反皇帝派の人間が皇帝が視察に訪れている街でテロを起こし、民間人を巻き込んだ。その報告を聞き、皇帝軍として駆け付けた俺は、暗闇に包まれた路地で一人の女に出逢った。
ローゼと名乗ったその女を見て、遠い昔の記憶以来に胸が酷くざわついた。もうすっかり自分でも感情なんて物を失ったと思っていただけに、己の身に起こった心が揺れる感覚に吃驚した。
逃げ遅れてテロ行為に巻き込まれただけだと女は説明していたが、あれは嘘だ。随分と見事な演技だったから、恐らく普通の人間なら容易に騙される事だろう。
「あいつがやったのか」
血を流して地面に倒れている反皇帝派と思われる人間の横に乱雑に放置されている深紅色に染まった剣へ目線を落とす。
この灯りのない路地裏で俺と接触した際に女が咄嗟に見せた受け身は、ただの逃げ遅れた民間人ではできない物だ。しかも、俺が皇帝派の人間だと気づく寸前まで全身に殺気を纏っていた。素人目では分からない程に器用に能力を隠蔽していたが、あれは確実に普通の人間ではない。
暗闇だったものの、女の服が返り血で染まっているのは認識できた。落ちている剣のグリップも、ついさっきまで握っていた人間の手の形が浮き出る位に血に塗れている。グリップに浮いた手の痕の大きさがどう見ても女のそれだ。
「随分と興味深いな」
不思議と自分の口角が自然に吊り上がる。
倒れている人間は急所を綺麗に外されていた。先に到着した兵からも「巧妙に急所を外した攻撃を敵が受けて戦闘不能になっている」との報告があった。敵が多いにも関わらず、ここまで正確に急所を外して戦闘力だけを削ぐなど至難の業だ。
こんな神業、将校クラスでもできる人間は殆どいない。最初報告を耳にした時は誤報だと思った。しかし、あの女と偶然出逢った後にこの戦闘があった現場を目の当たりにした途端、点と点が繋がり紛れもない事実なのだと悟った。
宝石を散りばめたかの如く、深夜の空に星が煌めいている。小さく息を吐いてそれを見上げた刹那、「アスター皇帝陛下、ここにおられましたか」路地裏によく知っている声が響いた。
「フリーダーか。その堅苦しい呼び方いつになったら辞めるつもりだ」
「一生辞めるつもりはありません」
「作り笑顔をやめろ」
「職業病なので難しいですね。それよりも、反皇帝派の殲滅を確認しました事をご報告にあがりました」
「そうか」
「随分と愉快そうですが、何かあったのですか?」
こちらの顔を覗き込んで驚いた表情を浮かべている相手が、怪訝そうに首を横に折った。
「フリーダー、ローゼという名の女を探せ」
「え?」
「珍しい淡い藤色の長い髪が特徴的だ。ローゼという名も偽名の可能性があるが、兎に角、この国にいる淡い藤色の髪を持つ女を徹底的に探せ」
「そんな無茶な、情報が少な過ぎます」
「外国人だ。他所から入国している人間を重点的に調べてみろ」
女は俺が誰なのかを分かっていない様子だった。あの様子から察するに、この国の人間ではない可能性が高い。
淡い藤色の腰まであるであろう髪に、大きな目。形が良く厚みのある唇に、陶器の様な白い肌……似ている。あいつに、似ている気がした。暗闇のせいかもしれないし、俺の見間違いかもしれない。だからこそ、もう一度日の光の下できちんとあの女を見てみたい。
「その…ローゼという方がどうかされたのですか?」
「別に。面白い女を見つけただけだ」
もしあいつでなかったとしても、ローゼと名乗る女が何者なのか純粋に興味がある。
女の去った方角へ視線を伸ばせば、闇が続くだけの路から吹き付ける冷たい風が髪を攫って悪戯に揺らす。
「これは皇帝命令だ」
「…畏まりました。アスター・レオンハルト・バウムガルテン皇帝陛下の執事である私、フリーダー・ゲルト・へリングの名に懸けてその女性を探し出してみせます」
「ああ、頼んだ」
「友人としても、気まぐれにせよアスターが初めてってくらい人間に執着心を見せているから是非とも彼女を見てみたいしね」
「はぁ…お前、普段から二人の時はその喋り方にしろ」
何がそんなに楽しいのか、ニヤニヤと頬を緩める悪趣味な友人に溜め息を落とした。
名前しか知らない女。たった数十秒しか会話を交わさなかった女。フリーダーが言った通り手掛かりは極めて少ない。だけど必ず、もう一度会ってみせる。
「どんな表情をするのか見ものだな」
口を突いて零れた声は、元の静寂を取り戻した街にゆっくりと溶けていった…―。
第9話【完】