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<24・殺戮。>

「私ね、他の先生ともよーく話し合ったんですよ」


 安藤はにこにこと微笑みながら言う。


「何度も、何度も話し合いました。私達の家族でまだ学校に避難してこれていない人たちもいますし……みんなの命を救うにはどうすればいいかって。でも、ジャクタ様の儀式を、他の方法でクリアすることなんかできないんですよね」

「で、できないって」

「私もおじいちゃん達からたくさん聞かされてきたんです。ジャクタ様がどれほど恐ろしい神様か。強大な力を持っているか。そんな存在を相手に、人間が抗うなんて馬鹿げたことです。出来ることはその指示に従って従順な生き方をするか、説得して見逃してもらうか。しかし、私達普通の人間は……ジャクタ様とお話する方法もないのが現実です」


 彼女がそんな話をしている間にも、毒を盛られた人々が苦しんでいる。その中には未就学児童もいた。幼稚園児くらいの女の子が、ぶくぶくと血泡をふいて悶える母親に縋って泣いている。


「ままぁ……ぐるじいよ、おなが、いだいよぉ……たすけで、たすけてぇ……げぼっ」


 その口元が、また激しく胃の中身を吐き出した。教室中に饐えた臭いと鉄錆の臭いが充満し、花林も吐き気を催してくる。

 すぐ隣では、お腹を抑えて深優が転がりまわって苦しんでいた。


「あががが、がががががっ」


 苦しみのあまり教室の床に、力いっぱい爪を立てている。バリバリ、バリバリ、と引っ掻く音と同時に無惨に爪が剥がれ落ちるのが見えた。血の引っ掻き傷を残しながらもまだ引っ掻いている。それほどまでに苦しいのだ。こんなにすぐ効果が出るなんて、どれほどの猛毒を盛られたのか。牛乳を一口二口飲んだだけだろうに。


「うぐぐぐっ……か、かりん、ぢゃ……だすげ」

「深優っ!」

「だずげて、死んじゃ、う……ごぼぉっ!」

「深優!深優――!!」

「無理です、諦めましょう。みなさんもう助かりませんよ」


 そんな生徒と保護者達を平然と見ながら、校長が言う。


「ほら、見てください、これ」

「!」


 彼が掲げた手の甲を見る。花林は、男の分厚い手に刻まれた数字が、どんどん減っていっていることに気がついた。

 はっとして教室を見れば、既に体をびくびくと痙攣させている者、ほとんど動きもしない者も数名。体力がない人間から死んでいっているのだ。


「お願い、本当に、本当にみんな死んじゃう!助けて!!」


 花林は先生達に訴えた。


「四十九人も生贄を捧げるなんておかしいって安藤先生言ったじゃないですか!私もそう思います、生贄なんかなくてもジャクタ様を説得できる方法、眠って頂ける方法を探すんじゃ駄目なんですか!?神社の人ならそれを知っているかもしれないじゃないですか!!なんで……なんで自分達が助かるために、みんなを殺して数を稼いでいいなんてことになるんです!?」


 早くみんなを手当してほしい。どんな毒を盛られたかもわからない、医療技術もない花林にはほとんど何も出来ないのだから。明らかに内臓が傷ついている者達に、一体どんな手立てがあると言うのだろう?

 出来るとしたら、盛った毒の種類を知っていて、多少なりに手当の心得があるはずの先生たちだけだ。病院に運ぶのにだって、車がいるというのに。


「同じことを、星野先生もおっしゃいましたわ」


 栗田のおばちゃんが、のほほんと笑いながら言った。


「星野先生はまだお若いし、この村に来て十年くらいだから……ジャクタ様に関することを、年上の方々に教えて貰わなかったんでしょうね。だからあたし達がいくら説得してもきいてくださらなくて。集まった子供達と保護者の皆さんに使者になってもらえれば、一気にカウントを減らせるのに」

「ま、まさか」


 花林は血の気が引いた。




『星野先生は別の所で作業をして貰ってますから』




 あの時。

 先生達の会議で、なんで星野先生だけのけものにされたのかと思ったのだ。そして、僅かに香った血の臭い。あれはまさか、あの教室で星野先生は。


「は、反対されたら……星野先生まで殺したんですか!?」


 絶句とともに、花林は後退った。


「信じられない……あ、あんた達、それでも教師なの!?子ども達も仲間も殺して平気なの!?」

「殺したんじゃないさ。みんな、使者に変えてジャクタ様のところに送ってあげたんだ。私達が代わりに現世で頑張るからってね」

「同じことじゃない!自分達が生き残るためにみんなを殺すなんて!!」


 その時、ぱたり、と何かが落ちるような音がした。はっとして見れば、血走った目を見開いたまま深優が硬直している。可愛らしく結ばれていたポニーテールがほどけ、髪を振り乱し、苦痛に顔を歪めた鬼のような形相で。ごぽごぽごぽ、と血まみれの口元から更に血液が漏れ出している。


「み、深優……?深優、深優うううううう!」


 嘘だ。花林は泣き叫びたい気持ちでいっぱいだった。


――嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だっ!こんな、こんなの嘘だ、先生達がみんなを殺すなんて、殺して平気で笑ってるなんて!!


 ふと、視線を投げた場所で、花林は気付いてしまった。

 教室でもはやまともに息をしているのが、自分と先生達だけであること。そして窓際の壁にもたれかかかるようにして事切れているのが、さっき自分を褒めてくれた岡部眞人の伯父であることに。その隣には岡部少年も倒れている。




『そうかそうか。いやあ、私達だけじゃちょっと手が足りてなかったからねえ、助かるよ』




 こんな馬鹿げたことがあるのか。

 先生達を信頼していたからこそみんな学校に逃げてきたのに、それなのに。

 さっきまで普通に喋って、笑っていた人達がみんな冷たくなっているなんて!


「あ、あああ、あ」


 花林は髪の毛をばりばりと掻き毟り、絶叫した。




「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」




 誰か。

 誰か誰か誰か誰か。

 これは、悪い夢だと、そう言って。




「貴女の気持ちもわかります、平塚さん」


 いけしゃしゃあと、安藤は告げる。


「でもね、よーく、冷静になって考えて?人間が、恐ろしい神様に抗って無事で済むと思う?そして、四十九人の生贄を捧げるよりマシな方法なんてものがもしもあって、御堂の家の方々がそれを知っているのなら……何故あの方々はそれを実行しないの?」

「!!」

「ね、わかるでしょう?マシな方法なんかないんです。出来るのは……誰が死んで、誰が生き残るかを選ぶだけ。私たちは、現世に残る方を選んだから、代わりに他の方々に使者になって常世に行って貰うことにした。それだけのことなんですよ」

「だからって……だからってええ!」

「反対するなら、別の方法を提案しないと。ほら、先生達がいつも教えてあげていたでしょう?具体的な代案がないと、ディベートで誰も説得させられませんよって」


 その声は、自分が大好きだった安藤先生と何も変わってない。変わっていないことが、あまりにも異常で、恐ろしくて。

 彼女は一体いつ狂ってしまったのだろう?

 それとも、自分が知っている、生徒思いの優しい先生は本当のところどこにもいなかったということなのだろうか?


「さて、平塚さん。貴女には二つの選択肢があるが、どうするかね?」


 うめき声さえ殆ど聞こえなくなった教室の中。頭がつるつるになった教頭先生が、二本の指を立てたのだった。


「一つ目は、我々の仲間になること。我々以外を殺害して我々の身の安全を確保に協力しつつ、ここで見たことを黙っているというのなら……運良く毒入り牛乳を飲まなかった君だけは仲間にしてやってもいい。二つ目は、ここで君も使者の方に仲間入りをすることだ。大人しく抵抗をやめるというのなら、君はもう少し苦しまない死に方をさせてあげよう。もっとすぐに死ねる毒を選んで、みんなを楽に死なせてあげるべきだったと我々も後悔しているんだ」


 絶望的な気持ちで、花林は男の顔を見つめた。喋り方も落ち着いていて穏やか、話し方も丁寧。

 狂人とは。もっと壊れたように笑ったり、罵倒したり、支離滅裂な言動ばかりするものと思っていたのに。


「さあ、どっちにするかい?」


 花林の目の前にいる彼らは。どこまでも“普通”の仮面を被るのだ。

 冷静に、冷徹に。




 ***




 やはり、何かがおかしい。

 確かに住宅地に迫っているという使者たちのせいで、死人の数が一気に増えることは想定していた。自分たち以外の住宅地の人達を見殺しにしてしまうかも知れない――それをわかった上で雫に作戦を頼んだのは他でもない亜林なのだから。

 だがしかし、いくらなんでもこの減り方はおかしい。早足で地下道を進みながら、亜林は嫌な予感に胸を焼かれていた。


――たくさんの人が、ほぼ同じタイミングで殺されていっているみたいだ。つまり、たくさん人が集まっている場所ってことに……まさか、学校で何かあったのか!?


 手の甲の数字はみるみる減少し、ついに28になってしまった。姉は無事なのか。学校にいるかもしれない、他の友達は?

 それに、雫は使者と直接かち合うかもしれない作戦に挑んでいる。せめてきちんと顔を合わせて礼を言いたいのだけれど、彼の安否も今は確認できないわけで。


――姉貴、雫さん、みんな!頼む、無事でいてくれ……!


 陸のと麻耶の手を引っ張って、亜林はひたすら暗い道を進む。

 その先に、まともな未来があるかどうかさえわからないままに。

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