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<18・意思。>

 意外にも、権蔵と孫娘二人を撒くのはそこまで難しくはなかった。連中が亜林の不意打ちに想像以上に動揺してくれていたというのもある。

 ひとまずNビルにて、麻耶と陸と合流。なんとかして住宅密集地を脱出し、学校に向かおうとなったわけなのだが。

 学校の方面に向かおうと移動を始めたところで、権蔵達が動き始めたことを知り――見つからないように、再び隠れることになってしまったのだった。無人のまま店主がいなくなっている(店主は騒動でどこかに逃げたのか、それとも死んでしまったのかはわからないが)古書店に隠れたはいいものの、権蔵たちが近くを練り歩いている関係で身動きが取れなくなってしまったのである。

 その時、姉からLINEで連絡が来て、今に至るのだった。


「我々はぁー!勇気ある人を募集しておりまぁぁぁす!」


 拡声器を使って響き渡る、老人の声。


「ジャクタ様は、生贄を求めておられまぁぁす!その生贄に自ら手を挙げた者を、使者として楽園に連れていってくれるはずでぇぇす!勇気ある人は、名乗り出てくださぁぁい!私達が代表して、その方を楽園へお連れしようと思いまぁぁす!」


 権蔵は景気よくしゃべりながら、孫娘たちと周囲を練り歩いている。おかげで位置がわかると言えば分るのだが、さっきから麻耶がずっと怯えているのがあまりにも痛々しかった。


「うう、ううう……」

「麻耶落ち着け。辛いのはわかるけど、泣き声が聴こえたらあの人たちにバレてしまうかもしれない」


 満足に涙を流させてやることもできない現状がもどかしい。こんな小さな女の子に、声を上げて泣かせてあげることもできない。

 さっきは不意打ちと、それから亜林一人だったので逃げ切ることもできたが。今は陸と麻耶がいる。二人を連れて、さっきのように大人三人を撒くのは極めて難しい。

 とりあえず古書店に逃げ込んだはいいものの、この建物の中に彼等が入ってきたら一巻の終わりである。まともに走って逃げて、勝ち目があるとは思えない。

 というのも、さっきから権蔵達はとんでもない手段に出始めている。いくら呼びかけても町の人々が出てこないので、強行手段に出始めたのだ。つまり、閉じこもっている家のドアや窓ガラスを壊して侵入し、中の人を引きずり出して処刑するということを繰り返しているのである。

 さっきも、逃げる途中で見てしまった。はす向かいの一軒家から、お母さんと小さな赤ちゃんが引っ張り出されたのを。


『駄目ですよ、田中さんー。ジャクタ様の意思に背くようなことをしては!四十九人の生贄を差し出さなければ、儀式は完了しないんですよ?』

『や、やめてください!この子は、この子だけは……!』

『いやいや、お母さん献身的なのはいいけどよく考えて。その赤ちゃんは、まだ小さいでしょう?お母さんが死んじゃったら、赤ちゃんも生きていけませんよ。だったら一人で取り残すより、二人で一緒に常世に送ってあげた方が親切じゃないですか。駄目可愛い赤ちゃんを一人で置いていったら可哀想でしょう?冷静になりましょうよ、ねえ?』


 権蔵の言うことは優しいようでいて、あまりにも歪み狂っている。説得の余地がないと悟るや否や、田中という女性は発狂したように泣き叫んだ。


『何で、何でそんな酷いこと言うの!わかっているなら、私達二人とも見逃してくれたっていいじゃない!何がジャクタ様よ、そんなよくわからない神様のためになんで私達が死ななくちゃいけないの!?四十九人死ねばいいんでしょう、だったら他の人を選んでよ!!』


 それは、ごくごく普通の考えであることに間違いはなかった。このデスゲームの最も厄介なところは、“最後の一人になるまで殺しあえ”ではないところである。カウントされるのは残りの人数ではなく、死んだ人数の方。四十九人が死ねば、残る村人は助かることになっている。そのせいで、結託して自分達以外を殺そうと思う者や、自分達以外が死んでくれと願う者が出るという状況になってしまっているのだ。

 生贄になるのが自分達でなくてもいいなら、他のどうでもいい奴を選んでくれ。そう言いたくなるのは、ニンゲンならば至極真っ当な感情なのだろう。――わかっている、仕方ないことだと。それでも、亜林は胸が苦しくてたまらなくなったのだ。

 こんなことにならなければ、自分達の村は平和なまま、みんなが殺し合うようなことにもならなかったはず。

 穏やかな、自然にあふれた村のまま。

 優しい人々に囲まれて、当たり前の日常を過ごせたはずなのに。人々の欲望も悪意も、何もかも見なくて済んだかもしれないというのに。


『奥さん、そういう考えが一番の悪なんですよ!』


 そんな田中に、声高らかに説教する権蔵。


『自分が嫌な役目だからと人に押しつけて、自分だけ助かろうなんて!そんな人間ばかりだからこそ、この世界から戦争もなくならないし、犯罪も、いじめも、SNSとやらの炎上やら誹謗中傷とやらもなくならないんでしょう?孫娘たちが言っていましたよ!本当にあるべき平和な世界とは、それぞれが人が嫌がる仕事を積極的に引き受けて、自己犠牲のもとに生きることだと!』

『な、何言って』

『そもそも、今回の仕事は本来とても名誉あることなのに、何故か皆さん嫌がる!抵抗しなければちょっと痛いだけ、一瞬で終わります。あなたは、病気になるかもしれないとわかっていながら注射が痛いからと拒む子供ですか?子供なんですか?駄目です、ちゃんと大人になってください!母親として、赤ちゃんを無事に常世に送り届ける役目を担うべき、そうでしょう!?』

『何言ってるのか全然わからない、わからないわ!私はっ……』


 次の瞬間。女性の体の前面から、真っ赤な血が噴出した。

 彼女が前にだっこしていた赤ちゃんの首を、美紅が思いきり切り落としたのである。日本刀による、一刀両断。ただの刀ではないのかもしれない――あまりにも威力が強すぎる。なんせ赤ん坊の首と共に、赤ん坊を支えていた女性の右手首まで切り落として行ったのだから。


『あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!裕、裕うううううう!!』


 激痛と、赤ん坊の明確な死に泣き叫ぶ母親。しかし美紅は彼女が残る左手を赤ん坊に伸ばそうとするのを嘲るように、その顔を蹴り飛ばしたのだった。そして、あおむけになった田中の体に刀をつきつけるのである。


『こういう分からず屋をいちいち説得していたらキリがないわ、おじいちゃん』

『私もそう思うー。おじいちゃん、さっさとやっていかないと、四十九人終わらないよ?全部使者様に任せるわけにはいかないでしょ?』

『おう、確かにそうか。それもそうだなあ』


 美姫にも説得され、うんうんと頷く老人。

 仰向けに倒れてじたばたともがいている女を見下ろすと、美紅は刀を一閃していた。股間から、胸のあたりまで思いきり切り裂いたのである。


『ふ、ふぎゅううううううっ!?』


 それは、凄まじい光景だった。股間からみぞおちまで――派手に切り裂かれた腹から、血液とともに一気にそれらが腹圧で中身が溢れ出し、女の周囲に散らばったのだから。腹膜が切り裂かれて腹筋の機能が失われると、人間の腹からはかのように臓物が溢れだしてしまうのだと知った。

 楽に死なせる、とは正反対。

 田中という母親は、白目をむいてぶくぶくと血泡を吹きながら、苦しみ抜いて死んでいった。――死んだはずだ。最期までそれを見守ることなく亜林たちは逃げたけれど、あの状況で助かったとは到底思えないのだから。

 そのあとも、あちこちから人の悲鳴やものが壊れる音が響いていたこと。

 亜林たちの手の甲に記された数字が39まで減っていることを踏まえるなら、もう状況は明らかだろう。

 恐らく全てが権蔵たちの仕業ではないだろうが――確実に、村人の数は減っていっている。どれもこれも、誰かに殺される形で。


「だって、だって亜林にい……」


 そして今。

 泣きやむことがやむことができない麻耶は、亜林に訴えるのだ。


「どうしろっていうの。どうすればいいの。だって、あれ、あれ……あれ、麻耶のおじーちゃんなんだよおおお……!優しかったおじいちゃんが、おじいちゃんと美紅ちゃんと美姫ちゃんが、なんであんな酷いことするのおおおお……!」


 一番、この地獄を受け止めきれないのは彼女だろう。大好きな祖父と、憧れていた従姉たちが揃って虐殺に走っているのだから。

 彼女の父は出張で家を空けていたので恐らく無事だが、母親の生死が不明なのも問題である。どうやら彼女の母は、アナウンスを聴いてすぐ“どういうことか神社に確かめに行ってくる”と言ったまま家を出ていって戻らなかったらしい。生きているのか死んでいるのかも不明。アナウンスのあとにすぐに住宅地から離れたらしいこと、権蔵たちの言動から察するに、少なくとも彼等によって殺されたわけではないとは思われるが。


「人は、自分が信じたいと思うものしか信じないイキモノなんだ」


 その麻耶の頭を撫でながら、亜林は言う。


「だから、麻耶のおじいちゃんたちは……自分が信じたい、ジャクタ様っていう神様を一番に信じてしまったってことなんだと思う。それが宗教っていうものだ。人に迷惑をかけたり、人に教えを強制したりしなければ本来宗教は自由なものなんだけどな。……今のおじいちゃんたちは、駄目だよね」

「亜林にい……」

「でも、あのおじいちゃんたちを説得するのはとても難しい。自分が正しいと思っている人には、罪悪感なんてないんだから。ある意味、無敵の状態になっちゃってるんだよ。……説得するには、賢くて強い大人の力が必要だ。いくら麻耶がおじいちゃんの孫だからって、責任を感じる必要はない。どうすればいいのかは、大人を頼って決めればいい」

「大人」

「そう、大人。学校にならきっと、頼れる大人がいるはずだ」


 学校が安全であることを、今は信じるしかない。そんな希望さえ失ってしまったら、自分達はこの地獄で生き抜くことなどできなくなってしまうのだから。

 かりそめでもいい。あとでもっと絶望するかもしれなくても、今は。


「だから、今は俺と一緒に学校に行くことだけ考えるんだ、いいな?」


 亜林の言葉に。麻耶はまだ目に涙を浮かべつつも、こくりと頷いたのだ。


「……なあ、亜林にい」


 そんな亜林を見ていた陸が尋ねてくる。


「なんで亜林にいは、そんな強いの?」

「……強くなかんねーよ、俺も」


 自分は彼等にはそう見えるのだろうか。亜林は苦笑しながら、陸の方をぽんぽんと叩く。


「でも、俺……ずっと弟か妹が欲しかったんだよなー。だから、麻耶とか陸が慕ってくれるの、すっげー嬉しくて。……助けたいって思ったら、ちょっとだけ力が湧いてくるんだ」

「……かっこいい。ヒーローみたい」

「うん。……亜林にいは、麻耶たちのヒーローだよ」

「ありがとな、二人とも」


 彼等が一緒なら、自分はまだ頑張れる。とにかくまずは、奴らの隙を見て逃げる方法を考えなければ。亜林がそう思ってスマホを見、周辺の地理を再確認した時だった。

 突然、姉からLINEが入ったのである。


『御堂雫さんって人に、亜林の電話番号教えたよ。番号は080-XXXX-XXXX。私の協力者の人だから、この人から連絡来たら出て。きっと力になってくれるから』


 そして。そのメッセージが送信されたのを確認したかのように、亜林のスマホがバイブで着信を告げたのである。

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