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 鳥崎高校の七不思議の一つに「誰も知らない生徒会役員」というのがある。

 男子生徒で、黒髪黒目、散切り頭、鳥崎高校の大昔の制服である学ランを着ているのが特徴だ。季節問わず、彼は詰襟の上着を着込んでおり、真夏でも汗一つ流すことはない。その姿は異様なはずなのに、彼はあたかも自分は平凡であるかのような自然体でいるので、「怪異である」と認識するのに時間がかかってしまう。

 七不思議と言われているものの、彼自身が人間に害を及ぼすことはない。彼が怪異であるのは明らかに「人間ではない」という一点のみと言えよう。

 昼休みの生徒会室に彼はいる。


 きーんこーんかーんこーん、とチャイムが鳴る。烏戸は見るともなしに天井を見上げた。時計の短針は十二を指しており、正午を過ぎていることがわかる。つまり、昼時だ。

 お察しの人物も多いことだろうが、烏戸は普通の人間ではない。故に、食事を摂らなくても、生きてはいける。だから、わざわざ血で血を洗うような争いの起きる購買に行くことなどしない。

 時計の秒針が、カチカチと忙しなく動き、やがて長針がかちり、と四を指した頃、烏戸は出入り口の扉を見た。それを見計らっていたかのように、からからと扉が開く。

「あ、烏戸くん。今日も来ていたんですね」

「燕野」

 胸元のリボンタイが揺れる。瑞々しい緑色をしたタイは、燕野つぐみが二年生であることを示していた。

 夏らしく、ペールカラーであつらえられた制服は少し青みを帯びており、涼しげだ。ちなみに、一年生が赤のリボンで、三年生が青のリボンである。男子生徒はネクタイの色で見分けるが、昨今の夏は暑いため、タイをしていない生徒の姿も目立つ。

 そんな中、ありとあらゆる制服の中でも暑いことで有名な詰襟を着込んでいる烏戸の姿は、やはり異様なのであるが、本人があまりに涼しげなので、燕野も最近はあまり気にならなくなった。

 それに。

「あ、燕野チャーン! 毎日ご苦労サマ。今日も生徒会室の掃除してくれたの?」

「あ、会長」

「いつもありがとネ! じゃ、ワタシは行くから!」

「はい。お疲れさまです」

 風のように去っていったのは、生徒会長である。しっかり者であるのだが、まめに生徒会室に顔を出す代わり、あまり滞在はしない。挨拶もすれ違う一人一人にするような礼儀正しい人物で、燕野が尊敬し、目標とする人物の一人だ。

 そんな会長が、烏戸には一切声をかけることはない。烏戸はどんな生徒よりもずっとずっと、生徒会室にいるのに。動いて、喋って、燕野が声をかければ返すのに。会長の動きも、目で追っているのに。

 ——まるで、存在しないみたいに。

 一年のとき、庶務として生徒会役員になったときから、燕野は烏戸の存在を知っている。だが、烏戸は生徒会の活動に一切関与しないのに、生徒会室にいずっぱりだし、生徒会役員も、誰一人としてそれを咎めることはない。

 さすがに不審に思って、役員の先輩に探りを入れたところ、先輩はあっけらかんと「それ、人間じゃないね」と言ってのけた。


「その子と話はした?」

「はい。生徒会の人だと思って、名前を聞いたら、『烏戸』って名乗ってました」

 カラスド、と先輩は名前を反芻しながら、髪の毛を弄っていた。毛先をくるくると指に巻きつけて、弄ぶ。

「カラスドね。うん、それ、確実に鳥崎ウチの七不思議だわ」

「な、七不思議って、怖い話の……?」

「ん、合ってる合ってる。まあ、カラスドなら害はないと思うケド、他の人に話さない方いいよ」

「な、なんでですか?」

 燕野の質問に、先輩は指に巻きつけた髪の毛をぱっと離す。パサついて、色が抜けて、いたみのある髪の毛がぱらぱらと落ちていった。

「『視える』ヒトって、それだけで利用されちゃうカラ」


 燕野にそれまで自覚も経験もなかったが、どうやら燕野はソウイウモノが視える人間だったらしい。自分を特別と思ったことのない燕野が、この事実を人に言い触らすことはなかった。ただ、先輩の意味深な発言が、ずっと頭の中に残っていた。

 烏戸がソウイウモノだとして、自分に普通であるように接するのは何故だろうか。燕野はそのことをずっと疑問に思っている。

 ただ、厄介事になってほしくないのも事実だ。だから踏み込めないでいる。

「烏戸くんは、お昼食べました?」

「食べてない」

「よかったら、購買でパン二つ買ったから、食べませんか?」

「食べる」

 踏み込めないながらに、蔑ろにもできないので、こんな会話を交わすようになったわけだが。

 想像していたより、烏戸は人懐っこかった。パンを分けるようになってから、燕野は購買でパンを二つ買うようになったのだが、烏戸は警戒することなく、パンを食べる。見た目年齢相応にがつがつと食べるので、最初の頃はかなり驚いた。今は、なんだか餌付けしているみたいで申し訳ない気持ちになる。

 燕野は二つのパンを並べる。ピザトースト風のパンとフレンチトーストである。烏戸は迷わず、ピザトースト風のパンを拐っていった。

「烏戸くんは、ピザって食べたことありますか?」

「ない。知ってはいる。確か外ツ国——イタリアの食べ物。存在は知っている。詳しくないが、パスタの文化があるのと同じ国だ」

 正規の制服を着ていない、推定怪異の烏戸がどれくらい常識的な知識の持ち主か、聞く時間が燕野は少し楽しかった。ハードカバーの難しそうな本を読んでいるところばかり見ていたから、烏戸を近寄りがたい存在のように感じていたが、話してみると、案外抜けているのだ。

 例えば。

「パスタといえば、こないだのナポリタンドッグは美味しかった。イタリアってすごいな」

 というような。

 燕野はくすりと笑う。

「烏戸くん、パスタはイタリアでよく食べられるものだけど、ナポリタンは日本の食べ物なんですよ?」

「なぜ」

「日本って、案外海外の料理を亜種化させますから……ほら、カレーとかみたいに」

 話をしてわかったが、烏戸は俗に言うところの「頭でっかち」な存在で、知識はあるが、実物を見たことがないという偏りのせいで、食文化に関しては特にズレたところがある。

 カレーも、インドの食べ物ということは知っていたが、日本のカレーとインドのカレーの違いは知らなかった。ナンを食べさせたら、驚いていたことがあったっけ、と思い出し、燕野は微笑ましくなった。

「まあ、確かに。メロンパンもカレーパンも外ツ国では無いと聞いたときは衝撃的だった」

 こういう側面に親しみを感じたりする。人間じゃないことは察しているし、散々言われてきたが、だからといって避けるには、烏戸は親しみやすく、人間味に満ちていた。

 ただ、少し引っ掛かることもある。燕野は烏戸にメロンパンを食べさせたことはあるが、カレーパンを与えたことはない。つまり、烏戸は燕野以外からカレーパンの知識を得たのだ。もちろん、自分で購入した可能性もあるが……この学校の購買で、カレーパンを見かけたことはなく、烏戸を校外で見かけたこともないので、違和感が色濃く自己主張をする。

 燕野の他にも、烏戸にパンを分け与えるような存在がある、ということが、心に引っ掛かった。

 いいことじゃないですか、と燕野は口の中をフレンチトーストでいっぱいにする。人間でないとしても、烏戸が孤独じゃないのは、いいことじゃないか。人間の姿をしていて、心を持つ存在なのなら。

 誰とも知れない誰かに、嫉妬しているのだろうか、と燕野は自分に問いかけ、苦笑が込み上げた。嫉妬云々を主張していいほど、烏戸と仲良くなれた気はしない。

「カレーパン、好きなんですか?」

「すき?」

 まるで、知らない異国の言葉であるかのように、烏戸は「好き」という単語をおうむ返しにした。燕野はふっと冷や水を浴びせられたような気分になる。

 人間らしくて、親しみを感じられた烏戸は消え、冷たくて、触れることも、手を伸ばすことも躊躇われるような神聖さや忌避感を纏う存在に、烏戸が「切り替わった」のを肌で感じてしまったから。

 あ、人間じゃないんだ、と思ってしまうと、無性にそのことが悲しくて、自分が与えた親切が虚しくなる。

「……すまない。自分の好みについて、考えるほど造詣は深くないんだ。美味しい、美味しくないくらいの感覚しかない」

「ちゃんと食べた方がいいですよ」

 烏戸の言葉から、烏戸が普段から、あまり進んで食事を摂らないことがよくわかって、燕野は切なくなった。どう足掻いたって、彼は人間ではないのだ、と見せつけられているようで。

 そんな彼に言うべき言葉として正しいのかは全くわからないが、燕野は彼が人間でないことに気づいていないフリをする。

「烏戸くんだって、食べ盛りの学生なんですから、ごはんはいっぱい食べた方がいいですよ」

「そうだな」

 烏戸も否定はしない。人間の中に溶け込むためには必要なことだとわかっているのだろう。慣れを感じて、それはそれで胸が痛む。

 何か続けたくて、続けるべきで、悩んでいると、烏戸が机に置いていた二つ折り携帯が震え始める。烏戸は冷めた目で電話を見つめると、すぐに応答した。

「よしのりか。ああ。……すぐ? 珍しいな」

 よしのり。よく烏戸が口にする名だ。下の名前で呼ぶなんて、仲がいいんだろうな、と燕野は思う。実際、「よしのり」と話しているときの烏戸は、声色が少し優しい。

 通話時間は短く、内容は淡白なものだが、それでも、「よしのり」に応じる烏戸の声色の変化はわかりやすいものだった。よく考えなくても、烏戸と電話をする仲ということはただの人間ではないだろう。少し、距離を感じた。

「悪い、用事ができたから出てくる。燕野」

「はい、いってらっしゃい。……よしのりくん、具合でも悪くしたんですか?」

 なんでもない疑問を燕野が上らせると、烏戸は虚を衝かれたような表情をしてから、頷いた。

 燕野はしまった、と思う。詳しい内容まで把握しているわけではないが、電話相手の名前を把握しているということは、それなりに聞き耳を立てていたということだ。気持ち悪いと思われてしまったかもしれない。

 が、烏戸はそれ以上の感情を表に出すことはなく、ぽん、と燕野の肩を叩く。

「戸締まりをしっかり頼む」

「あ、はい」

 そうして、烏戸が生徒会室を出ていった直後、けたたましい音を立てて、生徒会室の戸が開けられる。すたんと扉が弾かれる音が頭に響いて、燕野は顔を歪めた。

「つぐみんつぐみん!」

 やけに馴れ馴れしい女子生徒の声がした。燕野のことを下の名前で呼ぶ生徒は少ない。見ると、赤みが強めに残る色の抜けた髪をツインテールにした生徒が、燕野に飛びついてきた。

川瀬かわせさん?」

「つぐみん、今出てった学ランの男のコの名前教えてっ!! 美佳みか、一目惚れしちゃったの!!」

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