「ジャクタ様はね、ずうっと昔からこの土地を守ってくれてた、特別な神様なんだ」
露骨に警戒している亜林にまったく気がついていない様子で、権蔵はニコニコと語る。
「ものすごく偉大な神様でね、人間のことが大好きでらっしゃるんだけども……なかなか人間は弱くて小さいものだから、神様の望みを上手に叶えてあげらられないんだ。そうだなぁ、こんな例えはちょっと神様に失礼かもしれないが……赤ちゃんのお世話をする時と様子は近いのかもしれないなぁ」
「どういうこと?」
「亜林君は、赤ちゃんや小さい子のお世話はしたことがあるかな?赤ちゃんや小さな子は、まだ言葉を話すことができない。なんとなく何かをしてほしいのはわかっても、それを人間が読み取るのはとても難しいだろう?そして、例え赤ちゃんが欲しい物がわかったとしても、その要求を叶えてあげられる状況にないこともある。それこそ、ミルクの準備をしている間に、一刻も早くミルクをくれと泣かれてもすぐに叶えてはあげられない。でもって、赤ちゃんにその理由を納得してもらうのは難しい」
「う、うん。それはなんとなくわかるけど」
「ジャクタ様相手でも、同じようなことが起きるんだ。ジャクタ様は人間が大好きだから、自分達の世界にどんどん人間に来てほしいし話し相手になってほしい。人間の世界のものも大好きだから、供物として欲しいものはどんどん捧げてほしいと思っている。でも、人間には人間の事情があるし、いつも叶えられるとは限らない。ジャクタ様にそれを納得して貰うのはとても難しい。納得して貰えないと、ジャクタ様はとっても怒ってしまうわけだけ」
だから、と権蔵は続ける。
「赤ちゃんのお世話で一番楽なのは、眠ってくれている時だろう?ジャクタ様も同じなんだ。お願い事を叶えてあげられない時は、すやすやと眠って下さるのが一番助かる。ジャクタ様を封印するというのは、正確には言えばたくさん満足のいく使者を与えて、喜んでもらって眠ってもらうという仕組みなんだよ」
なんとなく、亜林にもわかった。同時に驚かされた。ジャクタ様とやらは、てっきり人間を憎んでいてこんな騒ぎを起こしているのかとばかり思っていたからだ。赤ちゃんと同じ、なんて考え方は新鮮であまりにも意外なものだった。
確かに、赤ちゃんはとても大切にしなければならない存在だが、同じだけ扱いが難しいとも聞いている。話が通じない、困っているのを理解してもらえずに癇癪を起こされるのは厄介なことだ。ジャクタ様でも、同じことが起きているのだとしたら納得もいくというものである。
同時に生贄を欲しがるのも、人間を殺したいわけではなく。使者として自分の世界に連れて行く手段だというのなら、筋が通ると言えなくもない。無論、傍迷惑には違いないが。
「ジャクタ様が起きていると、ジャクタ様に満足してもらうのが難しいってこと?」
「平たく言えばそういうことになるね」
肯く権蔵。
「ジャクタ様が起きている間は、どんどん人間の世界の欲しい物を仰られる。私は神社の関係者ではないから具体的な“祀り”の方法は存じ上げないが、世界の裏側にある特別な猿をご所望になったり、とても手に入らないような高価な宝石を大量に欲しがられたりもする。もちろん、人間の生贄の場合もある。が、ちっぽけな尺汰村の住人に、それらを叶えるのはあまりにも難しいこと。そして叶えることができない理由を神たるジャクタ様には理解して頂けないので、その時は怒りとともに祟りが起きてしまうというわけだ」
「確かに、それはお願いをきくのはすごく難しそうだね」
「そうだろう、そうだろう?」
「麻耶のおじいちゃんは、そんなジャクタ様の声を聞いたの?だから、選ばれた人間なの?」
時間の経過が遅い。ちらりと時計を見るものの、まだ三分しか過ぎていない。Nビルまで辿り着けたら、スマホをワン切りして合図してくれるように言ってあった。その合図がないということは、まだ陸と麻耶は家の中にいるか、Nビルまでたどり着けていないかのいずれかということになる。
なんとか、気分を害さない質問を続けて、それまで時間を稼がなければいけない。
「その通り。……そもそも、私は“新たな祭司の資格”を持ち合わせていたわけだからね。当然と言えば当然とも言えるな」
「新たな祭司の……資格?」
「そうとも」
オウム返しに尋ねる亜林の前で、権蔵は嬉しそうに胸を張る。
「六十年前にも、結界が壊れてジャクタ様が目を覚ましてしまった。そして、村ではジャクタ様にもう一度眠ってもらうための儀式が行われ、四十九人の村人が使者となってジャクタ様のいる常世に旅立っていったんだ。しかし、使者とならずに現世に残った村人にも役目がないわけじゃあない。残った村人達は、現世からジャクタ様をお守りし、信仰を強固なものとする祭司の役目を司るんだ」
祭司。
亜林は眉をひそめる。神社の神主らとはまた違うものなのだろうか?
「実際に神社を守り、ジャクタ様を慰めるお祭りを取り仕切るのは神社の人の役目だ。しかし、それ以外の祭司の資格を得た村人たちにも仕事はあるのさ。それが、ジャクタ様の偉大さを後世に伝え、万が一また結界が壊れたときに積極的に修復を手伝う仕事だ」
「私達は、小さな頃からずーっとジャクタ様のお話をおじいちゃんから聞かされてきたのよ」
口を挟んだのは、美紅。
「いざという時が来たら、おじいちゃんのお仕事を手伝うと約束してたの。それが、結界を迅速に修復するお仕事。特におじいちゃんは、かつての儀式を生き残ってからずっとジャクタ様の声が聞こえていた“選ばれし者”だもの。私達がお手伝いをするのは当然だわ」
「それが、村の人達を殺して、少しでも早く四十九人を達成するってこと?」
「殺すんじゃないわ。使者に変えて、常世に……ジャクタ様の側に送って差し上げるの。この世界での肉体を失って、また常世で使者として蘇り、ジャクタ様に永久にお仕えする身にしてあげるのよ」
「…………」
駄目だ、と亜林は思った。
話せば話すほど、彼らに既に人の常識は通用しないということを思い知らされる。
ジャクタ様の声が聞こえるというのは、ひょっとしたら真実なのかもしれないが――だからって、今日まで普通に話して、笑い合っていた人達を簡単に殺して回れる神経が信じられない。
ひょっとしたら。かつて儀式に参加して生き残り、祭司になった人達と。その人達の言葉に洗脳された人達は、みんなこんな考えになってしまうのだろうか。
――どうしようもない。
ぎりり、と拳を握りしめる亜林。
――この人達にとっては、みんなを殺すことは……殺すんじゃなくて、使者に生まれ変わらせてあげること。だから、罪悪感なんて微塵もないんだ……!
狂人に、人間の言葉は通じない。そして恐ろしいことに、そういった狂人は常識や理性だけ狂っているのであって、それ以外の知識や感情を失ったわけではないということだ。だから時に、恐ろしく冷静な判断も下すわけで。
「あのさー」
間延びした声で、美姫が告げた。
「私達、早く麻耶ちゃんとお母さんを説得して、常世に送ってあげたいのー。勉強熱心な亜林君には感心するけど、君にばっかり時間かけてらんないんだよね。もう十分お話は聞いたでしょ?早く結論出してくれないかなぁ?」
時間稼ぎしているのがバレたのかもしれない。亜林は冷や汗をかく。権蔵も権蔵で、そうだったそうだった!と思い出したように笑っている。
あと少し。なんとか、あと少しだけでも。
「さ、最後に一つ聞かせて」
少しだけ後退って、亜林は尋ねた。
「何で、さっきのエドワードさんって人を殺しちゃったの?おじいちゃんの知り合いの人だったんじゃないの?他の神様を信じてたら、駄目なの?」
ぴくり、と権蔵の眉が動いた。
「ああ、そうだとも。違う神様なんて存在してはいけない。存在するはずもない幻に騙されて、この世で最も尊いジャクタ様という存在を否定することなどあってはならんのだよ」
「あの人は、ジャクタ様を否定したわけじゃなかったと思うよ。ジャクタ様が出鱈目の存在だなんて言ってなかったよ」
「だが、他の神様の教えを、ジャクタ様の教えよりも優先しようとした。それは恐ろしい罪であり勘違いだ。私は目を覚まさせてあげようとしたんだよ」
「……あのね、麻耶のおじいちゃん」
不思議だな、と。いつも亜林は思っていた。
大人は子供によく、道徳的な考えを教え込む。
嘘をついてはいけない。
人を騙してはいけない。
人を殺してはいけない。
悪口を言ってはいけない。
暴力を奮ってはいけない――などなど。
それなのに何故、辺りを見回してみれば、小学校どころか幼稚園で習ったようなこともできていない人がどれほどいることか。
子供達には“やってはいけない”と教え込むことを、大人の多くができていない、守ろうとしないのは一体何故?
「俺は、学校で教えてもらったことがたくさんあるんだ。違う意見の人のことも尊重しなさい、とか。考えが合わないからって暴力で解決しようとしてはいけない、とか。人を殺しては、いけないとか。……俺達が学校で教わるようなことを、なんでおじいちゃん達は守らないんだ?神様の教えなら、守らなくていいことになっちゃうのか?」
「亜林君、それはね……」
「どんなに綺麗な言葉で飾っても、使者に生まれ変わると言っても。おじいちゃん達がやってるのは、人殺しだよ。俺は死にたくないし、友達にだって死んでほしくない」
「そうしなければ村が滅んでしまうのよ、あんたはそれでもいいわけ?」
険しい顔で口を挟む美紅を、亜林はありったけの力をこめて睨みつけた。その瞬間――ポケットの中で、ぶるる、とスマホが震える感触を知る。
Nビルに陸達が辿り着いたのだと知った。ならば、あとは。
「俺は、ヒーローでも大人でもないし。村の存続も世界の存続も、そんな難しいことわからねーけど」
背中のリュックの他に、腰にはポーチを付けてきていた。陸の家で借りたもの。すぐに取り出したいものを突っ込んでおくには、まさに最適なそれ。
亜林は思い切り手をねじ込んで、そして。
「それでもこれだけは言える!俺の大事な人達を犠牲にしなくちゃ存続しないような世界なんか……さっさと滅んじまえよ、クソッタレ!!」
怒鳴ると同時に、殺虫剤を一番間近にいた権蔵の顔めがけて噴射した。
「があああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
顔面にもろに薬剤を浴びた権蔵が苦しげに蹲り、孫の姉妹が動揺したのがわかった。まさか顔見知りの小学生の子供に、こんな反撃を食らうとは思ってもみなかったのだろう。
そして、このチームのリーダーが権蔵であり、姉妹が権蔵の指示で動いているのは明白である。リーダーがダメージを受けると動きが止まるのは、どんな集団でも同じだ。
「何するのよ、お前っ!!」
美紅の罵声をよそに、亜林はありったけの力で走り出していた。神様をもろに否定した自分を、三人が許すはずがない。必ず追いかけてくる。ならば、自分は少しでもNビルから離れた場所まで彼らを誘導し、撒いてから陸たちに合流するまでのことだ。
――やってやる!体力はなくても……この住宅地の構造は把握してるんだ。知恵と小回りで、やり切ってやるよ!
自分は英雄なんかじゃない。選ばれた勇者でもないし、特別な力は何もない。
それでも守りたいものはあるのだ。
ちっぽけな小学生なりの、意地とプライドで。