げよとは言ってましたけど、攻撃しろとは言ってませんでしたよね?」
「……確かに」
ミコトさんの言葉に俺は考えを改める。
敵としてターゲットにでき、名前表示や体力ゲージまである獣が出てきたのだから、条件反射のように敵モンスターだと思い込んでいた。だけど、このクエストはそういう単純なものではないのかもしれない。
「火を捧げよということだから、どこかに聖なる火を灯すような祭壇があるのでは?」
クマサンの言葉を受け、皆の視線がメイに集まる。
彼女は、このクエストをここまで進めてきた唯一の人物だ。何か知っているとすれば、彼女しかいない。
しかし、メイは申し訳なさそうに首を横に振った。
「いや、この村ではそんな話を聞いたことないし、山でもそれらしい場所は見たことがない」
「このクエスト以外で、ほかの鍛冶師専用クエストで、そういったイベントや場所はなかったのか? 以前のクエストと何か繋がりがあるのかもしれない」
俺は、自分の料理人専用クエストのことを思い出していた。それまで関係がないと思っていたいくつかのクエストが、ふとした瞬間に繋がり、一つの答えに結びついた経験がある。もしかしたら、メイもこのクエストに気を取られすぎて、過去のクエストに潜んでいるヒントを見逃している可能性があるのかもしれない。
「いや、それはさすがにないと思う。もしそんな要素があれば、『ヒ ヲ ササゲヨ』と聞いた瞬間に思い出していたはずだ」
「そうか……」
メイは、このクエストに頭を悩ませ、鍛冶仕事に集中できないほど心を砕いていた。よく考えれば、その彼女がそんな単純なことを見落とすとは考えにくい。
しかし、こうなるといよいよ手詰まりだった。
最初は、メイに包丁を作ってもらうために始めたことだったが、今の俺は、それ以上に彼女の助けになりたいと感じていた。
職業は違うけど、俺も職人系の非戦闘職だ。戦闘職でなく、あえて職人系職業を選んだプレイヤーは、自分の職業に対する強い思い入れを持つことが多い。メイもきっとそうだろう。にもかかわらず、自分の職業の専用クエストを進められない状況は、これまでの努力を否定されるような感覚に苛まれているはずだ。俺にもその気持ちは痛いほどわかる。
「……手間をかけさせて悪かったな。これ以上、私に付き合ってくれなくていいぞ」
メイは、俺がまだ諦めていないのに、心苦しそうな表情でギブアップの言葉を口にした。
「メイ、まだ諦めるのは早い! 考えれば、まだまだ試せることはあるはずだ!」
「そうですよ!」
「俺もそう思うぞ」
俺だけでなく、ミコトさんもクマサンも、まだ諦めていなかった。
「私も別に諦めたわけじゃないさ。ただ、じっくり一人でもう一度一から考えようと思ってな。……包丁の件なら、作ってやってもいいと思っている。あんた達のことは、これでも気に入っているんだ。今の状態でどこまで質のいいものを作れるのかはわからないが、店に戻ったら特別に作ってやるよ。……だが、出来には文句言うなよ」
思ってもみない言葉だった。
てっきりクエストクリアまで付き合わないと、包丁を作ってもらえないと思っていた。しかし、どういう心境の変化か、メイはここまで手伝っただけで包丁を作ってくれるというのだ。
これで俺達の目的は達成されることになる。
普通に考えれば、これ以上メイに付き合う必要はない。
だけど、俺は、「そうか。ありがとう」と言ってその好意をそのまま受け取る気にはなれなかった。
俺には今のメイの気持ちがわかる。
彼女は、自分の都合に俺達3人を付き合わせていることを申し訳なく思っているのだ。
俺も、ゲームでも現実世界でも一人だったからわかる。自分なんかのために、ほかの人に、貴重な時間や労力を使わせることを申し訳なく思う気持ちが。
でも、俺はクマサンやミコトさんと出会って知った。
無理して付き合ってくれる人ばかりじゃないってことを。
今の俺も、メイに付き合うことを苦痛だとは思っていない。
未知のクエストに挑む楽しさを感じ、仲間と共に一つの目標に向かって進む喜びを味わっている。何より、クエストをクリアしてメイを喜ばせたいという強い思いがある。
ここまで一緒に行動して戦ってきたメイのことを、すでに俺はだいぶ好ましく思っていた。
「メイ、その気持ちは嬉しい。確かに、最初にメイに協力しようと思ったのは包丁のためだけど、今はそれだけのためにやっているわけじゃない。メイと一緒にこのクエストをクリアしたい、そう思っているから俺はここにいるんだ。悪いけど、ここで俺は降りる気はないよ」
「俺もショウと同じ気持ちだ」
「私だってこんな中途半端なところでやめるつもりはないです!」
「あんた達……」
メイは信じられないものを見るかのような顔で、俺達を見回す。
俺には、その目はどこか嬉しそうにも見えた。