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<13・惨状。>

 尺汰村は、東西南北に伸びた菱形に近い地形をしている。周囲を山、もしくは川に囲まれており、尺汰村分校は大凡その菱形の中心付近にあった。人々が多く住む住宅街は学校の北側に位置し、のんびりと自然に囲まれた生活がしたかったという亜林たちの両親は南側エリアの人が少ない地域に家を買っている。

 村と呼ばれているが、土地そのものはそれなりに広い。住んでいる人間の数は――何人だったと言っていたか。四桁にはいかないと亜林は聞いたことがあるが、正確な人数は知らなかった。何にせよ、学校の規模を考えるに、子供の数があまり多くないということだけはわかっている。今時、小学生から高校生まで同じ学校で勉強しているなんてそうそうないことだろう。

 南野陸の家に行くには川を渡り、学校を通り過ぎる必要がある。亜林の足だとどんなに急いでも三十分はかかってしまう。唯一の幸いは住宅地が学校から遠くなく、比較的陸の家は住宅地密集地の入口付近にあるということだろうか。

 新築から、ボロい木造一戸建てまで、様々な種類の家が立ち並んでいる。陸の家はボロボロというほどではないが、どちらかというと古い部類に入るだろう。木造二階建ての平屋だ。昔は陸の祖父母と、その三人の息子達に加えて曾祖父母も一緒に住んでいたと聞いている。大家族で賑やかに食卓を囲んでいたらしい。今は曾祖父母と祖父が亡くなり、祖母と陸の両親、陸の四人だけで住んでいるという。四人だけで住むにはちょっと広すぎる上、大晦日の大掃除が本当に大変なんだと陸がぼやいていた記憶があった。


――!


 異変はすぐにわかった。一階、縁側の硝子が粉々になっている。そしてまるでリビングから勢いよく飛び出したように――庭に仰向けになって倒れている人物には見覚えがあった。


「あ、あぁ……っ!」


 それは、陸の母親だった。長い茶色がかった髪がざんばらに散らばっており、その口元は血が混じった泡で汚れている。目はぐるんと白目をむいてひっくり返っており、顔全体が苦痛でぐしゃりと歪んでいた。

 既に息がないこと――仮に生きていたとしても助からないことは明白だった。下腹部から胸の近くまでが、鋭利な刃物のようなもので切り裂かれている。腹部からは千切れた管のようなものがうねうねと飛び出し、大量の血を広げていた。人間の体が、あのように容易く引き裂かれ、内臓をはみ出させてしまうなんてことがあるのか。漫画の世界だけではなかったのか。心配よりも不快感が先立ってしまい、亜林は自己嫌悪に陥った。


――り、陸は?それに、暴れてたっていうおばあちゃんはどうなったんだ?


 吐き気を堪えながら、そっと庭から家の中を覗き込む。そして、リビングにもう一人倒れている人物を発見した。細身の長身、骨ばった体躯に陸と同じ刈り上げた頭――陸の父親だ。

 彼は、母親と比べれば幾分マシな状態だと言えよう。少なくとも受けた損傷は少ないように見える。それでも彼が生きていないと断言できた理由は唯一つ、ぽっかいと開いた眼球が何も映していないことと――その首に、もう一つ口ができたのかと思うほど巨大な裂け目が出来ていたことか。

 そう、彼は首を切り裂かれて死んでいた。亜林はぞっとさせれる。確かに、人間には火事場の馬鹿力というものがあるものだ。いざという時、普段では考えられないほどの力が出ることがあるというのは聞いたことがある話である。

 それでもだ。確か五十八歳かそこらの陸の祖母が、成人男性を包丁一本で簡単に殺せるものなのだろうか?

 ひょっとしたら、他にも襲撃者があったのではないか?


「り、陸!」


 家の中から、人の気配が全然しない。陸の祖母がまだ暴れているということはないはずと判断して、亜林は家の中に突入した。一応、LINEでメッセージも送る。


『今、お前の家には着いたぞ。助けてやるから返事しろ!』


 少し待ったが、既読がつく気配はなし。彼のことだから、スマホを見ることも忘れているなんてこともありそうだが。


「陸、どこだ、陸!」


 家の中は酷い惨状だった。廊下はマシだが、リビングは嵐が吹き荒れたようにしっちゃかめっちゃかになっている。椅子もテーブルもひっくり返り、薄型テレビもひび割れて倒れている始末。割れた花瓶も散乱しており、平和な家庭の面影はもはやどこにもない。

 陸の部屋は二階だったはず。まだ二階にいる可能性もあると考えて階段の前に走ると、そこで見慣れた灰色の髪を見つけてぎょっとさせられることになった。

 陸の祖母は、お洒落な人だった。白髪染めも、だた黒に染めるだけではつまらないとアレンジを試すような人物だったと記憶している。最後に見た時、彼女は白髪が多くなった髪を灰色のグラデーションのように染めて笑っていた。存外似合っていて、素敵だと褒めた記憶がある。ほんの、二週間ほど前のことだ。


「り、陸のおばあちゃん?」


 彼女はうつ伏せに倒れたまま、ぴくりとも動かない。よく見るとそのこめかみと耳からは血が溢れており、うつ伏せた額のあたりが青紫色に変色している。階段から落ちたのだ、とすぐ気がついた。恐る恐る手を伸ばして首筋に触れてみる。――脈はない。階段から落ちたときに当たりどころが悪くてそのまま死んでしまったということか。

 その手には血まみれの包丁が握られまままになっており、亜林の背筋を冷たくするには十分だった。本当に、自分の息子夫婦を彼女が惨殺したというのか?あんなにも孫ともども可愛がっていたというのに?


――何が起きてるっていうんだ……!陸は、陸はどうしたんだ?


 二階へ上がって確認したが、陸の姿はなかった。家の外に逃げたのか。玄関から出たところで、もう一度スマホでLINEを確認する。今度は既読がついており返信も来ていた。


『にわのそうこのなか』


「!」


 庭の倉庫の中。陸は慌ててそちらに向かった。この家には何度も遊びに来ているので、大凡構造はわかっている。南野家には、庭に小さな薄緑色のプレハブ倉庫のようなものがあって、庭の手入れ道具や遊び道具がいくつも仕舞われているのだ。サッカーボールやミニバスケットゴールなんかも出てきて驚かされた記憶があるのでよく覚えている。

 まだ体の小さな陸なら、中に隠れることもできたかもしれない。亜林は“今行く”とレスをすると、すぐに倉庫の前に立って深呼吸した。

 そして、倉庫の引き戸をノックする。


「陸、俺だ、亜林だ。助けに来たぞ。大丈夫か?」


 家族があんな状態になって、大丈夫であるはずがない。それでも他になんて声をかければいいかわからず、そう言った。

 すると、暫くして中でごそごそと動く音が聴こえ、ずずず、と引き戸が開き始める。窓もない狭いスペースだ。昼でも真っ暗な倉庫に一人、どれほど心細かったことだろう。


「あ、亜林、にいぃ……!」


 埃まみれ、砂まみれになった陸は。亜林の姿を認めるや否や、泣き腫らした顔で飛びついてきたのだった。




 ***




「おばあちゃんが不安そうにしてるってのは、昨日亜林にいに話したとおりなんだけど」


 落ち着いた後で、ぼそり、ぼそりと陸は話し始めた。両親が死んだショックから立ち直れたわけではないだろう。というか、誰だってこの状況で傷つかないわけがない。それでも話せる状態になったのは、逆にまだ現実を受け止めきれていないからなのかもしれなかった。


「夜になるにつれ、すごくそわそわし始めて。ジャクタ様の結界が本当に壊れたとしたらアレが起きるんじゃないか、みたいなことをぶつぶつと言って、家の中をぐるぐる回ってて。お父さんは、そんなおばあちゃんにイライラしてて、お母さんが宥めてるみたいなことになってた。お父さんは、あんまりジャクタ様のことを信じてないみたいだったから」

「まあ……身内があんなに狂信的だと、かえって信じたくなくなるよな、ああいうものは」

「うん、そうだと思う。……朝、亜林にいに電話するちょっと前。一階があんまりにも煩いから、僕目が醒めちゃって。そしたら、お父さんとおばあちゃんがリビングで凄い剣幕で怒鳴り合ってて……おばあちゃんは包丁持ってて叫んでたんだ」




『やっぱり、間違いないわ!儀式は繰り返されたのよ……お母さんとお父さんが参加した時のように!私達は、それに殉ずるべきだわ。そうすればきっとジャクタ様は許してくださる……私達みんなで死んで使者になって、ジャクタ様にお仕えしましょう!そうよ、そうすればきっと苦しまずに楽園へ連れて行っていただけるわ……!』




 お母さんとお父さんが参加した?

 どういうことかと思い、次に亜林ははっとした。それは、六十年前の、村が現在のところに移転した時のことを言っているのではないかと。


「それで、俺に連絡してきたわけか」

「うん。朝早い時間に本当にごめん。さっきも言ったけど警察に通報したのに繋がらなくて、他に頼れる人とか相談できる人とかいなかったから……。学校はまだ、この時間じゃ人いないだろうしも思って」

「俺が一番引っかかってるのはそこなんだよ」

「え?学校?」

「じゃなくて、警察」


 うろ覚えの知識ではあるが。緊急通報というものは、スマホの場合圏外でない限り、必ず繋がるようになっているはずだ。でなければ、ギリギリの状況での通報に対応できないからである。

 スマホや携帯電話から110番をかけた場合、各都道府県警察の本部である警察本部の通信指令室に繋がる仕組みになっていると聞いたことがある。そこで着信順に、本部の人が電話を取ってくれるというわけだ(だからすぐに繋がらなくても、慌ててかけ直すのはオススメできない。根気よくかけ続けるべき、であるらしい)。


「圏外ってことはないはず。でもってスマホの契約によっては緊急通報できないこともあるって聞いたことがあるけど……お前のスマホって変な契約してない?」

「そ、それはちょっとわかんない。でも、前にじいちゃんが転んじゃって怪我したとき、僕の携帯から救急車呼べたよ?」

「じゃ、その線はないか。ていうか、繋がらなかったっていうのはどのタイプだ?完全にうんともすんとも言わなかったのか、繋がりませんーとかのアナウンスが流れたのか」

「え、えっと……」


 困ったように、陸は目を伏せた。


「なんか、変な機械音声が流れた。現在そちらのエリアの通報は受け付けることができません、とかなんとか……」


 それって、と。亜林は渋い顔になる。


――警察が……この村で起きてることがわかってて黙認してる?……そういえば、ユーチューバー二人が死んだから警察が来るかもとか言ってたのに、結局昨日も今日も警察の姿なんか見てないぞ。


 ひょっとして、自分達が思っている以上に事が大きくなっているのではなかろうか。警察までグルになって、何かをやらかそうとしているのだとしたら。


「ね、ねえ亜林にい!」


 そして、唐突に陸は声を上げたのである。


「そ、その右手どうしたの!?火傷みたいになってるよ!?」

「え」


 ここで始めて亜林は自らの右手に気がついた。いつからだろう。手の甲に、くっきりと数字のようなものが刻まれている。朝、顔を洗った時にはなかったはずだ。数字の49。明らかに、嫌な予感しかしない。火傷のような文字が、ホログラムのように手の上に浮かび上がっているなんて。


 ピンポンパンポーン――!


 そう、まさにこのタイミングだったのだ。丁度、七時になったのは。




『皆さんおはようございます。七時になりましたので、重大なお知らせをさせていただきたいと思います』




 そして。

 あのアナウンスを、亜林と陸が聞いたのは。

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