御堂茅は考える。
ひょっとしたら、このような展開になるのも必然であったのかもしれないと。
「御堂様!」
牢屋に入れられた村人たちが、叫びながら茅の方へと手を伸ばす。救いを求めるように蠢く腕がなんとも滑稽だった。こんな自分のような、美しくもなければ若くもない老いた女に、彼等は許しを乞うて涙を流すのである。
「お願いします、お願いします!どうか、どうか此処から出してください、お願いします、お願いします!」
牢屋に押し込められた者達は、男女も老いも若いも関係ない。一応トイレと簡素な食事は用意されているものの、それだけだ。狭いスペースに、複数の人間がぎゅうぎゅうに押しこめられている。それだけで充分苦痛ではあるだろうが――彼等が恐れているのも訴えているのもそれが理由ではあるまい。
彼等は知っているからだ。
牢屋の前の廊下までは結界で守られていても、牢屋の中はそうではないということを。
このままの状態で使者が現れたら、自分達は逃げることもままならず食い殺されてしまうということを。
使者は、壁も天井も関係なくすり抜けて出現するし、人間が集まっているところに現れやすい。誰からか、そういう情報が広まったのだろう。使者から逃げおおせた者がいたのなら、そういうことを知っていてもなんらおかしくはあるまい。
「こ、このままでは本当に、使者様が現れた時点で終わりです!」
「お願いします、死にたくないんです……!」
「逃げ出そうとしたこと、心から反省しています、ですから、ですからぁ!」
「いやあああああああああああああああ!」
「助けてください、お願いです、お願いです……!」
パニック状態になっている村人たちがなんとも不憫だった。
牢屋は東西南北の四か所があり、それぞれ十数人ずつ村人たちが押しこめられている。彼等がこのように監禁されている理由は、彼等が村の外に逃げようとした者達の“生き残り”であるからだ。
ジャクタ様の儀式を知っている者ほど、儀式の生贄になることや使者を恐れる。経験者からみっちりと話を聴かされている者も。そういう者達は主に二つに一つで、ジャクタ様の敬虔な信者となって意思を代行しようとするか、ジャクタ様への恐怖から村を捨てて逃げ出そうとするかのどちらかなのだった。前者はいい。一刻も早く儀式を終わらせようと殺戮に走る者ならば、自分達も歓迎するし放置する。だが後者は頂けない。
他の村人たちを見捨てて、自分達だけ逃げようなんて。
散々この村でジャクタ様の世話になっておきながら、いざ生贄になるかもしれないと思った途端にその恩を忘れて村の外へ脱出しようとするなんて。
そんな裏切り、許されるはずがないのだ。
「そんなに希うなら、何故逃げようとしたのです?」
茅は命乞いをする人々を、冷たく見下ろした。
「自分達が助かるのなら、他の同胞たちがどうなってもいいと思ったのでしょう?そのような心の冷たい人間がこの村にいたなんて、あまりにも悲しくて泣けてしまいますわね」
「そ、それは……っ!」
「生贄を自分だけ逃れるとは、そういうことなのですよ。それならば、早々に儀式を終わらせるべく協力してくださる方々の方が、幾分かマシでございますね」
前回の儀式の時もそうだった。
茅も十歳の時に、儀式に参加している。御堂の家の人間とはいえ、分家筋の自分達は結界の中に入ることを許されなかった。ゆえに、両親と共に逃げ回ることになったのだが――あろうことか、自分の両親は自分と兄を連れて真っ先に村から逃げようとしたのである。
そして、村を囲む御堂家の結界に捕まった。
結界は、地図の上で“尺汰村”と明確に定められた範囲を綺麗に取り囲んでいる。この川の向こうへ渡れば尺汰村を出られると、父と母は自分たちの手を引いて橋を渡ろうとしたのだった。
そして。
『ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?』
あの光景を、茅は忘れることができない。
橋に一歩足を乗せた瞬間、両親の足と腕が同時になくなったのだ。
結界の仕組みは、至ってシンプル。
境界を越えた途端、越えた部分を異次元に消し飛ばしてしまうのである。腕が超えたら腕がなくなり、足が超えたら足がなくなってしまう。
だから、彼等はそうなった。
一歩境界線を踏み越えた父の腕と、母の足が同時に消し飛ばされた。
苦痛に悶え転がる二人は、すっぱりと骨も肉も寸断された手足を見て悲鳴を上げるしかなかったのである。いや、父はまだマシだっただろう。頭蓋骨の一部も削れたせいで、比較的早く死ねたのだから。
母があまりにも憐れだった。足を失い、痛い痛いと泣きわめく姿を、茅は歳の離れた兄に抱きしめられて見つめる他なかったのだから。
医者もない、儀式の真っただ中の村で。母が助かる見込みは、ほぼないと言っても良かった。しかもすぐに、御堂の家の人間が追いかけてきたのである。
結界を超えようとして体の一部を消し飛ばされ、苦しみもがきながら死にかけている者も。それから、一緒に逃げようとして、結界の正体に気づいて逃げられなかった者達も。みんなトラックに積み込まれ、御堂の家に送り返されようとしていた。
彼等が何を企んでいるのかはわからないが、どうせろくなことではあるまい。そう判断した兄は、トラックの運転手がこちらに気づく前に、茅を抱えて逃げ出したのである。
もし、兄が自分を連れだしてくれなかったら。きっと幼い自分は、生き残ることができなかっただろう。当主を継いだ今だからこそわかる。逃げようとして生き残った人達は、今の彼等のように牢屋に押し込められて“運命のルーレット”を押しつけられたのだろうということが。
儀式に逆らい、結界の外に逃げようとした行為そのものが、この村では罪となる。
ただし、だからといってすぐに殺していいかといえばそういうことにはならない。というのも、儀式の最中に殺すということは、その者達を神聖な使者として生まれ変わらせることと同義だからである。裏切り者の彼等に、使者になる資格があるのかどうか。それとも、現世で罪を悔いて生きるべきなのか。それは、ジャクタ様本人に決めてもらうべき、というのが御堂家の考えであったからだ。
「貴方がた“裏切り者”は、現在四つの牢屋に別れて収容されています」
茅は淡々と、命乞いをする人々に語る。
「使者様は、人が集まるところに現れる傾向にあります。……ゆえに、皆さんのところにもいずれ現れて、皆さんを試されることでしょう。ただし、四つの牢屋のどれが先に使者様に襲われることになるのか、そして、使者様が“誰を”“何人”喰われるのかはわたくしには図りきれぬことでございます」
「あ、ああ……」
「場合によっては、使者様に喰われるよりも前に、儀式が終了するかもしれません。他の者が喰われても、自分が生き残るかもしれません。全ては、使者様に命じるジャクタ様の意思のみが決めること。皆さまは裏切りの代償に、己の生殺与奪の権利をジャクタ様に全て預けることになるのです」
「あ、あああああああああああ……!」
絶望に崩れ落ちる者達を一瞥し、茅は踵を返した。足腰が弱ってきている自覚はあるが、まだまだ自分は当主として威厳のあるところを見せなければいけない立場である。
人前ではしゃんと背筋を伸ばして立ち続けなければいけない。ましてや――兄が裏切り者に落ちた今は、自分が彼とは違うことを見せつけなければいけないのである。
――兄さん。貴方は、間違っています。わたくし達はかつての儀式を生き残り……ジャクタ様に選ばれた存在。そして、御堂の家を継ぐ者として、掟を誰よりも守っていかなければいけなかったのに。
当時茅は、何もできない十歳の、分家筋の少女でしかなかった。
それでも生き残ることができたのはただ一つ。ボロボロになりながらも、もうすぐ二十歳になる兄が自分を守ってくれたからだ。彼は勇敢だった。両親に代わって、自分が妹を守らねばと命を賭けてくれた。その結果――儀式の最期の最期で使者に襲われ、命を落としてしまったのである。
使者に完全に殺された人間の肉体は、現世で使者になることはない。
彼の遺体は綺麗なまま残った。しかし、葬儀の最中に突如として――死化粧を施されたその目が開いたのである。
彼は、突如として死の国から生還した。そして、こう語ったのである。
『常世に行き、ジャクタ様の話し相手になった。その結果、ジャクタ様の意思で現世に帰された』
封印の儀式が行われたのは、あれが初めてではなかった。過去に数回、ジャクタ様の結界がほころびかけて、四十九人の生贄をもってして封印を施している。が、長い御堂家の歴史においても、このように常世から帰還した者はまったく前例がない。
彼はジャクタ様に愛され、現世に蘇ることができた特別な存在なのだと誰もが理解した。茅とは似ても似つかない美しい顔をした青年だったというのも、その説得力を増す要因の一つだったのだろう。現世に戻ってきてから、彼が特殊な力を扱えるようになったから尚更に。
茅と兄の立場は、一気に反転することになった。
結界から逃げようとしたことは両親の暴走として不問に処され、兄は現人神も同然の存在として御堂家の奥に幽閉されることになったのである。そして妹である自分は、結界の外にいながらも生き残った御堂の家を継ぐ者として、十歳の女児でありながら次期当主に任命。それは、兄の監視も含んでの役目でもあったのだろう。
――そして、私は御堂家の人間として、一から徹底的な英才教育を施されることになった。ジャクタ様のこと。儀式のこと。そして、自分達がその教えを守り、村を守り続けるべき立場であるということ……。
帰還してから、一切年を取らなくなった兄。
彼が長い幽閉生活の中で何を思い、何を祈り続けていたのかは茅には定かではない。自分と違って、普通に年を取って老婆になった茅をどのように思っていたのかも。
でも。
「……わたくしたちには、役目があるのよ」
茅は確信している。
兄がどれほど苦しみの中でこの六十年を生きてきたのだとしても――間違っているのは確実に、兄の方であると。
「どうしてわかってくれないの……雫兄さん」
報告通りならばもうすぐ兄は、此処にやってくるのだろう。
全ての決着をつける、そのために。