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川瀬美佳と燕野は顔馴染みである。幼馴染みといってもいいくらいの長い付き合いである。何せ保育園から小中高と一緒なのだ。多少馴れ馴れしいのも致し方ないと言えよう。

 が、互いにかなりフランクな仲……というわけではない。川瀬が燕野を「つぐみん」と呼ぶのに対し、燕野はかしこまった様子で「川瀬さん」と呼ぶ。川瀬の馴れ馴れしさは付き合いの長さによるものではなく、単に川瀬の性格であり、対して燕野のよそよそしさは川瀬と仲が悪いということではなく、これもまた燕野の性格なのだ。

 仲良くなくとも、長い付き合い。互いの特性を理解し、噛み砕ける程度の関係は築いている。だからこそ、燕野は川瀬の発言にどう対処すべきか悩んでいた。

 何故なら、烏戸は人間ではないからだ。烏戸が鳥崎高校の七不思議の存在であることは先輩から聞いて知っていたことだ。その先輩の忠告を忘れたことはない。

「『視える』ヒトって、それだけで利用されちゃうカラ」

 自分は「視える」人間だから、自分の身を守るために、烏戸の存在を人に話していない。普通の人間には烏戸が見えないはずだ。だから、烏戸の存在を知らないはずで……川瀬美佳は、明らかに烏戸を「視認」している。それは川瀬が「こちら側」であることを示していた。

 そんな「こちら側」の川瀬をどう取り扱ったらいいのか、燕野は判断しかねる。燕野の性格上、無碍にはできない。

 が。

「ねえねえ、つぐみん。あのコが学ランなのってなんか理由あるの?」

「めっちゃイケメンなのもそうだけど、クールな感じがドストライクなの! 生徒会室にいるってことは、つぐみん話したことあるんじゃない?」

「っていうかー、つぐみんさっきまで一緒にいたでしょ? 絶対話してたよね? ね?」

 という感じで、かなりガツガツくる川瀬のテンションについていけないのだ。

 会話の温度差から充分にわかるだろうが、お喋り好きのギャルである川瀬とおっちょこちょいで内向的な真面目タイプの燕野とでは他者と接するスタイルに大きすぎる差がある。その差を擦り合わせ、歩み寄るほど仲良くないのもみそだ。

 燕野は基本、事なかれ主義だが、川瀬のように押して押して押しまくるタイプの人間には折れやすい。抵抗するのが苦手なタイプなのだ。

 川瀬のようなタイプは、一度拒否すると、大袈裟なまでにしょぼんとするので、心が痛むのだ。その後すぐに嘘のようにけろっとしているのだが、燕野は一度見た悲しげな顔をいつまでも引きずってしまうので、弱味としてつけ入られやすい。

 まあ、川瀬美佳という女子は「弱味を握る」などというこすい真似はしないのだが……

「ねえ、つぐみんってばぁ~」

 すぅっと川瀬から目を逸らす燕野。だが、川瀬は両手で燕野の両頬を押さえ、くいっとこちらを向かせる。燕野は唇を引き結んで、どうにか最後の抵抗を試みていた。

 半ば諦めの境地である。それでも口を開かないのは、かける言葉に悩んでいるからだ。

 見えてはいけないものが見えていると注意すべきか、普通に烏戸のことを話してしまうか。燕野は事なかれ主義なので、なるべくなら「変なやつ」と思われたくない。だから「視える」という話はしたくないのだが……

 烏戸の顔を思い浮かべる。烏戸本人にはまだ聞けていないが、烏戸は七不思議の存在だと聞いた。烏戸自身、あまり自分のことを話さないし、本当は秘密にすべき存在なのではないだろうか。

 誰かに烏戸のことを勝手に話して、烏戸に嫌われたりしないだろうか、という気がかりがあった。烏戸はあまり怪異っぽくない。燕野が烏戸の何を知っているのかと言われればそれまでだが、カレーパンもメロンパンも知らず、美味しいと無垢に食べる少年を「人間らしい」「微笑ましい」以外の感情で見たことがないのだ。

 そんな人物と普通に接することができなくなるのは、単純に嫌だった。

 が、気づく。烏戸の名前を川瀬に教えなくとも、「七不思議だ」と話してしまえば、それは「烏戸のことを話す」に該当してしまう。つまり、いずれにせよ、詰み。

 観念するしかない。

「……烏戸くんのこと?」

「カレ、そういう名前なの!?」

 悩んだ結果、七不思議云々よりも、表面上の情報を伝えることにした。

 というのも、学校の七不思議というのには「お約束」があり、「七不思議の七つ目を知ってはいけない」というものがある。鳥崎高校においては、それが少し変化していて「七不思議を七つ全部知ってしまってはいけない」となっているのだ。

 つまり、七不思議を七不思議と認識していなければセーフ、と燕野は苦し紛れに考えたのである。それに、川瀬が「視える」自覚を持ってしまうのもいいことではない、と思った。

 お喋り好きの川瀬ならきっと、自分が人とは違うという事実を話してしまう。それなら、その事実は隠しておいた方がいい。

 まあこれも、遅かれ早かれ気づかれてしまうような気がしないでもないが……配慮しないよりはマシだろう。

「フルネーム、フルネームは!?」

「……烏戸通くん。それ以外のことはほとんど知らないよ?」

「いいわあ。謎のヴェールに包まれたイケメン……滅茶苦茶滾る……!! ちなみに好きな食べ物は?」

「今のところカレーパン?」

「かっわいい!!」

 答えてからはっとする。知らないと言ったそばから答えてしまった!

 案の定、川瀬にも迫られる。

「なになにィ? 知らないとか言ったのは照れ隠しだったリ? 好きな食べ物把握してるとは、お主もやるのぅ」

「ち、ちが、そんなんじゃないって!!」

 燕野は両手を振って否定するものの、川瀬は「照れちゃってこのこの」とつついてくる。

「気があるんじゃないの? なんで好きな食べ物なんて知ってたの?」

「ええと、なんかあんまり食事取ってる様子がなかったから、私のお昼分けてあげてたら、面白いように食べたので……」

「わっ、わわわ! つぐみんってば大胆! っていうかぁ……」

 ころころと表情の変わる川瀬。その視線が今度はつうっと燕野の体のラインを撫で、やがて、へその辺りで止まる。

 なんだろう、と若干の不安を抱きながら川瀬の動向を伺っていると、おもむろに、わっと腹に手が伸びてきて、むにむにとまさぐられる。へそ回りの肉付きを確認し、脇腹を撫でてくる手はちょっとくすぐったい。

「ちょ、ちょ、川瀬さん、何を」

「……さい……」

 腹を撫で回す川瀬があまりにも真顔で怖くなっていると、川瀬は怒気を宿した目をゆらりと上げて、燕野を見据えた。

 思わずひっと声が出る。なんで怒られているのかわからないため、混乱と動揺が燕野を支配した。

 満足したのか、燕野から手を離すと、ぐっと拳を固め、川瀬は叫ぶ。

「もっとちゃんと食べなさい!!」

「ほええ!?」

 お調子者系統のギャルから母親のような言葉が飛び出したことに、驚きを禁じ得ない。

 燕野の驚愕はさておき、川瀬は目くじらを立てて吠える。

「花の乙女がこんなヒョロガリでどうするの!? 男のコと年頃らしく青春したいナラ、もっとちゃんとしっかり食べて、健康にして、キレイにして、カワイくなるのヨ!? メロンパンやカレーパンって、菓子パン惣菜パンの類でしょ!? お昼それだけなの?」

「え、ハイ。あ、あと、抹茶オレとかいちごオレとかつけます」

「それで足りるワケあるかバカモン!!」

 身長は伸びなくなったかもしれないけど、私たちはまだまだ立派な成長期だの、若いうちに栄養バランスの取れた食事で体を作っておかないと、後々苦労するのは自分だの、本当に母親みたいな心配事の数々を並べ立てる川瀬。最初はその勢いにドン引きレベルで怯えていた燕野だが、その本気度合いを感じ取り、なんだかほっこりしてきた。

「ふふ、川瀬さんって思ったより家庭的で、お母さんみたい」

 素直に思ったそのままを口にすると、言葉の嵐を繰り出していた川瀬がぴたりと止まる。

 燕野が顔を見ると、川瀬はへにゃ、と力の抜けたように笑った。

「ウチはね、両親がものっそい放任主義で。まあ、共働きで忙しいってのもあるんだけど。父方のおばあちゃんに面倒見てもらったの。だから美佳、こう見えておばあちゃんっ子なんだヨ!」

 テヘペロ、とポーズを決める川瀬。

 共働きで放任気味の親など、今の時代、珍しいことではない。その分を祖母が子どもの面倒を見る、というのはやや古めの習慣な気もするが、こうして瑞々しい感性の子どもが育っているのだ。案外、教育としては間違っていないのかもしれない。

 かくいう燕野の両親も放任気味であり、川瀬の話を聞いて、少し羨ましいと思う部分があった。

 燕野はドジで、自分を肯定された経験が少ない。生徒会役員となっても文句を言われない程度に優秀な人間なのだが、なにぶん人から褒めて来られなかったため、自己肯定感は地の底を這っている状態だ。

 川瀬のような、自分に自信や誇りを持ち、胸を張れる人間を羨ましいと思うし、彼女がそう育ったのは、自分を見てくれる人間、肯定してくれる言葉を多くかけられた経験が影響するのだろうとわかるから、いいなあ、と思う。

 両親が忙しいのはわかるし、燕野も高校生だ。承認が欲しいと駄々を捏ねるつもりはない。それでも、眩しいものは眩しくて、手を伸ばしたくなると、無い物ねだりをしてしまうのだ。

「つぐみんはおじいちゃんおばあちゃんいないの?」

「うん。仲が悪いのと、早逝したのとで、私は全然……」

「ソッカ……」

 少ししょぼんとする川瀬。が、すぐ切り替えて燕野にずいっと顔を寄せる。

「ソレはソレとして、つぐみんマジでもっとちゃんとした食事しな? 購買ではお弁当も売ってるし、烏戸クンとイチャイチャするなら、お弁当のおかずわけあいっこの方がソレっぽいワヨ!」

「だから! 烏戸くんとはそういうのじゃあーりーまーせーん!!」

 そもそも烏戸くんを好きなのは川瀬さんの方ですよね、と燕野が見ると、川瀬はとても無垢に笑った。

「だってあんなイケメン、好きにならない方がおかしくない!?」

 それはそう。

 燕野は惚れた腫れたへの興味関心が少ない方ではあるが、それでも容姿の美醜感覚くらいは持っている。普通の感性を持つ人間なら、誰だって烏戸の容姿を「美」の側に分類するはずだ。

 派手顔というわけではなく、日本人らしい素朴な面差しだが、確かに整っていて、雰囲気も落ち着いている。目付きは悪いが、正体不明な感じによるミステリアスさも相まって、烏戸はかなりの美男子に分類されると、燕野でさえ思った。

 容姿のいい人間を嫌いなやつなんていない。いたとして、それはおそらく容姿のよさを凌駕するほどの性格の悪さか何かがあるのだろう。

「烏戸クンも烏戸クンだよ! 食べ盛りがカレーパン一個で満足できるワケないデショ!!」

「あはは、それこそお弁当でも作ってあげたら?」

「それよ!! つぐみん天才!!」

 やっぱ胃袋掴むのが大事よねー、と呟きながら、弁当の献立を決めていく川瀬。ふと気になって、燕野は聞いた。

「川瀬さん、料理できるの?」

「人並みにね。弟は美味しいって食べてくれるケド、パパには食べずに捨てられちゃうのヨネ」

「え、ひどい」

「初めて食べたとき、口に合わなかったみたいでサ」

 我流じゃダメね、なんて笑う川瀬。何歳のときの話かは知らないが、初めての料理が我流なのはなかなかにチャレンジャーである。

「ちなみに何作ったの?」

「卵焼きとお味噌汁よ。味噌汁はお豆腐とねぎ」

 小学生の家庭科で習うような比較的シンプルな献立だ。不味くなるとしたら、砂糖と塩を入れ間違えるといった感じのことだが。

「味つけは大丈夫だったはずなのヨ。おばあちゃんと一緒に味見したし、弟の他に、ママも一緒に食べて、何も言われなかったんだケドな~」

 不穏な話だな、と思いながら、燕野は牛乳のパックを開ける。人の家庭にどうこう言うのはあまり良くないのだろうけれど、何かこう、川瀬の両親には最近よく聞く毒っぽさを感じるというか。

 変なことにならないといいけど、と考えていると、川瀬は一人で盛り上がり、おばあちゃんからは揚げ物も褒めてもらえるのよ、なんて自慢を始める。

 揚げ物? と脳内で何か引っかかって、途端にあっと思い出す。

「そういえば、烏戸くん、ものすごい美人と一緒にいたところ見たことある!!」

 燕野の声に、ぴたりと川瀬の話が止まる。

 けれど、止まったのは、ほんの少しのこと。

「詳しく聞かせてちょうだい!」

 好奇心旺盛な目が、燕野に迫った。

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