学校に到着すると、他の子供達も同じ話題でざわついていたのだった。亜林と仲良しの
「亜林にい、どうしよう!麻耶たち呪われちゃうかもしれないんだって!」
二年生の麻耶にとって、亜林は頼れるお兄ちゃんポジであるらしい。困ったことがあるとすぐ、亜林にい、亜林にい、と声をかけてくるのが常だった。苺の髪飾りをつけたツインテールが、彼女の不安を示すようにふるふると震える。
「昔の尺汰無理って、ジャクタ様の呪いがかかってるから絶対入っちゃ駄目なんでしょ?そんなところに入って死んじゃうなんて、そんなの呪われたに決まってるっておじーちゃんが!」
「待て待て待て待て、なんでそうなるんだ」
明らかにパニクっている麻耶を落ち着けようと、彼女の肩を叩く弟。同い年の少年達と比べても小柄な亜林だったが、いつも冷静沈着で精神年齢はだいぶ大人びている。こうして、年下の子達に頼られているのを見ると余計それを実感するな、と思う花林である。
「旧尺汰村が危ないってのは知っているけど、それって建物が崩壊しかかっていたり、道が整備されてなくて危ないって意味じゃないのか?何で呪われてるなんて話になるんだ。姉貴は聞いたことあるか?」
「いんや、まったく」
亜林に同意を求められ、花林は首を横に振る。
「ていうか、むしろ不謹慎じゃない?ジャクタ様って、うちの村の守り神様じゃないの。それが呪うだの祟るだの言ったらその方が罰当たりな気がするんたけども」
ジャクタ様。村中にお社があったり、年に一度神社でお祭りがあったりはするが――実際どういう神様なのかは全く知らない、というのが実情であったりする。というのも、偶像一つ見たことがないからだ。ただ、この村を大昔に救ってくれた神様らしい、とだけ聞いている。日照りで干ばつが起き、村の田畑で農作物が育たなくなって人々が困り果てていた時、村に降臨して救ってくれた神様なのだと。
だから年に一度、お祭りでジャクタ様に感謝と共にその年の実りや一部金品をお供えする。それによりジャクタ様の守りは頑強となり、また一年村に平和を齎してくれるのだと。
確かに、得体のしれない神様ではあるが。そのジャクタ様が呪うだの祟るだのなんて話は、生まれてこの方一度も聞いたことがない。
「でも、うちのばあちゃんも言ってたんだ!」
そんな麻耶に同意したのは、陸である。彼は野球少年らしい丸刈り頭の三年生だった。結構な怖がりで、肝試しのたびに泣いただの気絶しただのという話をよく耳にする少年である。彼も彼で、亜林のことを兄貴分と慕っている一人だ。
「そもそも旧尺汰村から移転したのは、前の尺汰村が呪われてイミチってやつになっちゃったからなんだって。だから、まだその土地には呪いが残ってて、絶対に入っちゃいけないことになってたんだって!」
「そりゃ初耳だ。でも、六十年も前のことなんじゃないの?そんなに長いこと誰も入らなかったわけ?」
「本来はケッカイに守られてるから、簡単に旧尺汰村には辿り着けないはずなんだって。それなのに、ユーチューバーの人達が入っちゃったからみんなびっくりしてるらしいんだよ。まるで、神様が……ジャクタ様がユーチューバーの人達をわざと招いて殺したみたいだって」
「んな馬鹿な」
思わず笑ってしまった。この村で生まれて十七年、そんな話は一度も聞いたことがない。花林の中でのジャクタ様は、ミステリアスなこの村の優しい守り神でしかないのだった。まあ、その存在そのものを話半分に聞いていたというのもあるのだが。
「その人達がやらかして呪われたってんならわかるけどさぁ。招いておいて殺すってのはどーなの。そんな馬鹿な話ある?……そりゃ、ホラーにおいてオカルト系ユーチューバーがやらかして、悪霊の封印を解いてしまいましたーってのはよくある話したけどさぁ」
最近のホラー映画やホラー小説ではまさに最適の存在だと言える。危ないところにもズカズカ入り込む余所者のモブ。プロローグで彼ら彼女らが死ぬパターンはなかなか多いと言う話だ。
「取材でもなきゃ、こんな辺鄙な村に東京の人が来ることなんてないんだろうけどさー。旧尺汰村って、山奥にあるんでしょ?危険な山道で滑落して死んじゃったとか、そういうこともあるんじゃないの?」
「……それはないわよ」
否定してきたのは意外にも、さっきまで花林の隣で沈黙してた深優だった。
「あたしのおばあちゃん、神社の人と知り合いなのは知ってるでしょ?そもそも旧尺汰村の様子がおかしいって言い出したの、神社の人らしいの。ていうか、今は禁域指定してる神社の人達も、危ないから旧尺汰村のあたりには全然近づかないのよね。それなのに、様子を見に行って死体を見つけたのはなんでだと思う?」
「え、まさかお告げがあったとかそういうの?」
「大体正解よ、花林。お告げっていうか、なんかこう旧尺汰村の結界が壊れたのを、神主さんが察知したんだって。それで、嫌な予感がして見に行ったら……ユーチューバーの女の人二人が倒れて死んでたっていうの。それも、旧尺汰村の、神社の境内で」
「マジか」
「何でユーチューバーだってわかったのかと言えば、たまたま彼女らの動画を見たことがある人がいたからみたい。メロンコップって名前のユーチューバーコンビだったみたいなんだけどね」
それが、と深優はわざとらしく声を顰めた。
「……二人共、体中から血を吹き出して死んでたみたい。目から、鼻から、耳から……ありとあらゆるところから大量に出血してて酷いことになってたって話。あまりに異様すぎる死体だからか烏も群がってなかったそうよ。……これが、普通の事故とかで死んだ死体に見える?」
全員に、沈黙が落ちた。それを破ったのは、麻耶の派手な泣き声である。その隣で、陸も涙を目に浮かべてふるふると震えていた。
「うわぁぁぁん!やっぱり麻耶たち呪われちゃうんだー!死んじゃうんだー!うわぁぁぁん!」
「おい、深優!」
二人の頭を撫でながら、亜林が非難するような目を深優に向ける。深優もちょっと雰囲気を出しすぎたと思ったのか、ごめん、と慌てたように頭を下げてきた。
「け、けど!あたし、嘘は言ってないの!ほんとにそう聴いたんだから!」
「だとしても、麻耶や陸の前で話すことないだろ。こいつらは俺よりずっと怖がりなんたぞ」
「ご、ごめん!」
慌てて謝り、亜林と一緒に少年少女を宥めにかかる深優。花林はその光景を見つめながら、まったく別のことを考えていた。
その死体の状況は確かに恐ろしい。場所が場所なだけに、呪いとやらを疑いたくなる気持ちもわからないではない。だが。
――その死体の状況って……伝染病とかの可能性もあるんじゃないの?ほら、出血性の病気とかも世の中にはあるって話だし。
怖いと思うと同時に、湧き上がったのは疑問。
――何で、村の大人の人達はみんな……当たり前のように呪い扱いしてるんだろう。病気かもしれないなら、ます保健所に連絡入れるべきじゃないの?
そもそも、ちゃんと警察に通報したのだろうか。正直、そこから疑念を抱かずにはいられないのだった。
***
その後、朝のホームルームにて先生からも説明があった。
旧尺汰村で、女の人二人が亡くなっていたこと。
二人共、その村の人ではなさそうだということ。
危ないから、旧尺汰村にはみんなは近づかないように、とのこと。――詳しいことは殆ど説明されず、ただあそこは危険だからと言う言葉ばかりが繰り返された。
「事故か事件かわからないので、今警察の人が調べています。皆さんも話を訊かれることがあるかもしれないので、協力してくださいね」
「……はーい」
話はそれだけで終わってしまった。なんだか消化不良だと思ったのは、花林だけではないだろう。その後すぐに出席が取られて授業が始まってしまったので、結局それ以上のことを先生に尋ねる暇はなかった。それ以上訊くな、という空気を感じたというのもあるが。
忙しない授業が終わり休み時間になれば、みんなも鬱々とした話題なんてすぐ忘れてしまうことになる。定期テストは、小学生組から高校生組まで共通のタイミングで行われる。テストから開放され、夏休みまで数日というこの期間。みんなにとっては自由に思い切り遊びたい時間でもある。人が死んだだの呪いだの、なんてこといつまでも考えていたくはないのだろう。泣いていた麻耶や陸も、休み時間になればケロッとした顔でドッジボールに興じていたのだった。
――まあ、私がウダウダ考えていても仕方ないかもだけどさー。
亜林に誘われて、花林も教室を出る。
――人が死んだにせよ呪いにせよ、結局大人に任せておくしかないって気はするし……。
靴箱で運動靴に履き替え、外に出たその時だった。
「んあ?」
花林は立ち止まる。
学校を取り囲むフェンス、その向こうに――黒い影が佇んでいるのが見えたのである。もうすぐ夏休みという七月の暑いこの時期に、似つかわしくない黒いコート姿の男だった。
――誰だ?見たことない顔だけど。
長身痩躯。腰まで届くほどの長い黒髪に、外国人のような青い瞳が特徴的だった。細身の体を黒い薄手のコートで包み、フェンスの向こうからぼんやりとグラウンドを見つめている。この距離でもわかる、美しい顔立ちの青年。恐らくは二十歳くらい。――あんなイケメン、一度見たら忘れることなどないだろう。しかし、狭い村の中で、彼の顔を見た記憶は一度もないのだった。
最近引っ越してきた人、なのだろうか。可能性もなくはない。引っ越しのトラックなんて見かけていないが、いかんせん住宅密集地以外に住んでいる人もいないわけではないからだ。
――それとも、東京とかから来たお客さんかな。車なら、来られない距離じゃないし。
不審者かもしれない、とは不思議と思わなかった。なんとなくでしかないが、彼からは悪意のようなものを一切感じなかったのである。むしろどこか、清廉な空気が伝わってくるとでも言えばいいだろうか。
彼の視線が、花林の方を向いた。花林がそちらを見ていることに気がついたらしい。
いっそこちらから声をかけてみるか、と思ったその時だった。
「姉貴ー?ドッジボールやんないのー?」
「あ、ごめんごめん。今行く」
遠くから亜林の呼ぶ声。そうだ、自分はドッジボールをするんだった、と今更のように思い出す。走り出す直前、もう一度彼の方を見た。黒服の青年は、興味をなくしたのかもう花林を見ていない。どこか目を細めて、校舎の時計の方に視線を向けている。
――不思議な人だな。
何故かこの時、花林は思ったのだった。彼とはまたどこかで出会う気がする、と。