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第4話 ギリギリの攻防

「ショウ、ダメージを与えすぎてタゲを取らないように気をつけてくれ」

「わかってる!」


 クマサンが心配そうに声をかけてくれるが、俺も学生時代はオンラインゲームにどっぷりハマった経験がある。アナザーワールド・オンラインでのパーティ経験はほとんどなくとも、アタッカーとしてのヘイト管理の基本は理解しているつもりだ。


 いくらタンクが「挑発」や「陽動」といった敵のヘイトを稼ぐスキルを使っとしても、永遠に敵のターゲットを取り続けられるわけじゃない。

 タンクが敵から攻撃を受ければ、その分、敵のヘイトも減少してしまう。モンスター側からしてみれば、「憎たらしい奴め攻撃してやる」→「おっ、結構なダメージを与えたな」→「ちょっとすっきりした。少し落ち着いたぞ」という感じだ。だから、クマサンへのヘイトが減った状態で、俺が大ダメージを与えれば、クマサンへのヘイトを上回って、猛き猪の攻撃が俺に向かってくることになる。

 そのせいで防御力の低い俺が攻撃を受けて倒れるようなことになれば、この戦いの勝ちはなくなる。たとえ死なずに済んでも、大ダメージを受ければ、ヒーラーのミコトさんに余計な負担をかけてしまい、戦闘の継続が難しくなる。万一、回復行為によるヘイトが増え、ミコトさんが敵のターゲットになったら、たちまち戦線は崩壊し、それこそ全滅の危機だ。

 アタッカーとはいえ、俺はむやみやたらに攻撃するわけにはいかない。

 敵のヘイト値は目に見えないステータスの一種だが、これまでの戦闘の流れや状況を考慮しながら、直感的に敵のヘイトを見極める必要がある。


 俺は今と同じレベルのダメージを与えれば、その瞬間、猛き猪の攻撃が俺の方に向かうような臭いを敏感に感じ取った。

 このゲームは電気信号により食事の匂いさえ再現するが、今の臭いはそういうゲーム的に再現された臭いではない。現実の臭いでもなく、ゲーム的に再現された臭いでもなく、五感を超えた危険の臭いだ。


 今はまだ攻撃のタイミングじゃない。

 クマサンがヘイトを溜め直してくれるのを待つべきときだ。


「猛き猪、俺だけに集中しろ。スキル、挑発」


 クールタイムを終えたクマサンが再び挑発スキルを発動し、猛き猪のヘイト値を一気に上昇させてくれた。

 今がチャンスだ!


「スキル、ぶつ切り!」


  ショウの攻撃 猛き猪にダメージ212


 俺の料理スキルによる攻撃が炸裂し、猛き猪に大きなダメージを与えたが、クマサンからターゲットが変わることはなかった。俺とクマサンの目が合う。


(ナイスだ、ショウ)

(さすがクマサン、頼りになる)


 言葉には出さないが、俺達はその瞬間、確かに目で会話を交わしていた。


「いけるぞ、二人とも!」


 俺は支えてくれる二人に自信を分け与えるように声を上げた。

 俺の攻撃は猛き猪の体力ゲージを確実に減らしている。

 このペースでダメージを調整しながら攻撃を続ければ、俺達は勝てるはずだ。

 希望が芽生え、戦いの流れが自分達に有利に傾いているのを感じた。


 ミコトさんのSPは、薬の力で多少回復してはいるものの、クマサンへの回復で減り続けている。それでも、このペースならミコトさんのSPが尽きるより先に猛き猪の体力を削り切れる計算だ。


「大丈夫だ。俺達なら勝てる!」


 俺達の士気が高まる中、猛き猪の残り体力が半分を切った。

 少し安心感が漂い始めたその時、敵の動きに突然の変化が生じた。

 それまでクマサンにだけ攻撃を集中させていた猛き猪が、溜め込んでいたフラストレーションを爆発させるかのように、360度全方位に狂ったように攻撃を仕掛けてきたのだ。


  猛き猪は暴れ回った

  クマサンにダメージ80

  ショウにダメージ153


 猛き猪との戦闘が始まってから、初めて俺がダメージを受けた。

 しかし、これはクマサンが敵ヘイトを集めきれなかったわけでも、俺が攻撃しすぎてターゲットを取ってしまったわけでもない。猛き猪が近くにいる者全員にダメージを与える範囲攻撃を放ってきたのだ。

 俺は体力の1/3近くを一撃で削られてしまった。


「こんなのを連続で食らったらまずいぞ……」


 危機感が背筋を走り、俺は即座に判断を迫られた。

 サブ職業の白魔導士の力を使って自己回復するか?


「ショウさん、私が支えます! 自己回復はなしでいってください!」


 俺が決断を下す前に、ミコトさんの声が、冷静さを保ちながらも力強く響く。

 クマサンにヒールを施す前に、彼女は真っ先に俺を回復してくれた。

 それは単に好意からの行動ではない。防御力に優れたクマサンは、今の攻撃を連続で受けてもまだ持ちこたえられる。しかし、料理人で防御力に不安のある俺は、同じ攻撃を受け続ければ、間違いなく先に命を落とす。ミコトさんはヒーラーとして、死に最も近い者を優先して回復したに過ぎない。


「ミコトさん、SPはもつのか?」


 ミコトさんが俺の自己回復を止めた理由は聞かずともわかっている。

 俺のSPだって有限だ。回復にSPを使えば、その分料理スキルに使えるSPが減る。

 それに、敵のヘイトは、挑発などのスキル使用やダメージを与えた時だけでなく、回復行為によっても溜まってしまう。ここで俺が自己回復すれば、余計な敵ヘイトを集め、その分攻撃スキルが使いにくくなる。

 ミコトさんはそれを見越して、すべての回復を一人で引き受けるつもりなのだ。


 だが、問題はミコトさんのSPがどこまでもつかだ。クマサン一人の回復だけなら十分に足りる計算だったが、俺への回復も加わればその計算は狂う。加えて、ミコトさん自身も開腹行為でヘイトを溜め続けている。このままでは、彼女が敵の標的になる危険が増してくる。

 そんな不安が顔に現れたのだろう、ミコトさんはまるで意志を貫くように俺を見据えた。


「私にだってヒーラーの意地があります。ショウさんはアタッカーに集中してください」


 彼女は俺にリジェネヒールをかけた。このスキルはしばらくの間、3秒ごとに少量の体力を回復し続けるというものだ。回復量によって小・中・大と種類があるが、クマサンに大を使っているので俺のほうに中をかけてくれた。

 すぐに多くの体力を回復できるスキルではないので、緊急時の使用には向かないものの、トータルの回復量では通常のヒールを上回り、敵ヘイトもあまり稼がないというメリットがある。SPを効率的に使い、ヘイトも抑えるという、強敵相手の長期戦で使うにはもってこいのスキルだ。


 加えてミコトさんは、この戦闘が始まってからずっと、仲間の体力を全快させないように巧妙に回復を調整している。全快させてしまうと、余剰な回復量が無駄になり、それが積み重なればSPの大きな無駄遣いになる。

 下手なヒーラーは全回復させがちだが、ミコトさんはそれをしない。パーティーメンバーを死なせない範囲で、絶妙な管理を続けているのだ。わずか1の回復量も無駄にしないために。

 細やかな気配りと卓越したヒーリングスキル、彼女は間違いなく信頼できるヒーラーだった。


「ミコトさん、俺の命は君に預ける!」

「はい! 任せてください!」

「その代わり、俺はこいつを倒してみせる! スキル、みじん切り!」


  ショウの攻撃 猛き猪にダメージ325


 俺の声と共に包丁が閃き、猛き猪に大ダメージを与えた。

 必死に回復し続けてくれるミコトさん、敵のターゲットを取り続けてくれるクマサン、この二人を楽にするため、俺にできる唯一のことは、この怪物にダメージを与え続けることだけだ。

 必死に戦ってくれてる二人に報いるため、俺はスキルを使ってこの右手の包丁を振り続ける。


 猛き猪の範囲攻撃「暴れ回り」、これを連発されたら正直危なかっただろう。

 だが、敵の攻撃にも俺達のスキル同様リキャスト時間が設定されているようで、連続でその攻撃を受けることは避けられていた。

 時折、思い出したかのように放たれるものの、そのダメージはすでにミコトさんの計算の内だ。彼女の回復が的確に俺を守ってくれる。

 二人に支えられながら、俺は包丁を振り続けた。


「このままならなんとかSPはもちそうです」


 ミコトさんが新たなSP常時回復薬を飲みながら、心強い言葉を発した。その言葉に安堵感を覚える一方で、彼女の冷静な判断力が頼もしく思えた。


「正直、あの3人がいなくなってよかったかもしれません。彼らが残っていたら、範囲攻撃で受けるダメージ量が多すぎて、SPが絶対に足りなくなっていました」


 ミコトさんの言葉は辛辣だったが、その意見には俺も同意せずにはいられない。

 彼女は個別回復スキルだけでなく、範囲回復スキルも持っているが、この戦いでは使っていない。敵に近い位置にいる俺とクマサンだけがダメージを受けている今、SP消費と敵ヘイトの増加を避けるために、個別回復スキルのみで対処しているのだ。

 もしこの場にあの3人のアタッカーも残っていたなら、ミコトさんは範囲回復スキルを使わざるを得なかっただろう。そうなれば、SPの消費は一気に増え、回復によるヘイトで彼女が敵の攻撃対象になる危険性が高まっていた。結果的に、あの3人が早々に離脱したことで、俺達はこの戦いを有利に進めることができている。

 とはいえ、だからといって、俺はあの3人の行動を認めることはできない。仲間を見捨てて自分だけ逃げ出した行動は、ゲームだとしても許されるべきではない。


「みんな、敵の体力はもうすぐ残り1割を切る。だからといって勝ちを意識してリズムを崩してはダメだぞ」

「ああ、わかっている」

「大丈夫です」


 俺の言葉に二人は力強く返してくれた。

 しかし、その言葉は、本当は自分自身に向けて言ったものだった。

 この状況で少しでも早く敵を倒したいと一番焦るのはアタッカーだ。一気にトドメをさそうとスキルを連発して、敵ヘイトを貰った結果、一気に戦線が崩壊するなんてことは、よくある失敗だ。ゲーム経験の長い俺は、自分への戒めの言葉として、俺は敢えて先程の言葉を口にしていた。


 ……大丈夫、ヘイト管理はちゃんとできている。

 落ち着け、俺。

 俺のSPはまだもつ。

 ミコトさんのSPもまだ尽きてはいない。

 落ち着いてスキルを決めていけば、こいつを倒せるぞ。

 そうやって俺は自分に言い聞かせる。


 だが、俺達が相手をしている猛き猪はそんな生易しい敵ではなかった。

 残り体力が1割を切った瞬間、その巨体が不気味に震え始めたのだ。


 今までこんな行動はとってこなかったぞ!?

 なんだこれは!?


 クマサンもミコトさんも口には出さないが、警戒を強めているのがわかる。


  猛き猪は力を溜めている


 不穏なメッセージが目に飛び込んできた。

 明らかに危険な臭いがする。

 こいつは通常のモンスターじゃない、ネームドモンスターだ。「暴れ回り」以外にも、特殊な攻撃を何か隠し持っているのかもしれない。


「スキル瞬間防御強化・大」


 クマサンが重戦士の固有スキルの一つを使った。

 10秒間だけ自分の防御力を大幅に上昇するスキルだ。効果時間が短すぎるため使うタイミングが非常に難しいが、それをここで使ってきた。クマサンのことだ、土壇場での敵の強烈な攻撃に備えて、ここまで温存してきたのだろう。

 さすがだよ、クマサン。これを予期していたのか。


 俺が感心した次の瞬間、猛き猪の目が赤く光った。


  猛き猪の猪突猛進撃 クマサンにダメージ1265


 俺は自分の目を疑った。

 4桁ダメージなど初めて見た。

 そもそも俺達プレイヤーキャラの体力は4桁もない。

 そのダメージはクマサンの体力を遥かに超える量だった。


 嘘だろ?

 熊型獣人の重戦士なんだぞ。

 しかも瞬間防御効果・大のスキルまで使った直後だ。

 それを軽く一撃死させるダメージなんて、反則すぎるだろ……


 クマサンの体力表示が真っ赤になり、0と表示されるのを見て、俺とミコトさんはただ茫然と立ち尽くすしかなかった。


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