目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

「その日、烏戸くんが購買に来てたから、何を買うんだろうって見てたの。タイミングが合ったから、声をかけようと思って。そしたら……」

 烏戸は昼の激戦区の中を潜り抜け、コロッケを一つだけ買って購買を出たらしい。購買のコロッケは燕野が紹介したので、気に入ったんだなー、とぼんやり思うだけだったが。

 廊下に出た烏戸が、長身のどえらい美人に声をかけられていて、何事!? と思ったのだ。

 まあ、燕野としては、「視えるんだ」という驚きもあったが。

「何が驚いたって、烏戸くんがその人のこと『麗華』って呼び捨てにしてたことだよ」

「ツッコミどころがありすぎるワ!」

 と、一旦全体的なツッコミを入れ、まずは、と川瀬が紡ぐ。

「下の名前&呼び捨て!?」

「まあ呼び捨てという意味では私のことも初対面から『燕野』だけども」

「苗字か名前かは雲泥の差ヨ!!」

 そうなのである。

 これは烏戸に対する偏見が多分に含まれている気もするが、あの無口で淡白そうなクール系イケメンが、軽々しく女子を下の名前で呼ぶようには思えない。

 ということは自ずと「その女子とは深い仲」という憶測に至るわけだが。

「で、女子の名前が『麗華』って? まさかまさかとは思うケド、麗華って『白鷺麗華』サマ?」

「あんな長身ポニテ脚長美人、他にいないと思うよ……」

 相手の白鷺麗華は学内では有名人である。所謂「学校のマドンナ」的存在であるのだ。

 容姿がいいのはもちろんのこと、成績優秀、文武両道、家柄もいいときている。実際に生徒会役員である燕野からしても、白鷺が役員でないことだけは、あまりにも不可解だった。

 白鷺家は由緒正しい貴族の家系ということらしい。白鷺の家に生まれた者は、医者や会社経営者、舞台役者など華々しい経歴を持ち、世で活躍している。噂によれば、血筋に神様の血が混ざっているということで、そういう意味でも「貴き」存在であることに、誰もが納得せざるを得なかった。

 川瀬のように「様」付けで白鷺を呼ぶ人間も少なくない。

 そんな白鷺と、烏戸が並んでいたのを見て、燕野は妙に納得してしまった。あまりにもお似合いの美男美女である。

「手の届かないタイプの人は、手の届かないタイプの人同士で馴れ合うものなんだなって……すごく仲良さそうなのを見て、納得しちゃったのを、よく覚えてる」

「絵に描いたような美人と絵に描いたようなイケメンだもんね。でもネ、つぐみん」

 ん、と川瀬の方に目をやると、川瀬はおもむろに燕野の頬をつまみ、むにむにと引っ張った。

「つぐみんだってじゅうぶんにかわいいワヨ!!」

「やめれ、やめれ、ひっぱやないれ!!」

 川瀬はこのこの、と燕野の頬っぺたをむにむにと弄り倒し、戯れる。引っ張られる頬が少し痛いが、少し楽しいような気もした。燕野は一人っ子だが、まるで兄弟と遊んでいるようだ。

 といっても、燕野と川瀬は同い年なのだが。川瀬からは兄弟に対するコミュニケーションのような優しさを感じる。

 そういえば、弟がいるのだったか。

「そんなこと言って、私なんかより川瀬さんの方がずっとかわいいですよ」

「ふふん! そりゃ、美佳だもん!」

 一人称が自分の名前だったり、噂話を信じていたり、川瀬は結構子どもっぽいところが多い。自分の容姿の良さに自信を持ち、胸を張る様子もその象徴だが、いたずらに子どもっぽいだけではなく、何か芯のあるように感じられるから不思議だ。

「麗華サマが相手でも、美佳は簡単に恋を諦めたりしないワ! なんてったって、初恋ですモノ!!」

「でも、白鷺さんと烏戸くん、下の名前で呼び合ってたよ? それくらい親しいなら、勝ち目ないんじゃ……?」

「ソレよ」

 謎なのヨネ、川瀬は宙でくるりと人差し指を回す。

「やっぱり、お近づきになるには、周辺人物を手がかりにするのがイイと思うの。クールでミステリアスで、自分のことをあまり晒さないタイプのイケメンが下の名前で呼ばせるなんて、相当心を許してる証拠ヨ! ソコに恋愛感情があるかどうかはさておき、仲良くなるのに外堀から埋めていくのは、とても効果的だと思うノ!」

 おお、と燕野は唸った。見た目や口調も相まって、幼い印象の強い川瀬から、予想より頭脳派な戦略が出たのだ。

 恋愛のイロハなんて燕野にはわからないが、ラブコメではよくある表現である。外堀を埋めて、相手の逃げ道を塞ぐ戦法。わりとなりふりかまっておない感じがするので、川瀬の本気度が伺える。

 それはそれとして、また別ベクトルの問題があるが。

「外堀を埋めるのはいいとして……あの白鷺さんと仲良くなるの? なかなか勇気がいると思うんだけど」

「ウン! でもこういうキッカケでもないト、麗華サマに話しかけるなんてできなくない?」

 確かに、と思ってしまった。それくらい「白鷺麗華」という存在は高嶺の花なのだ。

「憧れの人っていう意味ナラ、烏戸くんに話しかけるのも、麗華サマに話しかけるのも、そう変わらないワヨ。思い立ったらすぐ行動! 女は度胸ヨ!」

 燕野の記憶では、「男は度胸、女は愛嬌」だったような気がするが、細かいことはいいだろう。やる気になっている川瀬にわざわざ水を射す必要もない。

 それに、烏戸が「視える」人物として、白鷺のことは燕野も知っておきたかった。烏戸と仲が深いということは、当然、「怪異としての烏戸」についても詳しいはずだ。燕野は烏戸に特別な感情を抱いているわけではないが、毎日顔を合わせていれば、その人となりが気になりもする。

 彼は怪異ニンゲンじゃない。だから、関わりすぎない方がいい。踏み込みすぎない方がいい。それはわかっている。それでも、無関心でいるのが無理だから、覗くのだ。

 燕野は川瀬と特段仲がいいわけでもない、というのは、前述した通りである。けれど、ここまで話し込んで、「全く興味がありません」「無関心です」なんて言い切れるほど、燕野の神経は太くない。川瀬の現状片想いの行く先は気になる。野暮だとわかっていても、関心を割かずにはいられない。おそらく、これと烏戸を知りたいという感情はほぼ同一のものだ。

 烏戸がいくらイケメンでも、性格が終わっていたら、「さすがに恋人にするのはやめときな」くらいの警告はしたい。いや、烏戸の性格が終わっているとは考えたくないが。

「サ、そうと決まレバ、早速行くヨ!」

「うぇ? わたし!?」

 どこに、とは聞かない。白鷺のところだろう、というのは、話を聞いていれば想像がつく。

 が、自分が連れ出される理由がわからない。けれど、腕を振り払ってまで拒否する理由がないので、ずるずると引きずられていく。

 向かうのは二年四組の教室。二年四組は、白鷺のいるクラスだ。

「え、ちょ、ちょちょ、私も!?」

「さすがに、麗華サマに一人で話しかけに行けるほど肝は据わってないヨ」

「そうかなぁ!?」

 燕野がコミュ障だとしても、川瀬のコミュニケーション能力には目を見張るものがある。初対面の人間にすら臆することなく話しかけるタイプの人間だ。ノリはギャル。

 それが、人がついていないと話しかけに行けない、なんて、にわかには信じ難かった。

 その信じ難さを加速させるように、川瀬はからりと躊躇いもなく二年四組の戸を開ける。昼休みなだけあって、賑わいを見せていた教室だが、外からの訪問者に興味を惹かれたようで、教室内のほとんどの視線が一斉に二人に注がれる。

 燕野は奥歯を噛みしめていなければ、悲鳴が漏れていたであろうほどに狼狽えた。誰にも自分への悪意はない、とわかっていても、大勢の視線が一気に自分の方を向くという現象には、怯えずにいられない。

 そんな中、なんでもないように、川瀬が首を傾げた。

「白鷺麗華サマはいらっしゃる?」

 ド直球だ。

 が、何か策略があるわけでもないのに、遠回しな言い方をしても仕方がない。川瀬の言葉選びは正しい。

「ああ。私はここだが」

 涼やかな声が、教室内のガヤを突き破って燕野たちに届く。声のした方を見ると、すらりとしたスタイルの少女が立ち上がったところだった。

 ぎっという椅子が擦れる音を置き去りに、全ての視線を魅了するような優れた容姿を備えながら、すたすたと少女は歩く。少し長めのスカートの裾がひらひらと揺れる様は、その人物の歩き方を美しく見せた。

 名は体を表す、とは一体誰が言ったことだろうか。本当にその通りな人間が存在するものなのだ、と感銘を受けてしまう。「麗らかな華」——華美なその名に相応しい端麗さを持つのが、白鷺麗華である。

 燕野は遠目でしか白鷺を見たことがなかった。家柄のこともあり、燕野は白鷺に近寄りがたさを感じており、烏戸と話していたときも、とても話しかけに行こうという気にはなれなかった。高貴なものを畏れる感情——そう、例えば神に対して抱く畏敬の念。それに近い印象を燕野は白鷺に感じていた。

 手を伸ばせば届く、半径一メートル圏内に入った白鷺麗華は、噂に聞くよりずっと目映く、美しい人物だった。どうして話しかけようなんて思ったんだろう、と後悔する程度には、燕野の畏れの感情は強い。コミュ障なのもあるだろうが。

 本当に私、必要だったかな、と感じたが、川瀬を見たところではっと気づく。見間違いでなければ、いつも自信に満ち溢れている川瀬の表情は固く、唇が微かに震えていた。

 握られていた手も、汗が滲んでいることがわかる。川瀬も緊張しているのだ。

「麗華さ……白鷺さん、ちょっとお話ししたいことが」

「お、三組の川瀬美佳じゃない。噂は聞いてるよ」

「はえ!?」

 白鷺の言葉に、びくんと肩を跳ねさせる川瀬。思いもよらず、白鷺から認知されていることに感動したのか、川瀬の唇が別な意味で震えだす。

 そんな傍ら、燕野は思った。——噂って、一体どんな?

 次いで、白鷺が燕野に目を向ける。

「ん、貴女は?」

「は、はじめましちぇ……んんっ、ごほん。はじみぇまし……はじめまして! 燕野つぐみと申しましゅっ」

 コミュ障を遺憾なく発揮し、噛みまくる燕野。白鷺は失笑、川瀬は力の抜けたように笑う。場は和んだが、燕野は土に埋まりたくなった。

 けれど、その奥で、無視するには大きすぎる違和感が存在を示す。

 ——特徴的ではあるが、校内で有名というわけでもない川瀬を知っていて、人前に出る機会の多い燕野を知らないという違和。

「ふふっ、ああ、ああ、貴女がつぐみさんね。なるほどなるほど」

「……?」

 フレンドリーね、と川瀬が耳打ちしてくる。烏戸のことも「通」と呼んでいた白鷺。もしかしたら深い意味はなく、彼女はそもそも、人を下の名前で呼ぶ主義なのかもしれない。

 ただ、白鷺の口調に引っかかりを覚える。おかしなことを言われたわけではないはずだが……

「それで、私に用って?」

「あ、廊下行きマショ」

 さしもの川瀬も、突き刺さる視線が気になったのか、廊下への退避を選択した。昼休みも終わりに近づいてきたからか、廊下の人影はまばらだ。

「単刀直入に言いマスネ」

 川瀬は強く、真っ直ぐな光を宿した眼差しで、白鷺に訊く。

「白鷺さん、生徒会室の烏戸くんとは、どういう関係なんですカ!?」 

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?