夜になるとこの時期でも外はまだ少し寒かった。
自転車を飛ばして駅の近くまでやってきた俺は、駐輪所に自転車を停め、駅へと急いだ。
しかし、たどり着いた駅はシャッターが下ろされ、完全に閉まっていた。
こんな時間に駅に来たことはなかったが、深夜にはシャッターが下ろされるものなのか。
電灯の淡い光がシャッターを照らしているが、その灯りの範囲には人影はなく、駅周辺は静まり返っている。
困ったことに、俺はリアルのクマサンの容姿を知らない。
待ち合わせ場所に着けば、そこにいる人がクマサンだろうと考えていたから、いない場合にどうやって探すのかまで考えていなかった。
せめて彼が着ている服の特徴や、どんな風貌なのか、もう少し詳しく聞いておけばよかったかもしれない。
駅の周りは閑散としており、深夜営業している店も見当たらない。せめてコンビニでもあれば、そこにいるかと思ったが、残念ながらそうしたものもない。近くにあるのは公衆トイレくらいだ。
……ふむ。
もしかしたら、クマサンはトイレに行っているのかもしれない。
夜は冷えるから、トイレも近くなるだろうし。
俺は駅を離れ、公衆トイレの方へと向かった。
特に慌ててもいなかったので、普通の速度で歩いて向かったのだが、その途中、トイレの方から女性の悲鳴が聞こえてきた。
おいおい! 一体なんなんだよ!?
胸がざわつく中、俺は駆け足でトイレへと向かう。
いつもの癖で反射的にまず男子トイレを覗くが、誰もいない。
すぐに女子トイレの方から物音を聞こえてきた。ほんの一瞬躊躇したが、俺はすぐにそちらに移動し、中を覗き込んだ。
「――――!?」
目に飛び込んできたのは、黒い服を着た男が、女の人を押し倒し、その上に覆い被さろうとしている光景だった。
ちょっと待て! これは完全に事件じゃないか!
「おい! なにをやってるんだ!」
俺は叫びながら男に駆け寄り、その体を掴んだ。
男は俺よりも大きく、強そうだった。
この男がクマサンだという可能性もある。
だが、もしそうだとしたら、なおさらやめさせなければならない。
彼がしていることは明らかな暴行だ。ギルドメンバーを犯罪者にするわけにはいかないと、俺は男を力ずくで女の人から引き離す。
女の人は服が乱れ、スカートも捲り上げられ、白い太ももが無防備にあらわになっていた。
混乱と焦りの中、俺は何とかして男を落ち着かせようとしたが、その瞬間、耳をつんざくようなビリビリという音と共に、全身に激しい衝撃を感じた。
俺はそのまま男に突き飛ばされ、地面に倒れ込む。
「何だお前! 邪魔しやがって!」
視界の端に、男が手に持つスタンガンが見えた。
どうやら俺は、そのスタンガンの一撃を食らったようだ。服の上から何かが当たる感触があったが、それだけで身体がまもとに動かなくなるなんて……。服越しでこの威力だと、直接当たったらどうなるんだ!?
「邪魔、邪魔、邪魔だ!」
目を血走らせた男が、スタンガンを前に突き出しながら、一歩一歩、俺に向かって迫ってくる。
まずい。
この威力は普通じゃない。合法レベルのスタンガンじゃないのかもしれない。
もう一度あれを食らったら、完全に動けなくなる……いや、それどころか気絶確定だ。
くそっ!
俺は必死に動かない身体に鞭打ち、何とか足を動かした。
それは意図した動きではなかったが、そのぶん男にとっても意表を突くものだったのだろう。
倒れた状態から懸命に動かした足が、偶然にも男の腕を蹴り上げた。
しかも、当たったところが良かったのか、スタンガンが男の手から離れ、宙を舞う。
ラッキー!
まぐれとはいえ、ついている!
しかし、その安堵も束の間――
「何しやがるっ!」
俺の行動はかえって男を逆上させてしまったようだ。
男は一気に俺の上に馬乗りになると、その手を俺の首にかけてきた。
嘘だろ、おい!?
俺の首に、力のこもった指が深く食い込んでくる。
呼吸が苦しくなり、視界がジョジョに暗くなっていく。
やばい!
気絶どころじゃない!
これはまじで死ぬ!
抵抗しなければ死ぬとわかっていても、先ほどのスタンガンの影響で身体に力が入らない。さっきのキックは本当に偶然の産物だったようだ。
職場で追い詰められ、無職になって、そしてこんなところで死ぬのかよ……。
クソみたいな人生じゃないか……。
せめて、さっきの女の子、君だけでも逃げてくれ……
絶望が心を支配しかけたその時、再びビリビリという嫌な音が耳に届いた。
反射的に身がすくんだが、突然、俺の首にかかっていた男の手から力が抜け、男は俺の上に崩れるように倒れ込んできた。
よく見ると、男は気絶していた。
目を上げると、さっき襲われていた女の人が、スタンガンを握りしめ、震えながら立っていた。
彼女がスタンガンを拾い上げ、男の首筋に当ててスイッチを入れてくれたのだ。
……助かった。
まじで助かった。
少し動けるようになった俺は、上に覆い被さっていた男の体を横にどけて、なんとか自分の体を起こした。
「……ありがとう、助かったよ。君の方は大丈夫?」
よく見れば、小柄で可愛い女の子だった。
白いブラウスに赤いスカートを身にまとい、ややショート気味の黒髪が震えのせいで揺れている。二重の大きな目が印象的だ。恐怖でさらに目が大きく見えているかもしれないが、もともとかなり大きいことは確かだ。 鼻筋は通っているが、鼻自体は控えめ。唇は薄く、今は血の気が引いて色が抜けている。
その顔立ちに、どこかで見たことあるような気もするが、正直思い出せない。
しかし、それより問題なのは、そこで気絶している男だ。
これがクマサンだとしたら非常にまずい。
どう見てもクマサンはこの女の子を襲っていたし、俺も殺されかけた。
擁護したいところだが、擁護しきれる自信がない。
少なくとも、この状況では警察を呼ばざるを得ないだろう。
「……ショウだよね?」
その言葉は、目の前の可愛い女の子の震える唇から発せられていた。
「…………え?」
俺は思わず間抜けな声を上げてしまう。
「キャラと似ているから、すぐにわかったよ」
アナザーワールドのあの格好いいショウと、リアルの俺が似ているだって!?
何を言っているのだ、この娘は!?
そもそも、なぜゲームの中の俺をこの娘は知っている!?
しばし考えを巡らせ、俺は一つの答えにたどり着く。すべての辻褄が合う唯一とも言えるその答えに。
「……もしかして、クマサンなの?」
「うん。来てくれるって思ってた」
――――!!
あのいかつい熊型獣人の中身が、このちっちゃくて可愛い美少女だって!?
なんの冗談なんだよ、ホントに!
俺は、男に殺されかけた恐怖以上に、クマサンの正体が美少女だったという衝撃で、頭が真っ白になってしまった。