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 古木常よしのりは狐の神に愛された「愛し子」と呼ばれる存在。現在は公衆電話の「こっくりさん」として怪異のような生活を送っているが、元人間である。

 神に愛されてしまった人間は、通常世界から隔離され、肉体の時間が止まる。現実世界に重なって存在する神の持つ特別な空間に暮らし、その恩恵に報いるため「お役目」を果たしながら生きるのだ。古木常の「お役目」が「こっくりさん」だった。

 怪談として有名な「こっくりさん」は「狐狗狸こっくり」という動物神に由来しており、古木常も動物神に愛されているため、「こっくりさん」を名乗っている。願いを叶えることができる力は狐の神の神性によるものだ。

 頑張ってね、と残し、白鷺が帰った後、まだ夕暮れの中を古木常と烏戸は歩いていた。古木常の大学ノートに記された記録を元に、依頼人の女の子の家を訪ねることにしたのだ。

「依頼してきたのは守屋小学校の四年生の女の子です。結構近所に住んでいますね」

「よしのりは会ったことがあるのか?」

「いいえ。その子、あんまり学校に来ていないみたいなんですよ」

 すたすたと住宅街を歩いていく。蝉の声がなくなったせいか、やけに静かに感じる。日もだいぶ傾いて、向こうの空が薄暗くなってきていた。

 カアカア、とカラスが鳴いて、飛んで行く。バサバサと翼を羽ばたかせる音が、忙しなかった。

「不登校か」

「はい。ただ、不登校の期間はそんなに長くありません。おそらく、お父さんとお母さんの力関係が変わってから、学校に来られなくなったんでしょう」

 理由はいくつか考えられる。学校に来られないほどの怪我を負っているか、親が家庭内暴力の隠蔽のために休ませているか、はたまたただの育児放棄か。

 いずれにせよ、依頼人の置かれた状況は口が裂けてもいいとは言えない。

「それで、『いなくなってほしい』というのは、どのように叶えるつもりだ?」

「神隠しにします」

 烏戸の問いに、古木常はさらりと答える。さあ、と生ぬるい風が、二人の間を吹き抜けていく。

 「いなくなってほしい」という願いの解釈の仕方はいくつかある。「目の前からいなくなってほしい」や「どこか遠くに行ってほしい」などの他にも、こういう怪談でありがちな「この世からいなくなってほしい」ということにもできる。それぞれ、対象の人物が「いなくなる」という結論は同じだが、方法は異なる。

 古木常の言った「神隠し」という手法は敢えて言うのなら「目の前からいなくなってほしい」に一番近い。

 烏戸は古木常の選択に少しだけ表情を曇らせた。が、古木常の選択を尊重するのか、何も言わない。曇った表情もすぐ元に戻り、烏戸を見ていなかった古木常は何も気づいていない。

「あ、この家ですね」

 深井ふかい、という表札のある家の前で古木常が立ち止まる。灯りは点いているが、カーテンが引かれていて、中の様子はわからない。

 耳を澄ましても、不審な物音も、不穏な物音もしない。微かに誰かが動いた物音や生活音がするだけで、至って平穏だ。

「本当にこの家で間違いないんだな?」

「はい。この家の深井恵理えりちゃんが依頼人ですよ」

 古木常の言葉に烏戸が表札を確認するが、残念ながら表札には「深井」とあるだけで、住人の名前はない。

 中の住人を確認すべきか、と烏戸は一瞬考えたが、確認したところで、烏戸は声も見た目も知らない。古木常も依頼人の声しかわからないだろう。

「……神隠し、手伝わなくていいんだな?」

「はい。大丈夫です」

 にこりと笑うと、古木常は家の壁に手を当てる。

小狐世こぎつねよ小狐夜こぎつねよ皿手北前さらってきたまえ

 古木常が何かを唱えると、家から柔らかい光が零れ、五秒ほどして消える。家の中から、子どもの声が聞こえた。「パパ? ママ?」と誰かを探しているようだ。

「上手くいったようだな」

「はい。一人取り残されちゃう恵理ちゃんがかわいそうですけど」

 そんなことを言う古木常の額を、烏戸は人差し指で軽く弾く。こつ、と音がして、古木常は額を押さえた。

 痛かったのか、少し目尻に涙を浮かべ、古木常は烏戸を見上げた。烏戸は涼しい顔で告げる。

「願ったのは依頼人だ。いちいち罪悪感なんて持つな」

「……白鷺さんも言ってましたけど、いくらなんでも情がないんじゃないですか?」

 額をこしこしとしながら、責めるような口調で古木常は烏戸に突きつける。

「烏戸先輩だって、元は人間だったのに」

「もう人間じゃない」

 烏戸は何事でもないように、まるで重さのない声で告げる。古木常が顔をじっと見つめるが、表情が一ミリも動くことはなく、烏戸が何を思っているのかは伺えない。

 日が沈み、夜の帳が下りる。どこかでカラスが鳴いた。不思議と騒がしさは感じられない。夜のカラスの鳴き声は遠吠えなのかもしれなかった。

 街灯に照らされて、古木常と烏戸の影が伸びる。他に誰も歩いていない通学路。小学校も中学校も、登下校の時間はとっくに終わっている。もう少ししたら、警察による補導が始まってしまう時間だというのに、古木常も烏戸も、堂々と歩いていた。私服の古木常はともかく、烏戸は学ラン姿で目立つはずなのに、誰も気にする様子はない。バスのライトが二人の脇を通りすぎていく。

「ここからの時期、依頼が増えるかもしれないらしいな」

「烏戸先輩がそんなこと言うのは珍しいですね」

「麗華から聞いた」

 烏戸の言葉に古木常が笑う。

「烏戸先輩、白鷺さんと仲いいですよね。白鷺さんは『こちら側』なだけで、人間なのに」

「知らない仲じゃないからな」

「人間の友達がいるの、いいなあ。ぼくは友達とかできる前に引き込まれちゃったのに」

 古木常の言葉に、烏戸は視線を送り、はあ、と溜め息を吐く。

「友達がいないから、引き込まれたんだろう。狐の神は孤独な魂が好きだからな」

「だからって、小学生を引き込まなくても良くないですか? 今の時代、どれだけ年を取っていても、孤独な人はずっと孤独ですよ」

「何気にひどいことを言うな……」

 だが、古木常の言う通りである。面倒を見てくれる親族がおらず、施設に入らなかったり、入れなかったりする老人が、自宅で孤独死、なんて言葉の羅列は珍しくもなんともない。晩婚化が問題視されて久しいが、一人暮らしの若者は少なくない。そのまま結婚もせず、生涯独身を貫く人間も多い。

 人は一人では生きられない、というフレーズが流行ったのは、一体何年前の話だろう。人は一人では生きられないという事実は事実として、そこにあるままだが、一人でいる方が楽と考える人間がそれなりに多い世の中になってしまった。精神面もそうだが、生活面や金銭面において、そういう社会の仕組みになってしまったことが要因として大きいだろう。

 孤独はある意味自由である。誰にも気にかけられないということは、寂しいことかもしれないが、誰の気にも留まらないということは、誰かを不快にさせる可能性が人より低いということだ。社会的価値観や倫理観に差し障ることでなければ、袋叩きにされることもない。

 まあ、「誰も気に留めてくれない」というのはつまり「誰からも嫌われている」もしくは「誰からも無関心」であるということだが。

 年齢を重ねて、今更どうしようもない偏見で凝り固まった人間を理解しようとする人間が稀有なため、年を取れば取るほど、孤独になったりもする。古木常が指したのは、おそらくそういう人間だ。

「基本的に、動物神は無垢な魂を好む。神隠しをしたり、愛し子として囲うのも、子どもが多い」

「ばっちりぼくが該当者じゃないですか」

「だからそうだと言っているだろう。

 深井恵理も、本当は父母を隠すより、本人が隠された方が、幸せだったかもな」

「罪悪感を持つな、という割に、罪悪感を煽るようなことを言いますね……」

「勝手に煽られてろ。全て結果論だ。子どもが神に囲われることが幸福に繋がるとは限らない。そのことを一番よくわかっているのはお前じゃないのか? よしのり」

 烏戸の混ぜっ返しに、古木常は肩を竦める。それを言われてしまうと、古木常には返す言葉がないのだ。

「恵理ちゃんの両親はどうしましょうね」

 手っ取り早く、話題を変えてしまう。都合が悪くなったのもそうだが、古木常にとって、そこそこ重要な問題であるのも確かだ。

 古木常が行える「神隠し」は神の恩恵を受けているからこそできる「一時措置」のようなものである。通常の神隠しは神が直接対象の人間を神の領域に招くことで、通常世界では行方不明扱いになるというものだが、古木常は神ではないため、神の世界に通せるわけではない。古木常ができるのは、神隠しをするための神への「申請」だ。神から拒まれた場合、対象の人間は行き場を失う。古木常の使用する空間をさ迷うことになるわけだが、いられても困る、というわけだ。

「狐の神のことだ。申請は通さなくても、まやかしの術くらいはかけるだろう。記憶の喪失と混濁。自分が何者かすら認識できなくなった人間が、通常世界で生きていけるかは定かではないが、俺たちがそれ以上干渉する必要はないしな」

「えぐいですね……」

 烏戸からの返答に、空笑いをする古木常。引き気味だが、これが初めてというわけでもない。

 古木常が神の愛し子にされ、お役目を授かってから、数年は経っている。数年の間に様々な願いを叶えてきたし、「神隠し」を使うことは何度もあった。ただ、まだ慣れないだけだ。

 守屋小学校が見えてくる。職員室にはまだ灯りが点いていた。残業だろう。もう大人になることもない古木常には縁のないことではあるが、お疲れさまです、と毎日思っている。

 飼育小屋の中に入れば、ウサギは静かにしていた。寝ているのだろうか、と古木常は顔を覗き込むが、暗がりでよくわからない。さして重要でもないので、取っ手に手をかけ、自分の空間に入る。

「烏戸先輩、今日もありがとうございました」

「いや、俺は何もしていないが……」

「いえ、やっぱりまだ慣れていないので、先輩が側にいてくれるだけでも心強いんです」

 またよろしくお願いしますね、と続けようとしたところで、じりりりりりり、とけたたましく黒電話が鳴る。古木常は慌てて受話器を取る。

「はい、古木常です」

『……! 「こっくりさん」……! 本当に出た……!!』

 受話器の向こうから、微かに聞こえた声に、烏戸はすっと目を細める。

 古木常は電話に出ると、馬鹿正直に「古木常です」と名乗る。そういう苗字だと知らない人間からすれば「こぎつね」という響きから「狐」が連想され、一説では狐の神の化身とされる「こっくりさん」のウワサに納得する、というわけだ。

 古木常が大学ノートにさらさらとメモを取っていく。どうやら、もう一仕事するようだ。

 夏が始まる。

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