道に倒れている女性や子供。それから、石畳を染める様に流れている血。レーヴェンの家に向かう時には素敵な街並みだったはずのそこが、一瞬にして地獄絵図へと変わっている。
可愛らしい木造の家々も炎に包まれていたり、無慈悲に破壊されていたり…目前で起きている事が市民を巻き込んでいる悪質なテロなのだと一目で分かる。
民間人を、それも幼気な子供やまともに抵抗なんてできない女性までもを襲うなんて信じられない。反皇帝派だから何なのよ、彼らは何もしていないじゃない。こんな形でしか反対の意を示せないの?
「急いで逃げて!」
「学校にも火を放たれたぞ!」
「早く教会へ向かいなさい!」
真夜中の街で逃げ惑う人々の混乱に満ちた声が飛び交っている。太陽も消えてすっかり気温も下がっているはずなのに火を纏っている建物が幾つかあるせいで、頬に触れる風は熱い。
思い出してしまう。お父様とお母様の命を奪ったあの炎が、屋敷を覆いつくしたあの大きな火が、嫌でも脳裏を占領する。
「リーリエ、教会へ急ごう」
「レーヴェンは?」
「俺はこの国の軍人だ。君を送り届けたら反皇帝派と戦うよ」
私の肩に優しく手を置いて教会へと促すレーヴェンは、気丈に振る舞っているけれど、指先は震えており顔色も悪い。さっきまであんなにもにこやかだった人を、一瞬にしてここまで追い詰める非道な行為に腸が煮えくり返る。
許せないわ。とても許せない。お父様とお母様を失ったあの時の様に何もできずに立ち尽くすなんて絶対に嫌。己の無力感に苦しむだけしかできない時間は二度と過ごさないって決めたの。だから私はここにいるの。
無意識の内に握った拳に力が入る。諜報活動をするなら目立ってはいけないと頭では分かっている。まだこの国を訪れたばかりで内情も把握していないのに派手に動くのは危険だと承知している。
けれど、私の本能が、感情が、どうしようもない程に憤っている。
「…絶対に許せない」
「リーリエ?」
「助けなくちゃ」
「リーリエ!教会は反対の方向だ!」
気づいたら私は倒れている子供と女性の方へ走り出していた。居ても立っても居られなかったのだ。
「痛い…よ」
「お願いします、この子だけでも助けて下さい」
私の手を握る子供に、苦痛に耐えながらも開口する女性。
良かった、命はある。自分のドレスの裾を引き千切って出血している子供の足を強く縛る。女性の方は腹部を剣で刺されているものの、傷は臓器にまでは達していなさそうだった。持っていたハンカチを傷口に当ててその場でできる応急処置を施す。
「大丈夫、絶対に助かるわ。避難先でお医者様に診て貰いましょうね」
二人の手を握って少しでも安心してくれればという一心で笑顔を浮かべる。瞬間、子供の目が大きく見開いた。
「リーリエ!!!危ない!!!」
間もなくして、背後から焦燥に駆られたレーヴェンの声が掛かる。少年の瞳に映っていたのは、私の背後で剣を今にも振り下ろそうとしている黒づくめの人間だった。
こういう時、恐怖よりも昂ぶりを覚える自分はやはり、タールベルク家の人間なのだと実感する。実践に備えての訓練を積み重ねて来たし、実際に何度も実践に参加した。余り大きな声では言えないけれど、こういう状況は幾度となく経験しているからこそ冷静でいられる。
ふっと、口許に小さく弧を描いた私は、身体を反転させながら降り注ぐ剣を躱して相手の手首を捻り剣を奪い取った。
「ぐはっ」
すかさず剣で相手の身体を斬りつければ、血を流しながら黒づくめの人間が崩れ落ちていく。地面に倒れる姿を見届けた私は、頬に跳ねた返り血を手の甲で拭い取った。
「レーヴェン、この二人を教会へと連れて行ってお医者に診せてあげて。母親の方は早く処置をしなくては出血が酷くなって最悪命に関わるかもしれない」
「君はどうするんだ?」
「私は…私は、少しでも多くの人を助けるわ。だから教会へは行けないの、ごめんなさい」
「今の無駄のない動き、軍人の中でもトップクラスだ…リーリエ、君は一体何者なんだ?」
「それはまた後できちんと話すわ」
「……分かった。彼等を教会へ連れて行ったら俺もすぐに戻る。リーリエ、どうか無理だけはするんじゃないよ」
「ありがとうレーヴェン」
小さく頷いて見せたレーヴェンは、倒れている女性を背負い子供を片腕で抱え上げ、教会があるらしい方向へと歩き出した。
彼が本当に親切で温かい人間なのだと、彼の言動に触れていると強く感じる。だからこそ、素性の怪しい私なんかも自分の家でもてなしてくれるのだろう。
「お礼らしいお礼を今はできないけれど、レーヴェンの育ったこの素敵な街を守る手伝いくらいはきっとできるわよね」
使い慣れない剣のグリップをしっかりと握り直した私は、闇夜に溶ける様に駆け出した。
「皇帝軍が到着したらしい!」
「良かった、これで助かる」
どれくらい時間が経っただろうか、反皇帝派のテロ行為に立ち向かっていた数名の人間がそう噂している声が耳に入った。
「はぁ…はぁ…はぁ」
街頭の灯りさえも届かない暗闇に包まれた路地裏。たった今私に斬られて地面に伏せている人間を見下ろしながら、乱れる息を整える。
もう何人斬ったか分からない。予想以上に多い反皇帝派組織の人間を斬って、斬って、斬って、どうにか対抗した。けれど、今日隣国から徒歩でここに来たばかりの己の体力が流石に限界を迎えようとしている。
「もっと体力作りをしなくちゃいけないようね。たったこれくらいで動けなくなるなんて自分が情けないわ」
皇帝軍が来たからなのだろうか、急に辺りが静まり返った気がする。ふらつき始めた足もとに「もう少し頑張って頂戴」と声を掛ける。
まだ混乱が残っている内に私も教会へ行って避難した市民に紛れなくちゃ。こんな場所で剣を持っている所を見られてしまっては、確実に怪しまれるわ。
「教会はあっちの方角だったわよね」
なるべく人目につかない様に路地裏のルートから行こうと暗い角を曲がった刹那だった。
ドンっと、思い切り誰かにぶつかって倒れそうになった自分の身体を咄嗟に支えた。
「すみません、前を見ていなく…て…」
すっかり油断してしまった事を悔いつつ視線を持ち上げた私を待っていた人間に、ゴクリと息を呑んだ。
そこにいたのは、世にも美しい表情のない一人の男だった。
第7話【完】