クマサンとのボイスチャット誤爆事件から数日が経ち、俺もそのことを少しずつ忘れかけていた頃、深夜、俺は一人でゲームをしていた。
今日は――正確には、もう日付が変わってしまったので昨日になるが――クマサンがログインしておらず、ミコトさんと二人で狩りに出かけていた。
タンクがいない分、効率は決して良くなかったものの、中身はどうかわからないが、見た目が可愛く、話もおもしろいミコトさんとのプレイはなかかなに楽しい時間だった。
だが、今はもう夜も更け、ミコトさんはとっくにログアウトしている。
一方で無職の俺には時間が有り余っているため、今は他のプレイヤーに売るための料理作りに励んでいるところだった。このゲームでは、プレイヤーが店にいない時でも、作ったアイテムに値段をつけて販売しておくことができる。
料理人以外の職業のキャラでもサブ職業を料理人にすれば、肉を料理することはできるが、サブ職業ではそれほどの出来は期待できない。食事によるステータス増加などの付加効果はそれほど大きくないとはいえ、格上のモンスターと戦うプレイヤーや、少しでも効率を求めるプレイヤーは高品質の料理を求めている。儲けはほかの生産職に劣るものの、料理の販売は俺にとって貴重な収入源となっていた。
最近はクマサンやミコトさんと狩りに行くことが多く、販売用の料理を作る時間が取れていなかった。だから、今のうちにできるだけ在庫を確保しておこうと、キッチンに立って肉を取り出したところで、突然システムメッセージが表示された。
クマサンがボイスチャットを申し込んでいます。許可しますか? はい/いいえ
「クマサンからのボイスチャットか……」
忘れかけていたのに、あの日のことが一瞬で蘇ってくる。
また誤爆なのか、それとも今回は本当に用事があるのか。
そんなことを考えながら、現実時間を表示した時刻を見れば、午前2時を指していた。
クマサンがこんな時間にログインしているとは珍しい。
俺は妙な胸騒ぎを覚えつつ、クマサンからのボイスチャット申請を許可した。
「クマサン、こんな時間にどうしたの?」
『ショウ! 起きてる?』
もしかしたらまたあの女の子の声かと一瞬思ったが、聞こえてきたのはいつものクマサンの低い声だった。しかし、何かが違う。声の主は確かにクマサンだが、その口調は少し早口で、焦りの気配が混じっている。
「もちろん起きているから、こうしてボイスチャットに出られているわけだけど……何かあった?」
「…………」
クマサンからの返事はない。
ただ、静かな息遣いだけが聞こえてくる。
「……ショウ、この前、俺が間違ってボイスチャットした時に、待ち合わせ場所に行けなくないって言ったよな? そこの近くに住んでいるのか?」
突然の質問に、俺は少し驚いた。
クマサンが誤爆した時に言っていた場所は、確かに俺の最寄り駅だった。
だが、いきなりリアルのことを聞いてくるクマサンに違和感を覚える。
俺もクマサンも、ゲーム内ではキャラをロールプレイして楽しんでいて、リアルの話はほとんどしたことがなかった。それなのに、今になってリアルのことを話題にするなんて、どういうつもりなのだろうか?
それに、クマサンの声には、いつもの落ち着いた雰囲気が感じられない。代わりに、どこか悲壮感さえ漂っている。
その異様な空気に、俺は胸の奥に不安を覚え、はぐらかすことなく素直に答える。
「ああ。自転車なら10分くらいで行ける距離だよ」
『……こんなことを頼むのは非常に申し訳ないんだが、今から駅まで来てもらうことはできないか?』
クマサンの言葉に、俺の胸がドキリとした。
もうすでに終電も終わっている時間帯。駅とはいえ、この時間には人影はなく、静まり返っているだろう。そんな時にわざわざ来いというなんて、ただごとではないかもしれない。
終電を逃してしまって家まで帰れないとかいうオチでも構わないが、自転車で二人乗りは禁止行為だぞ?
「クマサン、ちなみに自転車は二人乗りしちゃいけないから、家まで乗せていくことはできないぞ?」
『わかってる』
再び沈黙が流れた。
今日のクマサンはなにかおかしい気がする。
『……ストーカーにつけられているみたいなんだ』
「――――!?」
俺は思わず息を呑んだ。
電車がないとかいう話ではなく、急に事件じみた話に変わってしまった。
『一人では怖くて……。でも、スマホの充電が切れてしまって連絡を取れる手段は、カバンに入れていたヘッドディスプレイでゲームに繋ぐしかなかったんだ』
スマホの充電が切れて、モバイルバッテリーも持っていないのに、ヘッドディスプレだけは持ち歩いているなんて、なんとも不思議な状況だ。確かにWi-Fiがあれば、家の外でもゲームはできるだろうが、わざわざ持ち歩いているプレイヤーがいることに驚く。クマサンは、ひょっとすると相当なゲーム廃人なのかもしれない。
しかし、クマサンが「一人では怖い」とは……。
彼は意外と怖がりなのかもしれない。
声のトーンからも冗談ではなく、本気で怯えているのが伝わってきた。
ストーカーというからには、クマサンに恋焦がれるちょっとヤバめの女なのかもしれない。
一対一では、たとえ物理的な危険がなくても、面倒なことに巻き込まれる恐れはある。いざというときに証人になってくれる第三者がいた方が安心だろう。
それに、俺は「三つ星食堂」のギルドマスターだ。ギルドメンバーは守らなくてはならない。
たとえそれがゲームの外の話であっても。
「わかった。クマサン、その駅で待ってて。すぐに行くよ」
『ホント!? ありがとう!』
クマサンの声が、少し安心した様子に変わった。
だが、その声はいつも違って柔らかで、どこか女の子っぽい感じだ。
クマサン的には必死な状況なのに、夜な夜な女の子の声で友達とボイスチャットしている彼の姿を想像してしまい、少し笑いそうになってしまった。
俺はクマサンとのボイスチャットをすぐに終えると、ゲームからログアウトし、自転車に乗ってクマサンが待っている駅へと向かった。