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<30・蘇生。>

 兄と儀式を受けた日のことを、茅は一生忘れはしないだろう。

 両親を恨むつもりはない。儀式がいつになるのか、詳しいことは分家筋の彼らには知らされていなかっただろうから。というか、御堂の本家も完全に予想することは難しい。いつ、どのようにして結界が破れることになるのかについては、完全にジャクタ様の意思一つで決まるものだからである。しかも、ジャクタ様は基本的に村の外部の人間を呼び寄せて結界を破壊させるため、余計に動きを読むことが難しいのだ。今回が、東京から来たユーチューバー二人によるものだったように。

 だから、一か八かに賭けて、息子と娘を結界の外に逃がそうとしたのは責められることではない。その結果、自分達がどれほど無惨な死体を晒して、我が子らに癒えない傷を刻んたのだとしても。


――ああ、雫兄さん。貴方は、わたくしの百倍辛かったはず。貴方があの時、瀕死のお母様を見捨てて逃げて下さらなかったら……きっとわたくしは生き残ることなど出来なかったのだから。


 その後も。十個年下の茅を、雫は死ぬ気で守り抜いてくれた。

 御堂の家の者は、基本的に生きたまま使者になることはないとされている。これは、ジャクタ様の加護が強いため、であるらしい。死んだあとは使者になるが、事実兄は何度も使者の攻撃を受けてなお、人間の姿と意識を保ち続けていたのだった。人間のまま血まみれになり、苦しみながら茅を守り続けてくれたのである。

 思えばあれも、兄に元々素質があったからなのかもしれない。そういえば聞いたことがある気がする。最初にジャクタ様を呼び起こして御堂家の始祖となった御堂秀みどうしゅうもまた、兄と同じく絶世の美男子であったらしい、と。

 しかし、生身の人間の体は脆いものである。

 儀式が終わるまであと少しといったところで、彼は力尽きてしまった。使者の攻撃から見を守って、命を落としてしまったのである。


『いやああああああああああああああああ!!お兄ちゃん、お兄ちゃぁぁぁぁん!!』


 御堂家のしきたりに沿って、遺体は三日間丁寧に保管された後通夜を行うこととなった。

 ところが火葬場に運ぶ直前に、棺がガタガタと動き始めたのである。啞然とする親戚と茅の前で、彼は自ら棺を開けて起き上がったのだった。真っ白な死装束を纏って、呆然とする兄が真っ先に言った言葉は一つだった。


『か、茅……?俺は、一体……?』


 勿論、大騒動になったのは言うまでもないことである。

 兄は不思議な力を、常世から持ち帰ってきていた。時々発動する予知能力と、この世ならざる者の気配を察知する能力、そして本家筋でも一部の者しか扱うことができない、魔術武器の錬精術である。

 彼は皆に、自分は常世に行ってきたのだと語った。そこは真っ赤な空に泥のような沼が永遠と続く地獄のような世界で、たくさんの使者たちが蠢いていたと。そして、その中心に使者とよく似た姿の“ジャクタ様”がいて、自分はジャクタ様と話をしたと。


『常世に行っても、何故か俺は使者に変貌しなかった。使者たちは多少知性を持ってはいても、人間らしい言葉を話せる者はごくわずか。恐らくこの世界に囚われれば囚われるほど知性が失われていくのだろう。完全に意思を失った者は世界に溶けてしまうのだとジャクタ様は言った。そして……この世界に、使者にならずに呼ばれたのは俺が初めてだったと』


 ジャクタ様は使者によく似た、黒焦げの猿のような恐ろしい姿をしていたが。その言葉や考えは、さながら幼い子供のようなものだったと。この常世は自分の家だけれど酷く退屈で、現世から人を呼んで退屈を紛らわしているのだと言うのだ。

 自分が“起きて”いる時は、現世の者と話をすることもできるらしい。恐らくこれが、ジャクタ様を封印せずに祀っている状態と思われる。しかし今は“眠らされて”いるので、現世の人間と話が出来ない。退屈でたまらない、と。

 ようするにジャクタ様を眠らせるというのは、もっと正確に言えば“ジャクタ様へ通じる通路を閉じる”ということであるわけである。結界を使って、その通路を閉じることによってジャクタ様の現世への悪影響を最低限に抑えることができるというわけだ。

 ちなみに通路を開くといっても、人間がその通路を通ることができるわけではないし、ジャクタ様がこちらに来られるわけではない。あくまで話ができるようになるだけである。

 しかも厳密には、話と言っても直接声を聞くことができるわけではない。清めた紙に、ジャクタ様の指示が浮かび上がるようになるだけ。こちらからも少ない言葉で文字によって意思を伝えることができるようになるだけであったが。


『俺の来訪を、ジャクタ様は心から喜んでいたようだった。久しぶりに、まともな話ができる人間が現れて嬉しいと』


 何でも、そもそもジャクタ様自体が、太古の昔に生贄に捧げられた子供であったらしいと言うのだ。だから、何万年もの時間をかけて力を蓄えたはいいものの、精神は幼い子供のままであるのだと。


『俺は暫し、ジャクタ様の話し相手になった。そして確信した。ジャクタ様が退屈を紛らわせている間、村の安寧は保たれるのだと。そのためには、簡単に人としての心を失わない人間が、話し相手になる必要があるのだと』


 やがて、会話の中でジャクタ様は、地上の世界に様々に存在する多くの娯楽を知ったという。自分もそれで遊びたい、それができすとも多くの遊びの知識を得たいと。

 ところが、雫は村の外を知らないし、あまり遊びに造詣が深い人間でもなかった。ジャクタ様に話せる話題がそもそも限られている。困っていると、ジャクタ様はこう提案したらしい。




『じゃあ、ニンゲンのせかいで、いろいろみてきて。つぎにきたとき、たくさん、たくさんぼくにおはなしをきかせてよ。できれば、おかしくならないともだちをつれてきてくれるとうれしいな。たくさんあそぼうね、しずく!』




 それが。

 雫がジャクタ様に、現世に戻された最大の理由である。

 自分が色々と知識を経てもう一度常世に行けば、きっとジャクタ様は満足してくださる。だからもう二度と結界が壊れることがないように、少なくとも結界を少しでも長く保てるように、自分は村の外に出た上で死ぬべきだ。雫は御堂家の人間にそう主張した。

 しかし。

 ジャクタ様を崇拝し、御堂の特別な力を盲信する大人達は――そんな雫の提案を良しとはしなかったのである。

 あまり便利なものではないとはいえ、雫の力があれば御堂の家の威光を示すのにも大いに役立つ。災いを回避することもできよう。何より、次期当主に任命された妹の茅も、せっかく戻ってきた大好きな兄をまた失うなどあってはならなかったのである。


『お兄ちゃんがまた死ぬなんて嫌、絶対に嫌!』

『か、茅……』

『ジャクタ様の儀式は、他の方法でもなんとかなるんでしょ。だったらお兄ちゃんが死ぬ必要なんてない。ママもパパも死んじゃって、もう茅にはお兄ちゃんしかいないの!お願い、ずっと側にいて……!』


 そう。

 儀式を、四十九人の生贄以外で終わらせる方法は確かに存在する。

 それは、御堂家の人間を、特別な方法で常世に送り込むことだ。

 ジャクタ様に愛された兄と、兄の“おともだち”。約束通り二人分を送り込めば、四十九人の生贄に足らずとも恐らくジャクタ様は満足してくれる。それは、長年の御堂家の密書にも記されていることだった。兄は特別であったが、そもそも御堂の家の人間は簡単に使者にならない存在。もし常世で使者になっても、人間らしい知性をそう失わないだろう存在。御堂家の人間一人を捧げれば、恐らく生贄の十人分には匹敵するだろう、と。


――でも。……御堂の家の者は誰一人、それを実行したいなんて言い出さなかった。当然でしょうね、誰だって……身内より、見知らぬ他人が死んでくれた方がずっといいもの。


 そんな御堂家の体質に、茅とて不快感がなかったわけではない。

 それでも従った理由はただ一つ。茅の願いは、兄を幽閉したその日から変わっていないからだ。


――兄さん。雫兄さん。わたくしの心は変わっていません。


 御堂家から犠牲者を出すのなら。確実に、兄は自ら手を挙げる。それだけはあってはならなかった。自分は老いて死ぬまでずっと、兄と共に現世で生き、共に天国に行きたいのだから。

 常世になど。兄が、地獄のような世界と称した世界に行くのも行かせるのもごめんなのだった。


――何処でどう、ジタバタしたってもう意味はないの。


 ちらり、と茅は己の手の甲を見る。

 数字はいつの間にか、15まで減っていた。


――あと少しで儀式は終わるわ。それまで辛抱すればまた……わたくしたちはずっと一緒よ。


 神社の奥座敷。そこに、ジャクタ様と交信することができる部屋がある。茅は今、その部屋にいた。

 座敷の奥には、古びた鋼鉄の扉があった。何度も補修され、補強されたその鉄扉は、普段は開けたところで壁があるばかりである。ジャクタ様と通じた時だけ、その向こうが常世に繋がるのだ。

 兄が、使者にならないための儀式を行うには、この部屋を使うしかない。此処で待っていれば彼は確実に現れると茅は確信していた。

 同時に。最後の説得の材料を作るためにも、この部屋である必要があるのだと。


「茅様」


 ざぁっ、と正面の襖が開き。親戚の男が顔を覗かせた。


「雫様と、その御友人がいらっしゃいました。お通ししますか?」

「……ええ」


 こっそりと監禁部屋を抜け出した彼が、いずれこの部屋に来ることはわかっていた。仲間を連れているのは予想外だったが。


「通して頂戴」


 終わりが始まる。

 あるいは、始まりが終わるのだろうか。

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