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<21・傲慢。>

 使者には、独特の気配がある。それをなんと言葉で説明するのが的確なのか、御堂雫にはわからない。

 背中にぬめっと張り付いているような気がするとでも言えばいいのか。

 じめじめとして腐った沼のような臭いがする気がするとでも言えばいいのか。

 あるいは血のような、どろっとした生臭さか。どれも正解であるような気がするし、違う気もする。

 確かなことは一つだけ。雫には、その気配が一定の距離に近づくとわかるようになったことだけだ。そう、あの日以降に――。


――やはり、間違いないな。


 南西の方から、死者が多数押し寄せている。住宅地に近づいてその原因ははっきりした。拡声器を使って、大きな声で叫びまくっている阿呆がいるのである。なるほど、亜林が言うところの“おかしくなった人たち”とは彼らのことであったらしい。あんなことをしていては、自分達から襲ってくれと言わんばかりだというのに。


「何度でも、何度でも申し上げますよぉぉ!我々はぁー!勇気ある人を募集しておりまぁぁぁす!」


 わんわんと響き渡る、老人の声。


「ジャクタ様は、生贄を求めておられまぁぁす!その生贄に自ら手を挙げた者を、使者として楽園に連れていってくれるはずでぇぇす!勇気ある人は、名乗り出てくださぁぁい!私達が代表して、その方を楽園へお連れしようと思いまぁぁす!ジャクタ様に選ばれた私が、責任をもって!皆様を使者と変え、ジャクタ様のところにお渡ししまぁぁす!安心して、身を委ねてくださぁぁぁい!」


 こういう人間は、儀式のたびに必ず現れる。ジャクタ様の狂信者か、もしくはジャクタ様への恐怖で頭がおかしくなった人間か。近づいて見たところ、叫んでいる老人は少なくとも六十は超えているようだ。とすれば、前回の儀式の参加者である可能性が高い。つまり、前の儀式の時に恐怖で頭のネジが外れた上、ジャクタ様の力が本物であると実感して畏敬を選んだ人間だと見るべきか。

 このような者を説得する方法は、ほぼほぼ皆無と言っていい。実際に儀式を体験したわけではなく、老人に洗脳されただけであろう二人の孫娘はまだ時間をかければ解決するかとしれないが、今はその洗脳を解く時間もない。

 言うなれば狂信者を無理に説得することはつまり、敬虔なキリスト教徒に向かって“キリストは邪神なので信じてはいけません!”と言い、自ら聖書を破り捨てさせるようなものなのである。そんなことしていいはずがないし、させられるわけもない。身に沁みた教えを捨てさせることは、その人の一部、あるいは全てを捨てさせるのと同義なのだから。


――というか、よくよく見るとあの三人には見覚えがあるな。何度も、神社の“集会”に来ていた奴らじゃないか?


 そうだ、思い出した。雫は建物の影に隠れて様子を伺いながら思う。

 尺汰神社では、月に二度特別な集会がある。前の儀式で生き残って祭司となった者達と神社の関係者だけで行うものなので老人が多いが、ジャクタ様の本物の信者であるならば集会に連れていってもいいことになっていたはずだ。

 その集会では、結界の現状報告や、ジャクタ様との交信状況などの報告があり。異変があった時の対処法などは、全てそこで決められることになる。儀式が決定するのは唐突なので、それはいわば臨時の集会で決められるのだが、顔ぶれはほぼ変わらないと言っていい。

 あの老人の名前。隣室で様子を見ることしかできず(基本的に自分は村人の前に姿を現すことができないからだ)直接話したことはないが、知っている。斎藤権蔵と、その孫娘の斎藤美紅に斎藤美姫。斎藤麻耶の祖父というのは、どうやら間違いないらしい。


――祭司であること、集会に参加してきたこと、ジャクタ様からの交信を受けたこと。それによって、自分達こそ特別な存在だと思いこんでいるわけか。だから使者に殺されない、と。


 ああ、権蔵たちが近くの家に侵入し、年輩の夫婦を引きずり出した。

 夫婦は怯えながら命乞いをしている。


――なんて愚かな真似を。使者に忖度なんてない。祭司も信者も関係なく襲いくる。だから、御堂家の連中も結界に閉じこもっているというのに……!


 御堂茅たちも、斎藤権蔵たちも同じだ。吐き気がする。結局自分達が死にたくないからと、役目があるからと言い訳して他人に犠牲を強いる外道。確かに正攻法でこの儀式を終わらせるためには、さっさと四十九人の生贄を差し出すしかないのはわかっている。その生贄を誰にするか、これは押し付け合いのデスゲームであることも。

 それでもだ。まるで自分が正義の味方であるかのように酔いしれて、代わりに死んでくれる人間を募るなんて。そこで名乗り出ない人間を悪のごとく裁くなんて――気が狂っているとしか思えない。


「お願いします、お願いします、お願いします!」


 頭の禿げ上がった男性が、権蔵の前で土下座している。


「来月、東京で娘の結婚式があるんです!年老いてから生まれた、可愛い可愛い娘なんです……!やっと、やっと晴れ姿を見られる。やっと幸せになるところを見届けられるんです。それを見る前に死にたくないんです、後生ですから、私と妻を見逃してください。お願いします、お願いします、お願いしますっ!」


 死にたくない。それは、人間として当然の本能だ。誰も彼も生き甲斐にしていることがあり、生き残りたい理由があるのは当然のこと。ましてや、楽しみにしているイベントが間近なら当たり前のことだろう。


「来月じゃ無理よねー」


 呆れたようにため息をつく、斎藤美紅。


「それまでこの儀式を続けるとか無理ゲーだし?その前に村にある食料なんかの備蓄がつきてみんな死んじゃうと思うしね。ていうか、儀式終わらないとあんたもここから出られないのよ?」

「で、ですから……っ」

「つまり、自分たちは死にたくないから。自分たちのかわりに二人、別の人に死んでもらってください。あんたらはそう言いたいわけね?」

「そ、それは……っ」


 男は視線を逸らす。完全にブーメラン刺さってるのによく言う、と雫は苦い気持ちになった。確かに、命乞いをすることはつまり、他の人を代わりに殺してくれと言っているようなもの。しかし、それをよりにもよって自分達は死なずに村人達を殺す選択をしている美紅が言うのかと。


「まあまあ、美紅。山田さんご夫婦にも、事情があるわけですから。生きたいと思うのは仕方ないことです。あまり厳しいことを言ってはいけないよ」

「ちえ。……はぁい、おじいちゃん」


 権蔵が宥めると、美紅はあっさり引き下がった。三人の力関係ははっきりしているらしい。というか、美紅と美姫が権蔵を盲信していると言うのが正しいか。

 一方美姫は多弁な方ではないのか、手持ち無沙汰に足元の石ころを蹴っている。さながら幼い子供に戻ったかのように。


「山田さん。美紅がごめんなさいね。しかし、この子が言っていることは間違ってないんです。自分が生きたいと願うことは、他の人に代わりに死んでくれと言っているようなものになってしまうんですよ、この場ではね」


 権蔵の言葉に、山田とかいう老人は呻く。その腕に縋り付く、彼の妻。その顔を彩るのは、言いしれぬ恐怖と絶望。

 自分達の命乞いが罪ならお前らはどうなんだ――と。心の中では思っているのかもしれないが。


「生きたい理由はみーんなあります。もうすぐ念願の海外旅行ができる人、お菓子職人の夢が叶う間近に来ている人、宝くじが当たったばかりの人、来週見たいドラマがある人、好きな人との結婚を控えている人……それぞれ。しかし、みんな生きたいと願っても、誰かはお役目を果たさなければいけません!自分の欲望を押し殺して、勇気ある選択をした人をジャクタ様は温かく迎えてくださいますよ。常世では、あらゆる苦しみがなくなります。けして悪いことではありません。ほんの一瞬、死ぬ時に痛い思いをするだけです」

「で、でも……!でも、わたしたっ……わた、私達は……っ!」

「勇気を振り絞りましょう、山田さん!私達が少しでも少ない苦しみで、お二人を使者へ生まれ変わらせて差し上げますから、さあ!さあ!さあ!」

「あ、ああ、あああ……」


 日本刀という狂気を持った大人三人を前に、丸腰の老夫婦が太刀打ちできるはずもなかった。彼らは靴さえ履いていない、本当に部屋着のままの恰好なのだから。

 選択権などあってないようなもの。いくら懇願しても聞き入れられない――夫より先に、妻が悟ったのだろう。ゆえに。


「嫌よ!」


 涙ながらに、叫んでいた。


「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやっ!私達は生きたいの、生き残りたいの!何もない常世になんて行きたくないわ……そこには楽しいことも、娘たちも誰もいないじゃない!絶対に嫌!私達が行かない分は、あんた達が行けばいいじゃないのよ!!」


 次の瞬間。妻よりも先に、夫の首が跳んでいた。あの刀、と雫は苦い気持ちになる。普通、大した訓練もしていない人間が刀を振り降ろしたところで、人間の首を一刀両断なんて出来るはずがない。

 それができるということは、使う人間が術者であるか、武器が普通でないかのどちらかだ。


――私の銃ほどの力はない。が、明らかに異界の力の影響を受けているな。前の儀式の時に使われた魔術武器の残り、か? 


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!あなたっ、あなたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 老婦人の絶叫が響き渡る。夫の血に塗れ、首のない体を抱きしめて泣き叫ぶ女。ソレを困ったような笑顔で見下ろす、血まみれの刀を振り上げる権蔵。


「やっぱり、意味ないと思うんだよね」


 ふぁぁ、と欠伸をして美姫が言った。


「いちいち説得したって無理だよおじいちゃん。所詮、選ばれてない人にジャクタ様の本当の素晴らしさなんて理解できないんだからさぁ」

「しかしだなぁ、美姫。おじいちゃんは、できればみんなに納得した上で、自分から使者になってほしいんだよ。嫌々だと、常世に行ったあとでジャクタ様に失礼があるかもしれないしねえ」

「言いたいことはわかるけどー」

「二人共そんなくだらない話ししてないでさっさと続きいきましょうよ。まだまだ全然、四十九人には足りないのよ?」


 目の前で夫に縋って泣いている女性がいるのに、三人はまるで今から映画でも見に行きましょうかというような気軽な口ぶり。もはや、人間としての理性や常識を手放してしまったそれだと雫は理解する他なかった。

 否。ひょっとしたら彼らはずっと前に狂っていて、この儀式が始まるまでは正気のフリをして過ごしてきたのかもしれない。ジャクタ様とジャクタ様への信仰が、彼らにとって何よりも優先されるからこそ。


「ひっ、ぎいいいっ!」


 次の瞬間、老婦人もバッサリと切り捨てられて倒れた。刀を振るった美姫は、うまくいかないーとぼやいている。三人の中でも、彼女はあまり刀の扱いがうまくないらしい。そして、彼女が持っている刀は魔術武器ではないと見える。


――あれが、どの段階で御堂家の人間ではない彼らに渡ったのか。そして斎藤美紅の刀も魔術武器なのかどうか……それを判定するのは後回しだ。


 ずっと考えていた。亜林には使者の方を誘導すると言ったが、使者と権蔵たちをぶつける目的ならばどちらを導いても構わない。果たしてどちらを動かすのが有効か、と。

 このまま騒がせておいても使者たちはいずれ権蔵たちと鉢合わせするだろうが、それが亜林たちのいるすぐ近くであるのは非常にまずい。

 ならば、権蔵たちをもう少し東側に誘導するべきか。


――……悪かったな、山田さん。


 血まみれになって倒れた老夫婦に、雫は小さく手を合わせた。


――私はわかっていて、あなた達を見捨てた。どれ程咎められても、恨まれても文句は言わない。……恨み言は、私が常世に行った後でいくらでも聞く。だから少しだけ、待っていてほしい。


 彼らの会話のやり取りではっきりした。

 権蔵たちを自分の方におびき寄せるのは、そう難しいことではない。

 簡単だ。彼らが最も嫌がることをすればいいだけなのだから。


「……そこのお前達」


 ゆえに、数十メートル離れた場所から。雫は権蔵達に声をかけたのである。


「随分とふざけた真似をしてくれているようだな」


 さあ、ここが最初の勝負どころだ。

 全てはあの姉弟を救い、そしてエゴにまみれた己を救うために。

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