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<12・救援。>

「我々はぁー!勇気ある人を募集しておりまぁぁぁす!」


 拡声器を使って響き渡る、老人の声。


「ジャクタ様は、生贄を求めておられまぁぁす!その生贄に自ら手を挙げた者を、使者として楽園に連れていってくれるはずでぇぇす!勇気ある人は、名乗り出てくださぁぁい!私達が代表して、その方を楽園へお連れしようと思いまぁぁす!」


 閑静な住宅街に響き渡る、あまりにも場違いな大声。ああ、何でこんな馬鹿げたことになったんだ――ギリリ、と亜林は唇を噛み締める。

 確かに、確かに神様とやらは生贄を求めているのかもしれない。封印するために生贄が必要だという御堂茅とかいう人が言うことは本当なのかもしれない。

 だからって。こうも積極的に人を狩ろうとする人間が出るなんて、どうして想像ができるだろうか。


「うう、ううう……」


 今は誰もいない、古書店の本棚の影。隠れる亜林の傍には、嗚咽を漏らす麻耶と真っ青な顔をした陸がいる。

 朝の段階では、まさかここまでのことになるなんて誰も予想していなかった。とにかく自分が二人だけでも守らなければならない。この住宅地を脱出して、学校へ行く。神社の人を問い詰めに行くのだとしても、ひとまずは彼等を安全なところに送らなければ話にならない。

 勿論それは、学校の先生や友達が味方であることが前提ではあるが――。


「麻耶落ち着け。辛いのはわかるけど、泣き声が聴こえたらあの人たちにバレてしまうかもしれない」


 本当は、落ち着くまで泣かせておいてやりたかった。普段の亜林ならそうしたところだ。

 でも、今ばっかりはそういうわけにもいかない。ジャクタ様の生贄を求めて、さっきの人達は住宅地を日本刀を持って練り歩いている。拡声器で喋る老人と、その孫娘二人。いくら自分がすばしっこくても、麻耶と陸を抱えたまま大人三人を相手に逃げ切るのは困難を極める。

 なんとか、見つからないうちに此処を脱出しなければ。


「だって、だって亜林にい……」


 麻耶も分かっているはずだ。それでも、彼女の涙が止まらない理由は一つである。


「どうしろっていうの。どうすればいいの。だって、あれ、あれ……」


 彼女は泣きながら、亜林に訴える。


「あれ、麻耶のおじーちゃんなんだよおおお……!」


 ああ、どうしてこんなクソったれなことになったんだ。運命を呪う以外に、何ができるだろう。

 亜林はちらりと己の手の甲を見る。――最初は49だった数字は、いつの間にか41まで減っていた。




 ***




 時間は、少しばかり遡ることになる。

 元々、姉の花林よりも亜林の方が朝には強い。準備も兼ねて、亜林は六時前には起きているが、姉の花林は六時に目覚まし時計をかけても六時半まで寝ているなんてこともザラにあるのだった。

 低血圧はどうしようもないし、こればっかりは向き不向きもある。朝早く起きられない人=みんなが怠慢だというのはいくらなんでも無茶がすぎるというものだ。昔からそうなので、きっと姉もそういう体質なのだろう。さすがに六時半には起きてきてくれないと学校に遅刻してしまうのでその時間には叩き起すが、それまでは寝かせておいてあげるというのが亜林なりの厚意なのだった。

 亜林が朝起きてからすることは決まっている。さっさと着替えて顔を洗い、洗濯ものを片づけることだ。昨夜風呂場に干した洗濯物を畳みつつ、朝もう一回洗濯機を回す。家中のタオル類を全て回収、枕カバーなんかも回収して自分のパジャマと一緒にぽいぽいっとドラム式洗濯機に放り込む。もし姉がこの時点で起きてきていたら、彼女の枕カバーとパジャマも一緒に投げ込まれることになる。

 洗濯機を回したら、その間に朝ごはんの準備。朝ごはんを準備し終わってもまだ姉が起きてきていなかったら、姉が担当する予定のお弁当の準備なんかも亜林がやる。元より、家事は嫌いではない。特に料理系は好きだ。パンの賞味期限が迫っていたので、なんなら今日は朝ごはんも弁当もサンドイッチでいいかもしれない――そんなことを考えていた時だった。


「いっ?」


 朝ごはんを作ろうとキッチンに立った直後に、スマホの着信音が鳴ったのである。時刻はまだ六時を少し過ぎたところだった。電話が鳴るには少々早い。しかも表示されているのは南野陸――つまり、まだ小学三年生の弟分である。彼もけして朝強い方じゃない。それが、こんな時間に電話を鳴らすなんてよっぽど何かが起きたとしか思えなかった。


「どうした、陸?」


 緊張しながら、電話を取る。すると、電話の向こうで半泣き状態で陸は叫んだのである。


『お、お、おばあちゃんがおかしくなって!ジャクタ様が来る、本当に儀式が始まる、みんな死ぬべきだとか言って包丁振り回してるんだ!』

「はあ!?」

『け、警察に110したんだけど、繋がらないんだよお……!お父さんが抑えこんでるけど、どうすれば、どうすれば……!』

「……わかった、落ち着け。お前、着替えとかスマホと財布とか最低限のものだけ持ってお母さんと家を出ろ。わかったな?」

『うん、うん……!』


 状況がまったくわからない。ただ、陸の様子からしてただならぬことになっているのは間違いないようだった。今、詳しく話を聴いている余裕はないだろう。というのも、彼の背後から電話越しに、何を言っているのかもわからない罵声や物音が聞こえてくるからだ。まずは、陸の安全の確保が最優先だと思ったのである。

 ジャクタ様が来る、儀式が始まる――この段階では、それが何を意味するのか亜林にはさっぱりわからないことだった。けれど、昨日陸や深優から聴いた話を総合するなら、大よそ想像はつく。やはり、ユーチューバーの人達が旧尺汰村に入ったことによって、なんらかのトラブルが生じているのは間違いなさそうだ。

 陸は一人っ子だが、両親の他に父方の祖母とも同居している。以前は祖父とも一緒に住んでいたのだが、祖父の方は一昨年に亡くなっていた。陸の祖母はいつもにこにこと穏やかで親切な人物であり、彼の家に遊びにいくたびお菓子なんかをご馳走してもらったのを覚えているくらいだった。普段の彼女なら、包丁を持って家族に振り回すなんてことまずやらないだろう。――ジャクタ様が、絡むことでなければ。


『陸のおばーちゃん。ジャクタ様って、どういう神様なの?』


 何年か前、一度だけ。亜林は何も知らず、地雷を踏んでしまったことがある。陸の祖母も祖父もとても優しく親切な人物であったのだが、ジャクタ様、の名前を聴いた途端顔色を変えたのだった。

 彼等は縁側に亜林を挟んで両隣に座ると、両側からまるで言い聞かせるように交互に話をしてきたのである。


『いいわね?ジャクタ様の名前を、簡単に口にしてはいけないのよ、亜林君』

『そうだ、その名前は偉大であり、同じだけ恐ろしい。簡単に呼んでいいものじゃない。呼ぶ時は畏怖を持って、敬愛を持って、尊敬を持って、崇拝を持って、だ』

『あの神様はね、この村を守ってくださっているの』

『ということはつまり、この村は神様の縄張りということでもある』

『私達は、ジャクタ様に生かされ』

『やがてジャクタ様に殺されてその御身に返るのがさだめなんだよ』

『ジャクタ様が望むことを私達は必ず叶え』

『ジャクタ様が嫌うことは断じて許してはならんのだ』

『あの神様は、飴と鞭何て甘い者じゃない、楽園も地獄も同じだけ与えてくださるの』

『何故か、なんて俺達が理解しようとすることさえもおこがましいんだ』

『ただそこにあるの』

『ただそこにいるんだ』

『だから神様が何かを欲しがったら絶対に叶えるし、神様が何かを嫌ったら私達は手足となって罰を与える覚悟も必要なのよ』

『そうとも、尺汰村の住人は生まれついて神様の贄となることで、生きることを許されているようなものなんだからな』

『だからね、亜林君』

『だからな、亜林君』

『ジャクタ様を理解しようなんてしてはいけない、その存在を認識しようとしてはいけない、あの方を視ようとなんてしてはいけない。ただそこにあって物理法則のように当たり前のもの、畏怖するべきもの。ただそれだけを、わかっていればそれでいい』


 あの時の、老夫婦の様子は鬼気迫るものだった。亜林は圧倒されながらも、こくこくと頷くしかなかったのである。


『……普段は、優しくて良いおじーちゃんとおばーちゃんなんだけどね』


 その様子を遠巻きにして見ていた陸は、そのあと心底申し訳なさそうに亜林に言ったのだった。


『ジャクタ様、の話をすると今みたいになっちゃうんだ。お父さんもお母さんも呆れてるっていうか、困ってる。おじいちゃんおばあちゃんって今どっちも五十八歳なんだけど……なんか、二人が生まれる何年か前に、尺汰村が今の場所に移って。その時色々あったって話を、それぞれパパとママから聴かされてたらしくて』


 だからなのかな、と彼はため息まじりに語った。


『神様のキョーレツな信者みたいになっちゃってるというか。多分、怖いんだと思うんだけど。……だから亜林にい、今後はおじいちゃんとおばあちゃんの前で、ジャクタ様の名前を出すのはやめた方がいいよ』


 その後、祖父が亡くなり。その時もちょっと宗教上の問題で一悶着あったときいている。

 とにかく、ジャクタ様の話題さえ出さなければ、陸の祖母は良い人に間違いなかった。今回旧尺汰村でユーチューバーの人達が、という件を陸の祖母が聞いたと知ってきっと面倒なことになっているだろうなとは思っていたのだが――まさか、いきなり刃物を持って暴れ出すことになろうとは。


――説得するのは、大変そうだ。


 宗教ほど、人の生活に根深く、同時に分かり合えないものもないと聴く。

 それこそ世界中で過去に何度も宗教の違いによる戦争が起きたかを思えば明白なのだ。カルト教団に貢ぎすぎて破産する人もいれば、カルト教団が言う“聖戦”を信じてしまって大量殺戮に手を貸してしまう人もいる。

 人間は、自分が信じたいものしか信じない生き物だ。他の誰がそう言おうとも、“神様を信じない愚か者の戯言だ、耳を貸す必要はない”とシャットアウトされてしまえばどうやったって説得のしようがない。ひょっとしたら、陸の祖母も今まさにそういう状態に陥っているのかもしれなかった。

 亜林はとにかく陸に落ち着くように言ったところで電話を切り、簡単に荷物をまとめた。既に外に出かけられる服は着ている。あとは、ランドセルではなくお出かけ用のリュックサックに水筒、折り畳み傘、筆記用具、財布、携帯、充電器にティッシュとハンカチ――なんかをぽいぽいと投げ入れる。予感がしていた。多分、今日は学校に行けないし、この家にも暫く帰れなくなりそうだという予感が。

 ジャクタ様が本当にいるのかも、儀式とやらが本当にあるのかもわからない。

 ただ神様がいなかったとしても。それを信じて暴走する人がいるのなら惨劇は起こりうるのだ。とにかく陸の安全だけでも確保しなければいけない。


「行ってきます」


 姉へ、簡単な手書きメモだけテーブルの上に残し、亜林は家を出た。彼女を起こしていくべきか少しだけ迷ったが、朝が弱すぎる彼女のこと、ちょっと声をかけたくらいではすぐに起きないだろう。

 それに、電話を切る直前に陸が自分に言った言葉が気がかりだった。


『亜林兄、ごめん、ごめん……!ば、ばあちゃんが、外は使者がうろつくようになるだろう、使者は人を食うとか意味不明なこと言ってたんだ。ひょっとしたら、外に出るのは危ないのかも。それなのに……本当に、ごめん』


 使者とやらが何かはわからないが。とりあえず、姉には家にいて貰った方が良いだろうと思った理由はそれだった。

 すぐに家に帰ることができれば、それに越したことはないけれど。


――一体、何が起きてるっていうんだ……?


 そして。

 早足で陸の家まで行った亜林は目にすることになるのだ。

 明白すぎるほど明白な異常と、平穏な日常の終わりを。

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