学校の裏門のすぐ前、に地下道は通っていたらしい。ひょっこりと顔を出した亜林を見て、花林は思わず抱きついてしまっていた。元々姉弟仲は悪くない。それでも彼が大きくなってから、こんなに堂々とハグしたことはなかったというのに。
「あ、姉貴、姉貴!苦しい!」
「うう、うううう!良かったよう、亜林、亜林……!」
「姉貴……!」
学校に近辺に、使者が集まってきているというのは本当らしかった。少し離れたところにある雑木林の中に隠れて、少しだけ休憩である。この林の中に、もう一か所御堂家の地下道への入口があるのだと雫は言った。
「……あの、その。雫さんは、大丈夫なの?」
暫く感動を分かち合い、話をしたところで。ようやく亜林が、雫の方に水を向けた。姉を抱き留めたところを見たからなのか、自分達を逃がして貰えたからなのか。初見だというのに、亜林の雫への心理的ハードルは相当下がっているらしい。
「怪我してるみたいだけど。……つか、俺達を逃がすためか。本当にすみません……」
「気にする必要はない。あんな奴らの攻撃をよけきれなかった俺が鈍間だっただけだ」
亜林の言葉に、雫は少しだけ笑顔を見せた。頭の横と腕をちょっと切っただけとはいうが、よく見ると結構コートに血が染みている。かなり深い傷なのでは、と花林は思ってから、次に自己嫌悪に陥った。亜林との再会を喜ぶのに必死で、すぐに彼の怪我を慮ることができなかった。今日、ずっとこんな調子である。自分のことに手いっぱいが過ぎる。
実際、彼が受け止めてくれなかったら。自分は学校から逃げ出すこともままならなかったかもしれないのだから。本当に、たった一人で陸と麻耶を無事にここまで連れてきた亜林と比べて、なんて体たらくなのだろう。
同時に。自分が想像していた以上に、状況が悪いことを知る。
全員の話を総合して、積極的に人を殺して生贄を増やそうという考えの人間が何人もいたことを知った。麻耶のおじいさんたち然り、学校の先生達然り。確かに、四十九人のカウントをさっさとゼロにするには効率的なのは間違いない。家を出た時は、そんな簡単なことにも思い至っていなかった。
最後の一人になるまで殺しあえ、とはまた別の厄介さ、残酷さがあるデスゲームだ。何故なら四十九人死んだ時点で残りは助かる仕様上、大切な人を死なせない為に別の人間を殺すということが成り立ってしまうのだから。
守りたい人間がいる者ほど鬼になり、そして凶行に走ってしまうのかもしれない。
「……これから、ますます酷くなるのかも」
ぽつり、と陸が呟いた。その視線の先にあるのは、18という数が浮き上がった自分の右手の甲だ。
「だって、もう残り……十八人って。いつの間にかこんなに、こんなに減っちゃった。もう三十人以上の人が死んだってことでしょ……?しかも、僕達がまだ見てない人も死んでるってことだろうし」
「そうだな」
彼の言葉に雫が頷く。
「この儀式のルールだと、人数が残り少なくなればなるほど争いが苛烈になる傾向にある。あと三人とかになれば話はわかりやすいだろう?あと三人殺せば地獄から解放されるとなったら、ジャクタ様の狂信者でなくても凶行に走るのは自然な流れだ。愛する家族がその時点で生き残ってるなら尚更に」
その言い方は、まるで前回の儀式について経験しているかのようだ。
そもそも、と花林は気づく。彼の言葉は、御堂家として情報を得ているというより、なんだか経験談や経験則を語っている印象を受ける言葉が多いような気がする、と。
『平気じゃない。君より少しだけ慣れているだけだ』
『今の音は、使者が使者を呼ぶ時の声なんだ。ジャクタ様からお告げがあった時や、異常事態が発覚した時に仲間に集合をかける』
『長い時間同じところに留まると、奴らが集まってくる傾向にある。それと、壁に囲われた場所なら大丈夫という保証もない』
彼からあのへんの話を聴いた時はまだ、儀式が始まって間もないタイミングだった。使者によって殺された人も少なかったはず。それなのに、随分と使者に関して詳しく知っているものだと思ったものである。
それに、死体や悲劇にも慣れているという口ぶり。あれはひょっとしたら、前回の儀式について何か知っているからということではないか?
ただ、そうだとすると年齢があわないのは事実だ。大体六十年前に、前回の儀式が行われたという話であったはず。目の前の御堂雫は、どうみつもっても二十行くかどうかという年にしか見えない。
「お母さん、何処に行っちゃったのかな」
泣きそうな顔で麻耶が言う。
「多分、神社の方に行ったか、村の外に行けないか試したかどっちかじゃないかなって思うんだけど……」
「村の外に行けないか試していないことを祈ろう。神社に行った方がまだ生存している可能性がある」
「どういうこと?」
麻耶の問いに、雫は首を横に振る。
「現在、この村は箱庭と化している。生贄が村の外に出てしまったら、儀式が成り立たなくなるからな。村をぐるりと覆う形で、御堂家の術師が結界を作っているはずだ。儀式が終わる前にその結界を超えるには、術師を殺すか解かせるしかない。それをやらずに突撃すると……」
「まさか、死ぬってこと?」
「そう思ってくれて構わない。神聖な儀式から逃げ出そうとする人間を処分でき、かつカウントも減らせて一石二鳥だからな。儀式の始まりは、生贄候補の手にカウントが現れたタイミングだから……恐らくはアナウンスより少し前、六時半から七時といったところだっただろう。結界もそれくらいのタイミングで張られたはず。逃げられたのは、それ以前に村を出た者達だけだな」
やはり、と花林は確信する。雫の情報量は、ただ御堂の家にいるから、というだけではないような気がする。
そもそも御堂家の人間が、どうしてジャクタ様を、ひいては同じ家の人間を裏切ろうとしているのかも疑問だ。
――何で、ジャクタ様の使者を退治できる武器があるのか、とか。使者の気配を察知できるのか、とか。
尋ねたいことは、山ほどある。どっちみち、自分達も腹を括らなければいけないタイミングに来ているから尚更に。
「そろそろ、教えて貰えませんか、雫さん。この儀式を、四十九人の生贄以外でどう終わらせるのか。それから……貴方自身のことも」
『裏を返せば。“四十九人の生贄”以外に“ジャクタ様が満足する玩具”を与えることができれば、この儀式を終わらせることができるんだ。その方法を私も御堂家も知っている。……知っているのに、御堂家はそのやり方を避けて、罪なき村人を四十九人も死なせる方法を選んだ。だから私は許せなくて、彼等から離反したんだ』
安藤先生達は、“四十九人の生贄以外に方法があるのなら、神社がその手段を取らないはずがない”と言った。恐らく、それは正しい。他に代案がないからこそ、この大がかりな儀式で村人を大量に殺すことを選んだはずである。
しかし雫は確かに、他にも儀式を終わらせる方法、つまりジャクタ様を満足させる方法があると言う。それを知っているのに実行しない御堂家を許せないと思って離反した、とも。
つまり、四十九人の生贄、の代案の方も――真っ当な内容ではない、ということに他ならないのではなかろうか。
「確か雫さんは、その方法について“儀式から一定の時間が過ぎることと、自分が尺汰神社に行くことが条件。条件が整い次第、やり方を話す”と私に言いましたよね。まだ時間は足らないのでしょうか?」
「……いや。そろそろ頃合いだろう」
雫は言いながら、コートについた土と葉を払って立ち上った。
「今から地下通路を使って、神社の方へ向かう。ただし、地下通路にも使者が出ないという保証はない。地上より少しばかり確率が低いだけだ。もし地下通路に使者がいる気配がしたら即座に引き返すつもりでいるから、理解してほしい。神社に向かいがてら、私が知っていることを全て話す」
彼はちらり、と麻耶を見て言う。
「もし、君のお母さんが生きているなら、神社の境内で捕えられている可能性が高いしな」
「……ありがとう。ありがとう、雫お兄ちゃん」
「どういたしまして」
言いながら、少女の頭を撫でる雫の目は優しい。あまり器用ではないが、きっと心が綺麗な人なんだろうな、と花林は思う。
そもそも、本当に自分の保身しか考えない人ならば、自分達を助けてくれることもないはずである。彼の能力と武器、があれば、一人で生き抜くくらいわけないことだろうから。
「麻耶ちゃんのお母さん、助かるといいな。……僕の家族は、駄目だったから」
「陸……」
陸は、家族が殺し合うのを見てしまったと言っていた。本当は辛いし、今でも泣きわめきたい気持ちでいっぱいだろう。それでもこの少年は、めいっぱい背筋を伸ばしてそこに立っている。
生きなければいけない。家族の分も、自分が立ち向かわなければいけないという、その一心で。何て強いのだろう。
「……陸君」
だから、花林は精一杯の笑顔を作って言うのだ。
「全部終わったら、うちに遊びに来なよ。私と亜林でいっぱい料理作ってご馳走してあげる。うちの両親、すーぐどっかに旅行に行っちゃって、私達置いてけぼり食らうからさあ。二人で家事やるの慣れちゃってるんだよね」
「それは事実だけど、姉貴は冷凍食品をあっためて弁当に詰める係だろ。料理は全般的に俺の方が上手い」
「ぐっ」
「目玉焼きを三回に一回焦がすくらいには不器用だ。俺がオムライスとか天津飯とか作ってやるから、それ食えよ陸」
「卵ばっかりやないかい!」
亜林がわざとジョークに乗ってくれたのがわかった。だから、やや大げさに彼の後頭部にチョップという名のツッコミを入れる。くすくす、と笑う陸と麻耶。良かった、少しだけ元気を出してくれたようだ。
「勿論、雫さんも来ますよね?ご飯会」
「え」
そして。それを遠巻きにして見ていた雫に声をかける。彼は本気で驚いたように目を見開いた。花林は笑いかける。
「お礼、させてください。私と亜林の命の恩人に。私の料理の腕はまあ……お察しですけど。亜林の作るご飯が美味しいのは間違いないので」
「花林……」
彼は、そんな花林の言葉をどんな気持ちで聴いていたのだろう。
「……ありがとう。その時は、是非」
ちょっとだけ寂しそうな笑顔の意味を知ったのは、もう少し後になってからのことだったのである。