「ねえ、知ってる?
公衆電話で、お金もカードも入れずに、
その『こっくりさん』は、相談事や悩み事を親身になって聞いてくれて、願いを一つ叶えてくれるんだよ!」
鳥崎高校の生徒会室は静謐に満たされていた。学ランの生徒が一人、ハードカバーのページをぺらりとめくる。それ以外の音はない。少し長い前髪で時折隠れる真黒い瞳、彫像のように整った面差し、落ち着いた佇まい。生徒会室で読書をする男子生徒は、まるでそういう絵であるかのように、景色に馴染んでいた。
また、ページが一つめくられたところで、静謐をつんざく着信音がした。男子生徒は目だけを動かす。机の上に置かれた、今時珍しい二つ折り携帯。ご丁寧にバイブレーションまでついて、絵画のようだった風景を乱すように震えている。
男子生徒は、本に付属している紐タイプの栞をすっとページにかけ、ぱたん、と本を閉じた。無表情で携帯を手に取り、発信相手を一瞥もせず、応答する。
「はい」
語尾に句点がついているような無機質な声が静謐を取り戻した室内に落ちる。電話から、向こうの声が少し零れていた。
『こんにちは、
「ああ。どうした、よしのり」
声変わり前の男の子の声。烏戸と呼ばれた少年を同級生が見たら、きっと驚いたことだろう。周囲に無関心そうな彼が、親しげに人を下の名前で呼ぶなんて、意外であるにちがいない。
『
「わかった。すぐじゃなくていいのか」
抑揚のない烏戸の言葉に、古木常は苦笑を返す。
『烏戸先輩は学生じゃないですか』
ぴ、と電話を切ると、おずおずとした様子で入り口の扉が開いた。セーラー服姿の女子生徒が入ってくる。見たところ、夏服だ。
烏戸はお世辞にもいいとは言えない目付きで女子生徒を見る。校則に抵触しない程度のリボン付きのカチューシャをした少女はおどおどとして、烏戸に向かって意味のわからない手を振るジェスチャーを繰り返していた。
「
「ごっ、ごめんなさいごめんなさい! 電話のジャマするつもりはなくてっ!」
「電話なら終わった。それに聞き取れなくなるようなことさえされなければ、入ってきたって一向にかまわないといつも言っている」
「で、でもでも! わたしどじで、すぐ転ぶし、物は引き倒すし!」
「静かな方だと思うぞ、燕野は」
誰を基準にしているのか、烏戸は遠い目をする。烏戸のフォローが効いていないのか、燕野は相変わらず手をばたばたと振っている。
彼女は燕野つぐみ。鳥崎高校生徒会書記である。本人の申告通り、そこそこのどじっ子であるが、それを補ってあまりあるほどに優秀で有能な少女である。烏戸は燕野が立派なことを知っている。もっと堂々としてもいいと思ってはいるが、口には出さない。これも個性だろう。
烏戸はフルネームを烏戸
というのも、烏戸は生徒会の役員ではない。燕野は書記で、何度も役員の名前を書き列ねたことがあるが、役員の中に「烏戸通」という名前は、一度だってあったことがない。
それに……
「今は昼休みだったな。燕野、昼食は摂ったか?」
「あ、ハイ。購買でコッペパンを。あ、今日はコロッケが並んでいましたよ」
「そうか。ありがとう。いってくる」
「はい」
戸を引いて、烏戸が出ていく。その背中を見送り、燕野は軽く手を振った。
向こうに見えた景色の中には、セーラー服の女子生徒と、学校指定のネクタイを締めた男子生徒。夏服なので、時折締めていない男子もいるが……鳥崎高校の制服は男子がブレザーである。季節を問わず、学ランを着込んでいる烏戸は、この学校の生徒ではないのかもしれない。
明らかに異質な存在である烏戸だが、それを咎める者は誰もいない。だから、燕野は怖くて聞けなかった。烏戸は何者なのか、もしかして幽霊なのか、なんて。
昼休みの購買は混み合っている。それは至極当たり前のことである。
そんな人混みの中をひょいひょいと潜り抜け、烏戸は一個五十円のコロッケを手に入れた。
人気のない薄暗い廊下で袋を開け、頬張る。学生向けに少し塩辛く味つけしてあるコロッケだが、ほのかにいもの甘味も感じられ、癖になる味だ。衣がさくりと音を立てる様は耳も楽しませてくれる。衣がさくさくすぎて、少し零れるのが困り物だが、いつもながらに味は美味しい。烏戸は満足していた。
「おい、烏戸。まさか昼飯、それだけじゃないだろうな?」
薄暗い廊下に人影が射し、更に暗くなる。その暗さすら眩むような威風堂々とした佇まいの女子生徒が烏戸に歩み寄る。
凛とした面差し、高く掲げられたポニーテール。涼しげな目元はその凛々しさをよりいっそう引き立たせていた。つかつかと烏戸に向かう足は長く、ルーズソックスが少しずれる。
烏戸は少女を一瞥し、会釈もせずにコロッケを食べるのに戻る。少女は隠すことなく「失礼なヤツ」と言って、烏戸の寄りかかる隣の壁に凭れかかった。
「挨拶くらいしたらどうなんだ、烏戸」
「俺は俺のことを『烏戸』と呼ぶお前みたいな女は知らない。知らないやつとは口を利かない」
「用心深いな……今時の小学生か?」
はあ、と少女は表情豊かに溜め息を吐き、項の辺りを軽く掻く。それから、しっとりした声で紡いだ。
「通。まさかこれがお前なりの甘え方のつもりか?」
「だったらどうした」
「わかりづらいんだよ、不器用め」
そう言って、烏戸の肩を小突く。小突かれた烏戸は、食べ終えたコロッケの袋を丁寧に畳み、顔を上げ、ようやく少女を見た。
「俺とお前の仲だろう。今更、余所余所しくする理由はない。違うか?
真顔でさらりと告げられ、少女は思わず頬を赤らめる。照れたことを気取られたくなくて、ばっと烏戸から顔を背けた。
「高校生にもなって、下の名前で呼び合っていては、誤解が生まれるだろう?」
「じゃあなんだ。
「むぬぬ……」
白鷺麗華。それがこの少女の名前だった。名は体を表す、とはよく言ったもので、白鷺は美しい見た目をしている。薄暗い中でも、肌が白く透き通っているのがよくわかった。
「麗華でいい。……そもそもお前は人目に触れるところに出ないもんな」
「この姿は目立つからな」
「そりゃ、ブレザー生の中に学ラン生だもの。まあ、通が目立つのはそれだけじゃないけどね」
「なんだ?」
無垢な瞳で見つめられ、白鷺はうわあ、と思わず声をこぼす。烏戸は顔のいい自覚がないらしい。
「っていうか、本当にブレザーにする気ないの? 通なら似合わないなんてこと、ないと思うけど」
「似合わないから着ないんじゃない。俺は女子のような洒落っ気も持ち合わせていないし、必要がないだけだ」
「さいで」
白鷺が口を閉ざせば、二人の間には沈黙が流れる。烏戸は元々、お喋りな方ではない。
それでも、用件さえあれば、話すことは話す。
「麗華。放課後、よしのりに呼ばれた。お前も来るか?」
「あ~。そっか、もう夏だもんね。そろそろ忙しくなる時期か」
白鷺は視線を中空にさ迷わせる。少し考えてから、烏戸に笑みを向けた。
「いいよ、行く。古木常くんのこと、労ってあげたいしね」
「いや、お前も手伝えよ」
「駄目だよ。私はどう足掻いたって『ソッチ側』じゃないし、時期が来たっていうんなら、私には私の役目がある」
そう言い切ると、白鷺は制服のポケットから、スマートフォンを取り出す。ぽちぽちとロックを開け、何やらページを開いた。烏戸が画面を覗き込むと、慣れた様子でスマホを見せる。
「やっぱり。ウワサが出始めてるよ。時期だね~」
「……本当だな」
そのページにはこう書かれていた。
「ねえ、知ってる?
公衆電話で、お金もカードも入れずに、〇のボタンを長押しすると『こっくりさん』に繋がるんだって。
その『こっくりさん』は、相談事や悩み事を親身になって聞いてくれて、願いを一つ叶えてくれるんだよ!」
よくある都市伝説のような話。夏になると、誰もがなんとなく望むちょっと不気味で奇妙な怪談。
その幕が、上がる。